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P.B.S  作者: 春秋夏冬
一章
7/10

ラピュタ 4


「使ってる言葉はメルヘンに教わったって言ってたよな。他の……例えば歴史とか、そういうのも教わってたか? 教わっていたなら、それはどの辺りまでかも知りたい」


 いかにも思い出しながらといったふうに、花は目を伏せながらゆっくりと答えた。


「歴史も教わりました。幼い頃から毎日少しずつ進めていって……西暦2000年代に差し掛かる辺りまで」


 教わりながら、「今は何年ですか?」と聞いたこともあったと花は言う。


「……その答えは?」


「答え難い質問ですね、と苦笑していて……。それ以上その話題を掘り下げることはありませんでした」


 ただ、西暦2000年辺りまでの歴史の勉強が出来るのだから、それ以降の時代なんだろうなと予想はしていた。


 花が加えた一言に頷きで答え、奏はケイトを見た。


「どうよ、ケイト。今まで出た情報で、花の元いた世界、多少は絞り込めるか?」


「西暦2000年代まで続いた世界って情報は結構大きいけど……。少し時間は欲しいかな」


「花の知ってる歴史と、俺の知ってる『主軸の世界』の歴史の差異にもよるか。……そこ話し出すと結構長くなるな」


 お、と。リリノが手を挙げて発言の意を示した。


「じゃあ、一旦別の質問に移っていい? その話は今みたいな夜じゃなくて、日を改めて、昼間からじっくりやろうぜ」


 「別の質問ですか?」と花が首を傾げる。リリノはそれを首肯し、花に——正確には、彼女の腰掛ける椅子、その背もたれに掛けられた鞄に目を向けた。


「そこに入っているのかな、不思議な白紙の本とやらは。……見せてもらっても?」


 鞄から本を取り出し、差し出そうとした花の手が止まった。ケイトに渡そうとした時の光を思い出し、慌ててそれを説明する。


「それなら君が持ったままで構わないよ。でも、うん。私の知りたかったことは、もう解決したかな」


「知りたかったこと?」


「私は書物に宿った付喪神だって、さっき話したでしょう。その本に不思議な力があるというなら、何か——神か精霊か悪魔か、憑いてたりしないかと思ったんだけど……」


 当てが外れたな、とリリノは呟いた。もし憑いているなら、同族の気配くらいすると思ったのだが、何も感じ取れない。


 ——否。同族の気配は(・・・・・・)、感じ取れない。


(何だろうなぁこの気配。この怖気(おぞけ)。破邪の結界はばっちり作用してる。結界の内に入れたなら、悪しきものでは無いはずなんだけど、それでも嫌悪感を感じる。……いや、『この本に対して』ではないのかな、この怖気は……)


「リリノ?」


「んん?」


 耳の飛び込んできた声に反応して、リリノは顔を上げる。 怪訝そうに奏がこちらを見ていた。


「どうしたよ」


「いやぁ、ちょっと平和と紛争が世界経済にもたらす影響ついて考え込んでいたりいなかったりしただけさ」


 つまり誤魔化したいんだな、と察した顔の奏に意味有りげな目線を送られ、リリノは肩をすくめてみせた、「もう少し待って」との意を込めて。この曖昧な感覚を自分の中ではっきりさせ、言葉に変えるだけの時間が欲しい。即時の危険は無いだろうから大丈夫。


 それが伝わったのか、それとも偶然か。奏はすぐにリリノから視線を逸らした。僅かな間の応酬。花には何も伝わっていないだろうが、ケイトはきっと察している。共に過ごした二年は伊達では無い。


「奏は? 他に気になっていることとか、聞きたいこととか」


 ケイトの言葉に奏は小さく頷く。彼の視線は再び花へ向けられた。『箱庭』に来る前、花が最後にいた場所——書庫、そこに。


「蛇が現れた。そう言ったな、お前は」


 蛇によって元いた世界から追い出される。そんな話を読んだことがある。


 奏の言葉に、それぞれが反応を示した。


「......『創世記』か。エデンの園より追放された、アダムとエバのことを言っているんだろう」


「蛇に唆された二人が禁断の果実を食べたことで、エデンから追放されるっていうアレだよね」


『失楽園』と挿絵の名を取って呼ばれたりもするそれは、余りにも有名な物語。蛇に唆され、主なる神に禁じられた「善悪の知識の実」を食べた男と女は、「命の木」の実までも喰らわれることを恐れた神により、楽園より追放されたと語られている。


 ぞくり、と。花は悪寒を感じながら口を開いた。


「奏さん」


「おう」


「私が書庫から取り出そうとしていた本が『創世記』なのは、偶然なんでしょうか」


 にや、と奏の笑みが深くなる。面白くなってきた、そんな感情を隠そうともしない様はいっそ見ていて清々しい。基本的に奏は、“面白いこと”が好きで“退屈なこと”が嫌いな、ある意味限りなく人間らしい男だった。


「俺の仮説が合っているとするなら、偶然にしては出来過ぎだが......さて、どうだろうな。......例えば、の話だが。何者かが意図を持ってお前を世界から追い出そうとした、そのトリガーに『創世記』 を選んだ可能性がある」


 すなわち、花の世界の異常と聖書——創世記に関係は無く、ただ「世界を追い出される」という筋書きを利用された可能性。花が創世記を読もうと手を伸ばした、その行動がトリガーとなり、仕掛けた罠が発動する。そうして蛇に追われ(唆され)、花が不思議な本(禁断の実)開いた(口にした)ことで、世界から追い出される。


 あくまで可能性の一つだが。そう言われても、花の心は晴れない。書庫に罠を仕掛ける。そんなことが出来るのは、花を除けば一人しかいないのだから。


「 俺からも聞きたいんだが。なんでお前、創世記を読もうとしたんだ?」


 何か信仰している宗教があるわけでも無さそうな花が、空いた時間に創世記を何となく読もうだなんて思うものだろうか。素朴な疑問だったが、至極当然とも言える奏の言葉。


「アップルパイが、あったんです」


 ——は。


 と、奏もリリノもケイトも、何とも言えない声を漏らす。


 アップルパイ。......アップルパイ?


 アップルパイとは、砂糖で甘く煮詰めた林檎をパイ生地に包んで焼き上げたお菓子のことである。アップルパイと創世記に何の関係があるというのだろう。一方は、老若男女に大人気のお菓子。もう一方は、世界中で最も読まれた本と言われる聖書の中の物語。


「もしかして、林檎のことを言ってる?」


 恐る恐るというかなんというか。リリノの問いかけに、花はこくりと頷いた。


「昨日焼いたアップルパイがあったんです。書庫に行く前にヘンゼルとグレーテルを読んでいたら、甘いものが食べたくなって」


 今はお腹が空いていないから、あとで食べよう。けれど、ヘンゼルとグレーテルの余韻に浸って、甘いものを食べたい気分になっているのは今なのだ。アップルパイ。サクサクのパイ生地に、しっとりとして甘い林檎。アップルパイ、アップルパイ。


 ......そうだ、林檎が出てくる物語を読もう。


 単純な思考。されど人間、食欲には抗えぬものだ。林檎の出てくる物語。ぱっと思いついたのは『白雪姫』。大好きな童話。でも毒林檎ってどうなんだろう。アップルパイを食べたい気分をキープするのに毒林檎は流石に、ない。


 そうして次の候補に上がったのが、『創世記』だったのである。創作の中で禁断の実は、よく林檎として描かれる。神さまが食べるのを禁止するなんて、そんなに美味しい実だったのかな、独り占めしたかったのかな。今はそんな俗っぽい理由ではないと理解しているが。悲しい哉、初めて創世記を読んだ時に思ったそれは、深く花の頭の中に残っていた。

 

「......明日のおやつに、アップルパイでも作ろうか」


 仮に奏の説があっていたとして。発動のきっかけがアップルパイになるとは、罠を仕掛けたものも思っていなかっただろう。喉の奥からなんとか絞り出したケイトの言葉に、奏とリリノは黙って頷いた。




 

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