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束の間の交流

   ■■■


 ――この思いは何だ?


 どうして、を積み上げては零す度に、どうしようもない思いがこみ上げてくる。

 あんなにも身を粉にしたのに。

 あんなにも痛みを背負ったのに。

 あんなにも。あんなにも。あんなにも……。

 別に見返りが欲しくてやったわけではない。自分の役目に準じただけなのはわかっている。それでも、本心から望んでやったわけではない。他にどうしようもなかったのだ。

 だというのに、この有様は何だ。この仕打ちは何だ。ただ、どうしようもない思いだけが溢れてきて、弾けては縛られる。それが延々と繰り返される。


 やるせない。あまりにも報われない。

 不条理に打ちひしがれる度にちりちりと内側から焼かれるような思いがこみ上げてくる。この痛みの正体は何だろうか。静止を許さず、安寧を拒むこの衝動は何だろうか。

 どこかで感じたことがある。見たことがある。向けられたことがある。


 ――そうか。


 不意に思い出し、そして理解する。それはかつて敵対した者たちの昏い目だ。色や形は違えど、皆一様に重く澱んだその瞳に宿していたものだ。


 ――ああ、これが憎しみか。


   ーーーーーー


 かわたれ時。

 夜と朝の狭間の何とも曖昧な境界線上の時間帯。起きるにはまだ早く、皆の眠りが深いその時間にスヴェンは事務所の屋上にいた。額には玉のような汗が浮かんでいる。


 一閃。


 静止した状態から目にも止まらぬ速度で【まほろば】を抜き放つ。次いで、袈裟懸けに振り下ろされた切っ先は、すぐさま横薙ぎへと転じる。そこから一歩踏み込んで鋭く突きを繰り出し、持ち上げるように縦軸の動きを加える。


 ――日課となっている鍛錬だ。


 少しでも速く刃を振るえるように。

 少しでも正確に軌跡をなぞれるように。


 自分は理術を使えない。それは紛れもない弱点だ。使える者との明確な差だ。だからこそ、量を積み上げる。量が質へと転換されるまでただひたすらに、愚直に繰り返す。それしか知らない。それしかできない。

 一通り型をなぞったあたりで【まほろば】を重層世界に格納する。初夏ということもあって空が白み始めるのも早い。次第に明るさを増していく世界を後目にドアを開けて屋内へと戻る。

 汗を流そうと浴室に向かう途中、歓談室に入ろうとしてドアの前で停止。

 中から人の気配。気配を探り、すぐに誰のものか察する。


「こんな時間に起きているとは、珍しいじゃないか?」


「あなたこそまた鍛錬かしら?」


 窓枠に腰かけたアウラが、部屋に入ってきたスヴェンに目をくれることなく、そう問い掛けてきた。


「ん? 知っていたのか?」


「リーナシアもヴァルダも気付いているわよ? あなたが毎日毎日飽きもせず刀を振るっていることはね」


「んだよ。こういうのは気づかれたら意味ないのに」


 スヴェンはタオルで汗を拭きながら、バツが悪そうに応じる。こそこそと朝早く起きて、隠れるように鍛えていたのが台無しだ。


「どうしてそんなに頑張るのかしら?」


「俺が弱いからだよ」


「即答ね。理術が使えないから?」


「そうだな」


「弱点に向き合うのは辛くない?」


「楽ではない。が、逃げて目を背けても前に進めないからな。仕方なく、って奴さ」


「なんだ、十分に強いじゃない」


 アウラはつまらないと言いたげに応じると、窓にそっと息を吹きかけた。そして、白く曇った窓ガラスを拭くわけでもなく、ただ見つめ続けている。


「アウラこそこんな時間に珍しいじゃないか?」


「少し……嫌な夢を見てね……」


 気怠げな返答。真紅の瞳は相変わらず遠くを見ている。その目が、窓越しの風景を映しているわけでも、はたまたガラスに反射した自身の顔を見ているわけでもないことは明らかだった。

 物憂げなその横顔を見て、さすがのスヴェンも息を呑む。

 突き出た窓枠に絶世の美少女が腰掛け、足を自由に伸ばし、僅かな月明かりに照らされている。純白の髪はまるで夜の闇を弾いているかのようだ。憂いを帯びた表情が一層神秘的な雰囲気を醸し出している。

 もし、詩人がこの光景を見ていたら詩を思いついたのかもしれない。

 もし、絵師がこの光景を見ていたらキャンバスにそっと向き合ったのかもしれない。

 しかし、自分はどこまでいっても武骨な棄獣狩りだ。褒める言葉も形容する感性も持ち合わせていない。

 故にただ一言、問い掛ける。


「どうしたんだ?」


「別に」


 にべもない。

 スヴェンは一つ嘆息して、


「名前はアウラ。髪の色は白。瞳の色はこの辺りでは見たことない綺麗な真紅だ。身長は小柄でリーナシアよりも少し小さい。世間一般の女性と比較してかなり整っている容姿をしている――気がする。まぁ、その辺りは疎いから正直よくわからんが」


 他己紹介をするかのように、つらつらと自分から見たアウラ像を口にする。


「見た目こそまだガキンチョだが、大人顔負けの口達者。考え方もしっかりしている。時々天然が入るが。そんでもって、いわゆるお嬢様かと思えば、雑用をてきぱきとこなすあたり意外と要領は良い。そして、戦闘もこなせる。口癖か知らんが、『燃やすわよ』は割とシャレにならない。ただ、人を頼ることが苦手な傾向にある。要領は良いが不器用というのが総評」


 自分とヴァルダはいつも恐怖に慄いているのだと、ついでに不満を伝えておく。

 当のアウラはと言えば、「ふぅん」と少しばかり驚いた様子だ。


「意外ね。よく見ているじゃない」


「これでも一応雇い主だからな」


 しかし、それはあくまで目に見える範囲のものに限られる。深いところまではやはりわからないものである。


「とはいえ、今言ったのは全部表面的な情報だけだ。アウラに家族はいるのか。出身はどこか。これまでに何をしてきたのか。そんな当たり前のことすら知らない。何も知らない」


「そうでしょうね。話したことないもの」


「故に俺はお前のことを知らない。だからどうだという話ではないがな」


「あら、洗いざらい過去を教えろって話かと思ったんだけど?」


「教えろって言ったら教えてくれるのか?」


「――あなたに背負う覚悟があるのなら」


 そのとき初めてアウラがスヴェンのいる方を振り返る。


「ふむ……」


 スヴェンは何かを考えこむように視線を落として閉口する。

 少しばかり静寂が流れ、


「……その話、長くなる?」


「……は?」


「いや、だから長くなりそう? 汗でべたつくし、さっさとシャワー浴びたいんだよね」


「うぅわっ! 最低! 真面目な話をしているのに! ほんと信じられない!」


「そう言われてもな。話したくないなら話さなくて良いし。何か思い悩んでいるみたいだったから聞いただけで。雇用主の責任というか義務というか? 何ていうか、よくよく考えたら何も知らないなって再確認しただけ。そもそも『背負う覚悟』って、何? 後で自分の発言を振り返ったときに、死にたくならないか? 大丈夫か?」


 淡々と言葉を連ねるその顔はどこまでも真顔である。照れ隠しなどではなく、心の底からそう思っているのが窺える。


「この状況で本心からそう言えるあなたの感性が理解できないわ。しかもあなたから話を振ったくせに」


「嘘偽りがない男と呼んでくれても良いぞ?」


 論点をずらして応じるスヴェンに、アウラは小さく頭を横に振る。


「本当に信じられない。こういうときくらい方便を使いなさいよ」


「アウラのことがしんぱいだなー」


「お手本のような棒読みね。本当最低」と、軽口の応酬の後にアウラは小さく笑い、「あなたって不思議ね。無関心かと思えば他人のことをよく見ているし。感情がないのかと思えば、砂粒くらいは思いやりもあるし」


「褒めているようで馬鹿にされていることだけはわかった」


「冗談よ、冗談。まぁ、確かに、擬人か何かじゃないのと疑うときもあるけどね」


「誰が人外だ」


 さすがにそれはスヴェンとしても心外だった。

 しかし、その反応にアウラは意外そうな声を上げる。


「え? まさか人でなしの自覚ないのかしら?」


「いや、まったく。人でしかないと思うのだが?」


「そういうところよ。周りに聞いてみなさいよ。相当辛辣な回答を貰えるわよ?」


「そうか。なら聞かないことにする」


「本当、そういうところが嫌いよ」


 アウラはそう言って再度笑う。どうやら、少しは気分が晴れたのか、それまでの沈んでいた雰囲気はなくなっている。


「もしもよ……」と、意を決したかのようにアウラは神妙な面持ちで切り出した。「世界を救う代償として自分が消えるとしたら、あなただったらどうする?」


「何だ何だ、お前と言いローランと言い、流行ってんのか?」


「良いから答えて」


「いやいや、どうするもこうするも、そもそもどんな状況だよ?」


 質問の意図を掴めずにいるスヴェンを無視してアウラは続ける。


「誰からも省みられず、称賛されず、それどころか恨まれ、終いにはいなかったことにされるとしても世界を救うことができる?」


 射抜くような、値踏みするような鋭い視線がスヴェンに向けられる。


「……選択は所詮条件の比較でしかない。この場合の基準となる条件とは、利益と損失だ。正直、世界がどうとかどうでも良い。どう考えても俺にはリスクしかない。よって、傍観ないし無視だ。答えは変わらない」


 無関係でいることを答えとしたスヴェンにアウラが小さく息を吐く。


「……はぁ、あなたならそうするでしょうね」


「結局、何だったんだよ今の質問は?」


 怪訝そうなスヴェンに、しかしアウラは「さてね」とはぐらかすように言って部屋を後にした。

「なんだありゃあ……?」


 スヴェンは部屋の中央で独りぽつんと立ち尽くすのだった。

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