長老エルザ
『――入るが良い』
中から許しの声が聞こえてくる。長老という話だったが、聞こえてきたその声は随分と幼い。ざざっと襖の開く音がすると、頭を下げた状態で中へと通される。部屋に入ると、香でも焚いているのか、濃密な甘い香りがスヴェンの鼻腔一杯に広がった。そのあまりの濃さに頭がくらくらとする。
「面を上げよ」
声に促されてスヴェンは顔を上げ、幼い少女の少し吊り上がった目と視線があった。
「――名は?」
少女はひじ掛けに気怠そうに小さな体を預けて訊ねてくる。ベルリアよりもなお幼い外見に反して、その物言いは実に不遜だ。身に纏う薄衣は大きくはだけ、腰より下に至ってはほとんど露になっている。少女が足を組み替える度に太腿の付け根がちらりと見える。下には何も履いていないらしく、目のやり場に困る。
「人に尋ねる前に名乗るのがリコフォス教の教えらしいぞ?」
頭のおかしい神父の言葉を借りてみた。すると、少女が不機嫌そうにふんと鼻を鳴らす。
「あやつらの世迷言など、土くれほども価値がないのぅ」
どうやらロロリト族が反リコフォス教という噂は本当のようだ。もっとも、彼女たちの歴史を考えれば、当然の話かもしれないが。
「――スヴェンだ」
答えて、ちらりと周囲を確認する。部屋の中央奥に幼い少女が座り、その小さな足裏をこちらに見せている。両脇で世話役たちが平伏しているところから察するに、眼前の偉そうな少女が長老エルザなのだろう。
しかし、その結論は自分の知っている長老という言葉の意味からあまりにかけ離れている。
スヴェンの胡乱げな視線に気が付いたのか、少女がクスリと笑う。
「ん? 何を驚いておる。そなたの予想通り、妾がこの里の長老エルザじゃ」
「長老というのは、長く生き、そして年老いた者のことだと理解している」
スヴェンがそう応じると、「そういうことか」とエルザは得心がいったかのように小さく手を叩いた。
「こう見えて齢三百を数えておる。寿命が長いロロリトの中でも妾は特に理力が強い故、劣化が滅法遅い体ではあるがの、『長老』であることには間違いないぞ」
長命な種族は確かに存在する。リーナシアも比較的寿命が長い種族の生まれだったはずだ。だが、三百歳でベルリアよりもなお幼いその外見は、自分の知っている長命という概念から大きく外れている。
「先に言っておくがの、ここでは俗世の常識など意味を為さぬゆえ、努々囚われてくれるなよ?」
長い袖で口元を隠しながらくつくつと忍び笑うエルザ。その仕草一つ一つがまるで遊女のようにしなやかであり、臈長けてもいる。幼い外見だというのにまるで違和感がない。
「……俺がここに通された理由は?」
「本題に入るのが早いのぅ。早漏かぇ?」
こちらが急いでいるとわかっていて言っているらしい。まったく、長老とはよく言ったものだ。実に老獪である。
「俺たち人種にとっては、時は即ち命を表す。命の浪費は美徳とされない」
いたって平静な口調でスヴェンがそう応じると、エルザはつまらなさそうに手をひらひらと振った。
「かー! 面白みのない男よのぅ! 折角お互いを知ろうと話題を作ってやったのに、可愛げがないときた!」
「いや、いくら何でも最初の話題が下世話にすぎる。閉鎖環境で会話の仕方も忘れたか?」
しかし、スヴェンのその冷静な指摘は「まぁ良い」とエルザにあっさり流される。
「いくら長命の妾とは言え、今だけは暇ではないからのぅ」
「随分と慌ただしいようだが、何かあったのか?」
「うむ。どうにも森が変でな。いつも悍ましく群れている死の獣たちが綺麗さっぱりおらぬのよ。奴らが移動したなら、その行先次第ではこの里も危いからのぅ」
「それは棄獣のことか?」
「そなたらの言葉を借りるのであれば、そうじゃな」
「ああ、そういうことか」
「ほぅ。何か知っておるのか」
「まーな。あいつらを駆除したのが俺たちだからな。もっとも、全てとはいかないが」
ローランからの依頼で件の棄獣の群れを討伐する予定だったことを説明すると、室内に動揺の気配が流れた。
(あれを倒せる者がいるとは……)
(いや、嘘かもしれないぞ……)
長老の前だというのに世話役たちが口元を袖で隠しながらひそひそと話し始める。
「そういう者たちがいるという話は聞いていたが、眉唾とばかり……」
信じられないといった様子のミリアーナ。
棄獣狩りであるスヴェンからすれば特段驚くような話でもないが、彼女たちにとってはそうではないのだろう。
森で見た彼女たちの武器は、頑強な棄獣を相手にできるものではなかった。
多少は戦闘訓練を積んでいるようだが、あくまで自衛目的なのだろう。常に棄獣の脅威に曝されながら生きてきた所為か、身のこなしや気配の消し方はそこらの棄獣狩りよりも優れている。だが、それはあくまで対人戦闘に限った場合の話だ。
圧倒的な火力を以て殲滅戦を仕掛ける。それが対棄獣戦闘だ。
個体では強力無比な棄獣をどれだけリスクなく一方的に攻め立てられるか。それを成すための各人の連携や攻撃精度はさることながら、作戦実行に至るまでの仕込みといった部分が非常に重要とされている。
当然、そんなものが彼女たちにあるはずもない。磨き上げた理術というのを持っているとも思えない。
「口振りから察するに、森の異変を感じて厳戒態勢を敷いていたってところだと思うが、むしろ当面の間は安全になるはずだ」
こちらが敵ではないということを伝えるためにも、まずは安心感の提供に徹する。これはかなり効果があったらしい。世話役たちのほっと安堵する気配が伝わってきた。
「ふむ。どうやらそなたらは強者らしいのぅ。そして、これが一番大切なことじゃが、妾たちの敵でもないようじゃ」
「理解してもらえただろうか」
「そうじゃのぅ」
「であれば、早いところ解放して――」
「――そうはいかぬ」
ぴしゃりと拒絶するエルザ。この反応は予想外だった。
「どういうことだ……?」
「簡単な話よ。それはそれ、これはこれじゃ」
つまり、棄獣の存在有無によらずスヴェンたちを拘束し続ける腹だったらしい。
「妾たちの体のことは知っておろう?」
「多少は」
「では、それによって他種族から迫害されてきたことは?」
「ある程度は把握しているつもりだ」
ロロリト族のあまりに特異なその性質は、他種族から迫害される原因となった。というのも、世界で最も信者数の多いリコフォス教会が、異性間での交遊しか認めていないからだ。その教義の下、数多のロロリト族が捕らえられ、そして殺されたらしい。彼女たちが受けてきた仕打ちに比べれば、今の獣人の扱いが可愛らしく見えるほどである。
「不幸にも、とでも言うべきかのぅ。妾たちロロリトはなまじ見目が良い。それが他種族の下卑た欲望を掻き立ててしまってのぅ。数えきれないほどの同胞が犠牲になったのじゃ」
さらに不幸は続く。ロロリト族は人買いにも目を付けられた。特異なその身体的特徴に加えて外見の良さが世界中の好事家に狙われたのである。宗教的な迫害に加えて、人道に悖る犯罪の犠牲。それがロロリト族の悲しみの歴史だ。
「そなたは聡い男のようじゃからの、理解してもらえると思うが、この里のことを知ったそなたらを逃がすわけにはいかぬのよ」
里のことを外界に漏らされたら、再び迫害が繰り返されてしまう可能性がある。彼女はそれを懸念しているのだろう。里を守る長老としては当然の判断だ。
「妾たちが死の獣に怯えながら、俗世から隔離された森の奥で暮らすのは、相応の理由があってのことじゃ」
生きるのに必死、言外にそう告げるエルザ。潤んだその目は悲しみに満ちていた。これまでにいったいどれだけの仲間の非業な死を見届けてきたのか。三百年という数字が重くのしかかる。
「それにじゃ。理由は他にもあってのぅ」
話を続けるエルザに勘弁してくれと言いたくなるが、口を挟む余地なく続きが語られる。
「妾たちはこの狭い里という閉じた世界で生きておる。必然、新しい命は近しい者同士の間に授けられる。そうするとじゃな、血が濃くなりすぎるのよ」
近親者同士での交配が続くと劣化した遺伝情報が子どもへと伝わり、先天性の病気が発症しやすくなる。故にほとんどの国で近親者間の交配は禁止されている。
しかし、ロロリト族の場合は、そうとわかっていても他にどうしようもないというのが実情なのだろう。そこまで考えると、そもそもロロリト族という種族自体が種としての生存に適していないのではないかとすら思う。
その考えを見透かしたかのように、エルザは自嘲の笑みを浮かべた。
「妾たちとてこの体で生まれた以上、必死なのじゃよ……生きたいというごく当たり前のその思いをどうか否定しないでくれ……」
静かなその吐露は、悲痛な叫びだった。そこに込められた思いはあまりに重く、否定はおろか受け止めることすらできない。そっと気付かない振りをして、話題を逸らすことしかできなかった。
「……仮にここに残された場合、俺たちはどうなる?」
「妾たちと子を為してもらうつもりじゃ」
――即答だった。話の流れから予想はしていたが、実際に言われてみるとやはり衝撃的だ。
「基本侵入者は生かしておけぬが、そなたのように道理を違えぬ者ならば問題ないじゃろぅ」
「いやいや、ちょっと待て。俺たちは人種だぞ? 獣人種もいる。ロロリト族と交わって生まれてくる子はどうなる?」
「人種との場合は、妾たちの血が濃くなる故、ロロリトの子が生まれるのぅ。獣人との場合は向こうの血が強すぎるから駄目じゃ」
要するに自分たちは体の良い種馬に苗床といったところか。冗談ではない。
「そんなに怖い顔をするでない。むしろ、そなたにとってここは楽園のようなところじゃぞ? 好きな女子を孕ませ放題。食事の用意や衣服の交換など雑事は世話役どもにすべて任せて、悦楽にどっぷりと浸かれる。もちろん、子育ても万全じゃ。一人の子は里の子。この里の者全員で協力しながら育てる。安心して孕ませるが良い」
しかも、とエルザは続けた。
「長命であるが故に懐妊し辛い妾たちの体液には、相手を欲情させる強い催淫効果がある。唾液も愛液も、小水ですら一度口にすればとろんと快楽の虜よ」
それが、ロロリトという特異な一族が生き残るために獲得した能力なのだろう。それもまた人買いに狙われた理由の一つだ。
「聞くところによれば、そなたらの仲間には女子がおるそうじゃな。であれば、妾たちの出す精の匂いを嗅いだだけで女の本性を見せるじゃろうて。自ら腰を振り、気を失うまで搾り取ろうとするじゃろうのぅ」
あのアウラがそんなことをするのかと想像しようとして、諦めた。まったくもって想像できない。せいぜい火炎に巻かれるのがオチだろう。
「男も女子も本能のまま快楽を貪ることができる。妾たちも新たな血を取り入れて子を為すことができる。お互いにとって悪い話じゃなかろぅ?」
「人によっては魅力的かもしれないが、パスだ。やるべきことが残っている」
スヴェンは冷徹に突き放すことを選択。これにエルザはその小さな顔を左右に振る。
「そなたらに選択肢など端からない。見よ」




