ラピュタ 3
「俺か。名は奏、年は十九。箱庭に来たのは二年前だな。それまでは、ジジイと世界中旅したり……まあ色々」
そこまで言うと、奏は「成る程な」と呟いた。自己紹介と言われても何を言えば良いのかよく分からない、とはこういうことか。
「なら、俺から奏についての補足、良いかな」
花ちゃん、境界での俺の言葉、覚えてるかな。とケイトは言った。
『......まあ、一度だけ例外がいたんだけど。あれは本当に特別、イレギュラーだから、あんまり参考にはならないし......』
「その例外が奏。主軸の世界からこの箱庭にやってきた、唯一の存在」
並行世界の残滓だけが、訪れることを許される箱庭。その箱庭に、主軸の世界に生きるものが訪れた。だからこそ奏は例外なのだと、そう語った。
「まあそんな訳だから。奏のことも、もしかしたら花ちゃんのいた世界を探す手がかりの一つになるかもしれないって、俺は思ってるんだ」
ちらり、とケイトが花を見る。自己紹介を促されているのだと察して、口を開いた。
「改めまして、今日からこちらでご厄介になる、花といいます。私も人間です。それから、えと、年は十六になります」
「若い」とリリノが呟いた。
「千年を遥かに超えて生きてる神霊様やら不死の番人様からしたら、人間なんてみんな赤子みたいなもんだろ」
その言葉に、やや呆れた顔で奏が答えた。見た目こそ花や奏と同じ10代後半、ぎりぎり20代に届くかといった様子だが、やはり人外。人ならざる二人は、人の生の理とは遠く離れたところで時を重ねているらしい。
森に住んでいたこと。蛇に追われたことがきっかけで、不思議な本を見つけたこと。おそらく、その本の力で境界を訪れたこと。帰る世界が、見つからないこと。大切な人を探したいこと。
境界や世界についてはケイトに細かい補足をしてもらいつつ、花は事情を説明した。話し終え、奏とリリノの顔色を伺う。何かを考え込むように、それぞれ目を伏せている。
「あのっ」
焦った声が出る。花には“世界”についての知識がない。境界の番人であるというケイトは勿論だが、神様だというリリノ、自力で境界に訪れてみせたという“例外”、奏。特に奏は、箱庭を訪れる経緯が少しだけ花と似ているのだ。少しでも、手がかりが欲しい。大切な人を探し出す為にも、ここで彼らの力を借りたかった。
けれど、その対価として返せるものが花にはないのだ。情けなくて、己の力不足を痛感して、けれどここで俯いて黙っているなんてことだけは、絶対に出来ない。
「お願いします。逢いたい人がいるんです。皆さんの力を、貸していただけないでしょうか......!」
震えそうになる声を張って、頭を下げて頼み込む。地獄の沙汰を待つ罪びとでも、今の花より張り詰めた心はしていないだろう。
ふ、とかすかな笑い声に場の空気が緩んだ。ゆっくりと顔を上げ、奏とリリノを見る。
「いや、すまん。そう不安がらないでくれ。何か勘違いさせたみたいだな、花」
「いやあ、ごめんね? もちろん協力するさ」
「ただ、色々気になってね」とリリノは続ける。奏もそれに同意するように頷いた。
「聞きたかったんだけど、花ちゃんって日本人? 名前とか、あと今使ってるの、日本語だよね?」
「ああ、その辺は俺も知りたい。観測出来ないってことは、俺と同じ主軸の世界出身ってわけじゃないんだろ? その世界の文明レベルって、どのくらいよ」
単純な興味だけど。そう付け加えて、奏は花と視線を合わせる。花は二度ほど瞬いて、そして首を傾げた。
「……どうなんでしょう?」
は、と呆けたように奏は口を開けた。リリノ、そして興味深いと——捜索の参考にしたいと耳を傾けていたケイトも同様である。
「名前は育ての親が付けてくれたもので。その人が日常会話で使っていたのが日本語だったので、私も普段は日本語を使っているんですけど……あの森、日本にあるんですかね……?」
リリノに育ての親の名を聞かれ、「メルヘンです」と花が答える。それを横目で見ながら、奏は胸中で思わず『偽名くせぇ……』と思ってしまった。だってそうだろう。そんな名前の日本人にあったことなどない。どうやら相当話はややこしいらしい。
「えー……と、日本、は分かるんだよな? 国の名前は分かって、でも自分の住んでる場所がどこなのかは分からない、と」
というか、今まで『自分の住んでる場所は何処なんだろう』とか思ったことはないのだろうか、花は。
「メルヘンに聞いたことはありますよ。『森です』って笑って言ってました」
「……そうかぁ」
返した言葉が棒読み気味なのは許してほしい。駄目だ、住んでいるところから情報を得ようとするのは難しい。
「その育ての親——メルヘンは、どんな人なの? 素性とか……」
この分だとメルヘンとやらの情報も無さそうだな、と思いつつリリノが尋ねる。案の定、花からの返事は芳しくなかった。曰く、優しいだとか料理が上手いだとか、性分の話は尽きぬものの、素性は知れない。
しかし。奏たちからすれば怪しいとしか言えない男であるが、花からの信頼は絶大だ。生まれてから今日まで、ずっと二人で暮らしてきたのだという。割と純朴そうな彼女の性分も踏まえ、「そりゃ信頼もするし、言われたことは素直に、言葉通りに受け止めるだろうな」と奏は密かに思った。
「——食べ物とかはどうしてたの? 完全に自給自足?」
「野菜とかは作ってましたけど、メルヘンが定期的に森の外に買いに行ってました。生物とか足のはやいものから、保存食系の缶詰、コンソメのキューブとかも」
花の言葉を聞いて、がばりと奏は体を起こした。
「缶詰にコンソメ? ……ってことは、割と近代じゃねぇの」
「一般に普及してるなら、奏と同年代の可能性もあるんじゃない? 花ちゃんのいた世界が余程文明発展が速いところとかじゃない限り」
「俺が生まれたのが西暦2000年代だ。使ってる言葉的にも、そう時代が離れてる気はしねぇんだよな」
ケイトと言い合って頷きを交わし、奏は花に向き直った。所感だが、花のいた世界と奏のいた世界——主軸の世界に、そう差異はないのでは無いか。だとしたら、これは手掛かりになる。