繋がる世界
沙織の執筆活動が始まった。主に睡眠時間、通勤時間、休憩時間…全ての空き時間はスマホの指先に囚われる。
タイトルは「二人の物語」。第一章は、復讐の旅に出てまだ間もない辰砂と、「彼」が出逢うまでを描く。
描きたいのは、多くのクリエイターを虜にしている辰砂の姿。魅せられ、惹きつけられ、体を蝕む麻薬の様に堕ちていくその危うい魅力──。
誤字脱字のチェックを何度もした、作品情報に「この作品は原作アニメ、辰砂本家様とは関係のない三次創作になります」としっかり書いた。
震える指先で、ゆっくり画面を押す。
【作品を投稿しました】
───やったあ…
紙吹雪が舞うスマホの画面を見て、顔がほころぶ。前回ここまできて【削除する】を選択しただけに、感慨深い。
すると、画面右上の通知アイコンに②の数字。
え、何?やっぱり有料…とか?
【「二人の物語」がいいね!されました】
【1人のユーザーが「二人の物語」にコメントしました】
───え、今投稿したばっか…
通知アイコンに指先で触れる。現れたのは、何度も見ている可愛い女のコのアイコン。え、このヒトは…
[スゴいです!初投稿でこれは、神超えてますよ!]
───はああああ!?
【さおりさんからフォローされました】
【さおりさんからあなたのコメントに返信がありました】
───お、ようやくきたな。
アヤは通知アイコンを見てホッとする。さおりの「二人の物語」の投稿日、黄色の表示は薄いグレーに変わった。同時に、アヤが2週間前 に入力したコメントも表示される。
さおりの返信を詠む。
[はははははははじめまして!さおりと申します、大変遅くなりましたが、フォローありがとうございました(泣)この度、ようやく作品を投稿できましたので、フォローさせて頂きます!]
───真面目か(笑)。
[そんなに緊張しなくていいですよ…]
ちょっと笑いを堪えて返信する。
[あの〜小説を書いてる方にコメントをする、というのは、とても勇気がいることでして…]
───ふむふむ。
[未熟ですが、やっと作品を仕上げましたので、あやねさんのフォローさせて頂きました(泣)あやねさんの作品も読ませて頂いてます、とても素敵です!]
───面白い、ヒトだなあ……
別にコメントくらい、気軽にすればいいのに…
いや、それよりもアヤはまず聞きたいことがあった。
[さおりさんて、これが初投稿て書いてましたけど、この作品の前に何も書いてなかったんですか?]
ほどなく返信がくる。
[え〜っと、書いたんですけど、プレッシャーに負けてボツにしました(泣)]
──嫌な予感しかしない。
[もしよければ、タイトルとか教えてもらっていいですか?今後の参考にしたいので]
うん、我ながら完璧なウソ。しばらくして返信がくる。
[ええ…参考に?(汗)なりますかね(笑)タイトルは「呟き」です]
───あああああ。
およそコメント欄でするやり取りでない話が終わり、アヤはスマホを持った手をゆっくり下ろした。
やはり、あったのだ。さおりが書いた「呟き」という物語は。
どんな話か読んでみたい!と言ってみたが、恥ずかしくてとても無理だと返ってきた。シリーズ物の執筆も始まったし、そりゃあ無理な話だろう。
───あたしのせい、なのかな。
チクリ、と心が痛む。どういうことなのか分からないが、もし自分がフォローしていれば、さおりは投稿していたのではないか。
それにしても、一体何が起きてんの?
アヤは投稿日の2週間前に、すでにこの「二人の物語」を読んでいる。投稿日になった瞬間、不自然な黄色の日付は薄いグレーになった。
───ん?
事務局からの通知アイコンに、①の表示。さおりかな?と開くと、
【さおりさんに、コメントして下さい】
───は?
指で触れると、そこには、
「二人の物語〜第ニ章〜」
さおりの続編が投稿されていた。
黄色で表示された投稿日は、10日後。
───ええ……
だから、何なのこれ?
ついさっきさおり本人が「やっと投稿できた」とコメントしていたのだ。咄嗟にさおりの「第一章」のコメント欄に書き込む。
[第ニ章の投稿予定日は、いつくらいですか〜?]
しばらくして返信がきた。
[え〜(汗)やっぱり週末挟まないとキツいですかねぇ…]
───ウソではない、気がする。
自分はからかわれているのか、とも思ったが、そもそも【フォローして下さい】や、投稿日が未来の日付は、この人の仕業ではないだろう。
事務局に問い合わせてみようか?……何て言って?
しばし考えてから、新作に指先を進めた。読むよ読むよ、コメントもするよ。アヤは第ニ章を読み始めた。
沙織の指先はゆっくりと進んだ。書いては消し、書いては戻り……
辰砂の生贄を捧げるための殺戮を止めようとする「彼」─燈との戦闘シーンで始まる第ニ章。
二刀流の辰砂の刃が舞う様に煌き、風の様に薙ぎ払う。
対する燈の武器は魔法の炎。全身にとぐろを巻いて現れ、放たれる紫の炎は美しい獣のよう…
指先が止まる。ダラダラと描写が続くと、戦闘のスピード感が無くなってしまう。どうしたら緊迫感を維持しつつ、細やかな描写を挟めるのか。気付けば戦闘シーンだけで第ニ章は終わりそうだ。
ふぅ、と一息。ふと、思いついてマイページから【フォロー新着】を押す。
あやねの新作が、投稿されていた。
沙織が書いている原作アニメの、二次創作キャラクターが登場人物。
二人が、会話をしているだけの物語。会話文だけで進む、あやね独特の作風。
余計な描写は何もない。それなのに、がらんとした空間、ポツリポツリと話す二人──それだけで、泣きそうになるくらいの苦悩が伝わる。
……凄いなあ、こんなの書けるって…
ダラダラと長いシリーズを書いている沙織は、軽くへこむ。短い物語で、こんなに深い表現ができる。
コメント欄に伸びる指先。
[凄いです(泣)!まるでその場にいるみたいに感じます!]
ほどなく返信がくる。
[ありがとうございます(*^^*)かなり考えて書きました…]
───へえ、そうなんだ。
何かサラサラッと書いているような気がして、少しホッとする。
よし、もう少し頑張ろう。
沙織は【下書き中の作品】ページの【編集】ボタンを押した。
【さおりさんに、コメントして下さい】
───お、来たな。
もうすっかりお馴染みの事務局からの通知。第三章、黄色の投稿日は5日後。
昼休みが終わる直前に気付いたアヤは、次が国語の授業─まあまあ優しい先生、と確認する。
「……ごめん、ちょっとお腹痛い…」
心配するクラスメイトに心の中で手を合わせ、スマホをポケットに隠し保険室に向かった。
終始戦闘シーンだった第二章とうって変わって、辰砂と燈の会話がメイン。恋愛要素は全く無いが、彼女の過去が語られ、旅の目的を知った燈の魂が共鳴する…
[凄いです!授業サボって読んじゃいました!]
───やべ、いらんこと書いた。
コメントを削除しようとする、しかし削除の表示は反応しない。相変わらず、よく分からないことばかりだ。
まあ、いいか。ついでに私も書きかけのやつ仕上げようかな…
通知アイコンに表示が来たのは、5日後の投稿日。アヤのコメントに返ってきた返信は。
[あやねさん、いつもありがとうございます(泣)!じゃあノートのコピー、明日渡します!]
────ええ…(笑)
面白いヒトだなあ、やっぱり…
アヤが通知のお達し通りに、まだ投稿されていないさおりの新作のコメントをする様に、彼女もアヤの作品に必ずコメントをくれる。
さおりは作品のこの部分がいいです、の様な具体的な感想を書いてくれるので、アヤも嬉しかった。
第三章が投稿されると、すぐにまた事務局からの通知がくる。第四章にコメントしろと。第四章の投稿日は、4日後。
───お、頑張ってるなあ。
早速読むか、と第四章に伸ばした指先が、固まる。
沙織はもう何度も下書きを読み返していた。どうしても先に進まない。
一番気になっているのは、最近投稿した第四章に、あやねがコメントをくれないことだ。これまでどうやって読んでいるのか分からないが、投稿すると同時にあやねがいいね!とコメントをくれた。
もうほとんどそれだけを支えに、執筆しているようなものだ。何しろ、それまでに他のクリエイターが書いた辰砂の三次創作は、彼女の特徴の1つ、血に塗れる描写が多い。
沙織は最初に戦闘シーンこそあったものの、燈が彼女が追う「仇」の召喚に疑問を持つ所から本格的に物語が進む。。召喚のやり方─辰砂に残虐な行為をさせる事が、奴らの策略なのでは?と。そして、そもそも彼女の家族を殺した「仇」の正体は何なのか、その謎を二人で追っていく。
この設定が、沙織が考えたオリジナルだ。本家では「仇」は、彼女の生贄により召喚される異形の者。
勝手に本家で描かれている「家族を奪った仇」の設定を変えていることに対して、本家からクレームがくるのでは…とビクビクしていた。
遅々として進まない第五章にため息をつきながら、ふと、サイトの通知アイコンに②の表示が出ていることに気付いた。
あやねだ!ホッとしてアイコンを押す。
【蒼星さんがあなたをフォローしました】
【「二人の物語」がいいね!されました】
────ええええええ!?
蒼星。それは、沙織が初めて読んだ幸せな辰砂の物語を書いた人。
作品を投稿し始めて、あやねとコメントのやり取りをしてからのこと。
勇気を出して蒼星のこの作品に「この作品と、蒼星様の“幸せな辰砂が増えますように”の言葉に背中を押されて、執筆しております」と、図々しくもコメントしたのだ。
その蒼星からフォローされた。震える指先でコメントを見る。
[作品、大切に読まさせて頂きました、素晴らしいです!燈と二人で運命に立ち向かって下さい!この様な作品が私の言葉から産まれたこと、本当に光栄です…]
────うわああああ。
信じられなくて、何回も何回も何回も目を通す。こんな初投稿の素人に…
丁寧な言葉に、優しい人柄を感じる。それは蒼星の書いた物語のように、穏やかで、あたたかった。
どうしよう、どうしよう。何て返信しよう……
指先でゆっくりゆっくりと言葉を紡ぐ。その指で、作品投稿欄に戻った。
書こう、私の辰砂の物語を。
第五章を投稿すると、すぐにいいね!とコメントがきた。通知アイコンを押すと、そこには久々の可愛らしい女のコ…あやねだ。
[第四章、R18Gで読めなかったので、今回読めて嬉しいです!]
────は?
沙織の指先が止まる。
え、待って。あやねさんて……
ガチ未成年!?
まんま、コメント欄に書くと
[Yes♪]
───ええええ…。
あやねは、現役の高校生だった。軽く目眩がする…授業をサボって、みたいなコメントがあったから大学生だと思ってた…
高校生だったのか。驚く沙織は、それで納得できる部分もあった。
キラキラしたリズム感、息づかいが聞こえる様な会話、型にはまらない手法……
高校生…かあ。
自分が高校生の時に「物語を書く」なんてことは無縁だった。ひたすら部活に明け暮れていたあの頃を思い出す。
あやねさん。高校の制服を着た後ろ姿が目に浮かぶ。
どんなコなんだろう。あの不思議な作品を、次々と産み出す彼女は。
───良かった、良かったぁ…
第四章が無事投稿日を迎えた時、アヤはホッと胸をなでおろした。
「二人の物語〜第四章」のR18G指定を見たアヤは軽く凍り付いた。
───読めないし!コメントできんし!
やらしーの書くなよ!とツッコミを入れながらも、アヤはそれが性的な制限ではなく、恐らく辰砂の残虐行為によるものだと分かっていた。何よりの辰砂の物語は、その内容からほとんどR18G指定なのだ。
近づく黄色の投稿日…もし、また自分のせいで作品が投稿されなかったら…と気が気でなかった。
【さおりさんに、コメントして下さい】
───読めない時は、通知しないでよ。
この不思議な現象に、いつの間にか慣れてしまっている自分がいた。
アヤが読めなかった第四章の投稿日、すぐに早速通知で【さおりをフォローしろ】的なやつがくる。第五章は全年齢対象でホッとする。投稿日は、2週間後。
───あれ、日が開いたな。
やはり、アヤのコメントがあるとないでは、投稿頻度に違いがある。
───ええ…プレッシャー。
ふと、ポツポツとさおりの作品の閲覧数といいね!が増えていることに気付いた。
コメントも少しずつきていた。まだ新しい辰砂の物語、これだけの数を投稿していると目立つのだろう。
ふと、Twitterをやっていない、とさおりがコメント欄で言ってたことを思い出す。
アヤは、辰砂を生み出した本家制作陣の個人的なTwitterを覗いてみた。
やはり、辰砂のイラストや話題が多い。指先で過去へと戻る。
───え、ちょ。
事務局からの通知アイコンに①の表示。
沙織が開くと、あやねからコメントの返信だった。
【今すぐこのヒトのTwitter見て!さおりさんの作品、紹介されてる!】
───!?
沙織の指先が止まる。
え、待って、待って。
【あやねさーん!Twitterってどうやって見るんですか?(泣)】
そのまんま返信する。
あやねがコメント欄にリンクを貼ってくれた。どうやら、辰砂制作陣の一人のTwitterらしい。
初めて見るTwitterの画面。下に指をスライドさせていく。
あった。自分の作品が、紹介されている。ゴクリ、と唾を飲む。沙織が辰砂の救済を描こうとしていることに触れ、こう呟いていた。
「……クリエイターとして、私もつい幸せな主人公を描きたくなります。私も書いていて本当に辛かった…でも、辰砂の物語は、この過去がなければ始まらなかった」
───!!!
短い言葉から溢れる想い。沙織の指が震える。
幸せな話だけ、書くのは楽だろう。
書く方も、読んだ方も幸せになれる。
初めて辰砂の物語を読んだ時を思い出す。何故、人気アニメの一登場人物である彼女の沢山の二次創作がある中で、にここまで惹かれたのか。小説まで書き始めてしまった沙織。
子供を殺された彼女の話。墓にすがって涙にくれる日々を、何故選ばなかったのか。
血の涙を流しながら残虐行為を繰り返すのは、子供の復讐…だけでなく、同じ思いを誰にもさせないと誓ったから。
地獄に堕ちると分かっている迷いの無い瞳。
辰砂制作陣は、彼女のこれからを、クリエイターに託した。さあ、後は貴方たちが彼女の物語を好きに創って、それを見せて、と。
辰砂の生き方に惹き込まれたクリエイターたちが、様々な彼女の物語を色鮮やかに紡いでゆく。ある者はより残虐な姿を、ある者は全てが救済された後の、幸せな彼女を。
沙織は、一時辰砂の子供が殺される時空にタイムワープして、その過去を消去する、という内容も考えていた。
でも、それは禁忌だ。
時計の針を巻き戻すことはできない。
私達にできることは、どんな辛い過去を背負っても、より良い明日へと歩き続けること。
後輩の小さな笑顔が重なる。
私の答えを出そう。全力で辰砂の運命に抗うべく。
【あやねさん、ありがとう(泣)!Twitter初めて見れました〜(泣)】
───よく泣くなあ、さおりは…
半ば呆れながらコメント欄に返信する。
自分が高校生であることを伝えてもさおり─アラフィフのOLだと明かした─は、相変わらず敬語を使っていた。初コメントでタメ語なのが珍しくない中、本当に変わったヒトだ。
Twitter見れないとか、どんだけ…。
沙織の小説がTwitterで拡散し始めていた。閲覧数も伸びている、本家制作陣がTwitterで紹介した影響もあるのだろう。
さおりからまた返信がきた。
【こんな風にコメントできたり、私が小説書ける様になったのはあやねさんのおかげです(泣)!あやねさんの作品もあやねさんも大好きです!】
───はい?
【高校生にときめくアラフィフは犯罪ですか?(笑)】
ええ…(汗) イヤ、本当に…
───面白いヒトだなあ…
何か、ラブコメみたいなやり取り、と笑いを堪えて返信する。
【私も、さおりさんもさおりさんの書く小説も好きですよ!】
さおりの返事は。
【ちょ……】
目がハートマークの象さんスタンプ。
アヤは思わず吹き出して、同じスタンプを送る。
二人のコメント欄は、半ばラインと化していた。
日々の睡眠時間は平均3時間になり、沙織は流石に寝不足になっていた。物語は大きな局面を迎えていた。
辰砂の家族を奪った「仇」の謎に、少しずつだが近づいてゆく二人。しかし、辰砂はその歩みの遅さに、次第に苛立ちがつのってゆく。時間の無駄だ、奴らは生贄を捧げれば召喚できる。何人でも殺して奴らを呼び出し、根絶やしにすればいいと。
燈は自分で手を下さず彼女に罪の無い命を奪わせることが、奴らの目論見だと訴える。憎悪が憎悪を産み、奴らは力を蓄えていると。その正体を突き止めなければ、悲劇は終わらない。
復讐に目が眩む彼女に、その言葉は届かない。ならばお前を次の生贄にしてやる、と刃を向ける辰砂。
しかし、燈は静かに彼女に想いを伝える。
「今の貴方の姿を、天国の子供たちは決して望んでいない」
それは、燈の想い、そして沙織の想い──
沙織の指先が止まる。ふぅ、と息をついて画面から目を離した。いよいよの辰砂の旅は佳境を迎えようとしている。沙織はの燈の静かな言葉を画面に映してゆく。
真実を、見極めろ。
もう一度、その曇りなき瞳で──