パルテミシア大森林
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(考えがまとまらない……)
フォスフォラから脱出し、追手を撒くために移動し続ける中、疲労しきった脳内では考えが浮かんでは消えてを繰り返している。
あれこれ思考が走るが、まとまらず霧散していくのである。しかも、浮かび上がるのはどれも同じ話題ばかりだ。
どうして擬人が一斉に暴走を始めたのか。
どうして狂人病患者が一気に増えたのか。
どうしてローランが暗殺されたのか。
そして――
(――俺という存在は、本当は何なのか)
いくつもの疑問の中で、ベルリアの言葉が思考を阻むように割り込んでくる。
(【設計された子どもたち計画】……あいつがあの状況で嘘を吐くか? 俺程度にわざわざ心理戦を挑むか? その必要性は?)
何度も自問するが、どれも「否」が返ってくる。
(おふざけや冗談、勘違いで言っているとは思えない)
つまり、指し示す結論はただ一つ。
(俺が重層世界の住人……?)
俄には信じられなかった。根拠となるものもベルリアの発言だけだ。真とするにはあまりに材料が少な過ぎる。理性はそう訴えている。
しかし。しかし、だ。
突拍子もないと、あり得ないと断じることができない自分がいるのも確かだった。
(擬人は理術を使えない。理力を持たず、そもそも神との契約ができないからだ。重層世界の住人もそれは同じだろう。そして、俺はそこらの子どもでさえ使える理術を使えない……)
偶然か?
偶然にしては、あまりに符号し過ぎてはいないか?
もし自分が自分でなかったとしたら――確固たる地面がたちどころになくなり、遥か上空から叩き落されたときのような浮遊感に包まれた気がした。
この思考は本当に自分のものなのか?
取り留めもなく、考えても詮ないことばかりが頭の中を駆け巡っていく。その一方で、これまでに自分の中にあった得体の知れない違和感が萎んで、消えていくのを感じた。
どこかで納得してしまっているのだ。その所為か、穴が開いてしまったような虚無感に襲われる。まるで、探し続けていた答えを得た代わりとでも言いたげだ。
「――ェン! スヴェンってば!」
アウラに肩を揺さぶられてスヴェンは思考の海から現実へと引き戻される。
「ん? ああ、すまない、聞いていなかった、どうした?」
「『どうした』って、しっかりしなさいよ! 所長でしょ!」
「悪い悪い。ちょっと考え事をしていた」
「こんな場所で考え込むって凄いわね……」
いつの間にか目的地に着いていたらしい。鬱蒼とした木々によって囲まれていることに気付く。
深い、とても深い森だ。獣の気配も濃い。
長い年月を経て天を突くほどに成長した巨木が、所狭しとばかりに生い茂っている。その幹は伝承に謡われる巨人の胴よりもなお太く、天を支えているかのようだ。一枚で家一軒を軽々と覆えてしまうほどの巨大な葉は、さながら天空の大地といったところか。
当然のことながら、街灯などあるはずもない。森の中は月明りに乏しく、アウラの理術で作り出した光球がなければ、歩くことすらままならないだろう。
「パルテミシア大森林……」
ポツリと呟いたスヴェンにリーナシアの表情が険しくなる。
「パルテミシア大森林……確か神隠しの噂があるところっすよね……?」
森に入った者は森に魅入られる。興味本位で訪れた者のほとんどが生きて帰らないと言われる死の森。それがここパルテミシア大森林である。
「都市伝説の類だろう。いくら神が傍若無人で傲岸不遜とはいえ、人を攫うことに意味はないはずだ。仮に失踪事件が事実だとしたら、棄獣の仕業と見るべきだ」
「つーか、ここって棄獣の巣窟じゃねぇのかぁ? 静かすぎんだろぉ」
ヴァルダの指摘通り、森の中は静寂そのものだ。棄獣の気配一つない。
「この前アウラと一緒に結構な量の棄獣を討滅したからな。あれがこの森からのはぐれだとしたら、今は相当数を減らしているはずだ」
「そういうことっすか。闇雲にここに突っ込んだわけじゃないようで何よりっす」
「まぁ、あのときの群れがこの森と何の関係もなかったら詰んでいたかもだがな」
飄々と応じるスヴェンにリーナシアが顔を真っ青にする。下手すれば、この疲れ果てた状態で棄獣との激戦を演じることになっていたかもしれない、そのことに気付いたのだろう。
「全員を外せ。通信が走れば最後、データの流れから居場所が逆探知される」
ひとまずスヴェンは山積する疑問を脇に退かし、喫緊で対応しなければならないことに思考を切り替える。
自身も腕から《エニグマ》を外し、懐へとしまった。応急手当で出血は止まっているが、左腕は相変わらず機能していない。傷口は熱を帯び、額には嫌な汗が止め処なく浮かんでくる。この状態での戦闘は避けたい。少なくとも、ヴァルダとアウラの理力が回復するまでは身を隠す必要がある。状況の確認と整理、今後どうするかの対策も早急にしなければならないだろう。
「早いとこ治療しないと、下手すれば一生左腕が使えなくなるな……」
スヴェンは左手を握り締めようとして、激痛に顔を歪めた。傷はかなり深い。むしろ、巨漢のガデリカの戦斧を受けながら、腕ごと断ち切られなかったのは奇跡だ。ともすれば、意識を手放しそうになるが、こういうときだからこそ頭を使うしかない。
「教皇殺害の被疑者を治療してくれるところがあるかしら?」
「あるとは思えないが、何とかしないことには――」
突然、話の途中でスヴェンは振り返り、腰に提げたベルトから短刀を抜くと、森の奥目掛けて投擲した。
「――きゃっ!」
短い悲鳴が暗闇の向こう側から上がる。声の反響具合からそう遠くはないらしい。
「ヴァルダ!」
「おうよぉ!」
スヴェンの意図を察したヴァルダが右手を振るう。音も立てずに放たれた理鋼糸が夜の帳に紛れて対象に接近、大木に縫い付ける。疲労していてもなお衰えない鋭さと精密さには目を見張るものがある。さすがはヴァルダである。
「これは……」
スヴェンの視線の先には、大木に理鋼糸でぐるぐる巻きにされた少女の姿があった。
教会の追手か、というスヴェンの予想はどうやら外れたらしい。
「うぅっ……」
スヴェンを見上げる少女は今にも泣きだしそうだった。気弱そうに垂れた大きな目にはたっぷりと涙を蓄えている。
「こんなところに人……それもどうして女の子が……って、あれ?」
首を傾げたスヴェンは、少女の満月を浮かべたような瞳を見てはたと思い出した。
「君はあのときの――」
少女は、フォスフォラでゲルナとパイーニに絡まれていた女の子だった。
「てっきり獣人だとばかり思っていたが……」
少女は獣人などではなかった。鮮やかな新緑の長髪と特徴的な長い耳、そして夜闇に浮かぶ黄金の瞳を持つ種族と言えば、この世にたった一つだ。
「ロロリト族か……」
「ロロリト族って、稀人と言われるあいつらかぁ?」
「予想が正しかったらな。極めて珍しいその種族特性故に種族全体の人口が少なく、人里離れた僻地でひっそりと生きていると言われているが……」
「あ、あのあの……わ、私たちは人や棄獣から隠れるようにして過ごしていますから……」
恐る恐るといった様子で少女が言葉を紡ぐ。か細い声は震え、今にも消え入りそうだ。
「そんなに怯えないでくれ。危害を加えるつもりはない。どうか安心してほしい」
スヴェンは相手を脅かさないように努めて優しく告げた。すると、少女は安心したかのように大きく息を吐きだした。
「君はロロリト族ってことで良いのかな?」
スヴェンの問いに耳長の少女がコクリと小さく頷く。
それを見てスヴェンは、額に手を当てて天を仰ぎ見た。
「……はぁぁ」
「どうしたっすか?」
「――まずいことになった」
「何がまずいっすか?」
首を捻るリーナシアを他所にスヴェンは地に膝をつき、腕を頭の後ろに回す。
「何をしているんすか?」
「見ての通りさ」
「見ての通りって、まるで降参しているみたいっすね」
「察しが良いじゃないか。悪いことは言わないから真似した方が良いぞ?」
「はぁ? どうしてっすか?」
「今にわかるさ」




