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P.B.S  作者: 春秋夏冬
序章
2/10

はじまりのはなし 2

 



 数十秒だったのか、数分だったのか。あるいはもっと長かったのか。気がつけば、目を閉じていても分かるほどの光は消えていた。


 閉ざしたままの視界は当然暗いままで、音は何も聞こえず、書庫独特の紙とインクの匂いもしない。恐る恐る、目を開ける。


「ここ、は……」


 視界に飛び込んできたのは白い霞。それ以外は何もない。不気味なほどの静寂。くるぶしより先は霞がかかったようでよく見えない。足の裏が何かに触れている感触もなく、真っ直ぐに立てているのに、ふわりと浮いているような、奇妙な感覚がした。


「なんで、こんなところに……。さっきの蛇は……」


 少しずつ言葉を吐き出して、状況を理解しようとする。見知らぬ場所。蛇はいない。鞄と本は手にしたままだった。本は既に光を失っていた。閉じられているそれには、先程消えたはずの錠まで付いている。差し迫った危険はないようだが、しかし、それ以外に分かったことはなかった。けれど、やらなくてはいけないことは分かっている。


「まずは、帰らないと。ここに来た方法が分かれば、きっと……」


「それは、俺も知りたいかなぁ」


 落ち着く為の独り言に、少し離れたところから、突然言葉が返された。びくりと肩を震わせ、振り返る。霞の中から、ローブをまとった男が現れた。フードによって目元が覆われており、表情を伺うことは出来なかったけれど、落ち着いた穏やかな声音に、警戒心が少し緩む。


「こんにちは。いや、はじめましてと言うべきかな。驚かせてしまっていたらごめんね。俺はケイト。この“境界”の番人、主のようなものだよ。」


 ケイトと名乗った男は、“境界”とこの空間を呼んだ。そして、境界の番人であるという。渡りに舟。棚からぼた餅。どう考えたって、彼に事情を話すのが最善策だった。


「え、と……ケイトさん。私、花と言います」


 かくかくしかじか、これこれうまうま。名を告げ、一切の事情を説明し終えると、ケイトは困惑した様子で話し始めた。


「えっと……とりあえず、花ちゃんって呼ばせてもらうね。花ちゃんはどうやって境界に訪れたか分からないって言っただろう。正直、そこが俺も分からないところでね。そもそも、この境界に俺の案内無しで訪れるのは、本来不可能なはずなんだ」


 そう前置きして、ケイトは境界について、世界について、語り出した。



 ---



 ——世界とは、一つではないのだと彼は言った。


 これこそが『正しい世界』であると、神でもなく人でもなく、もっと大きな『世界そのものの意思』によって決められた『主軸の世界』。そこから分岐した、星の数ほどの並行世界が存在しているのだという。


 例えば、神の存在が、科学の発展しきった時代でも熱狂的に信じられている世界。例えば、世界規模の戦争がいつまでたっても終わることのない世界。例えば、自然環境の破壊か、それとも他の何かがきっかけだったのか、人が、文明が、動植物が、惑星(ほし)そのものが滅んでしまった、もうすぐ消滅する世界。


 主軸の世界とのずれの大きさはそれぞれ異なるが、何かが違う、そんな世界がある。


 そして、主軸の世界とも、数多の並行世界とも異なる世界が存在するのだという。


 その名は、箱庭。箱の中のように閉ざされた世界。入ることは出来ても、出ることは叶わない世界。箱庭に招かれるのは、否定されたものたち。主軸の世界で有り得ないと切り捨てられた、並行世界の幻想が最後に行き着くのが、箱庭なのだ。


 そして、主軸の世界でもなく、並行世界でもなく、箱庭でもない、最後の一つ。


 境界。世界の狭間に位置する、番人のみが自由に訪れることのできる世界。あらゆる世界の過去、現在、未来を観測し、見守るのが境界とその番人の役目なのだという。



 ---



「並行世界の幻想たちを箱庭に送り届けるのも、俺の仕事。この世界は箱庭を守る錠で、行くべきものたちを送るために錠を開ける鍵が俺……みたいな?」


 だから、ね? とケイトが首をかしげる。フードがかすかに動いた、その奥に、さら、と金の髪が揺れるのが見えたような気がした。


「本当に不思議なんだよね。錠の中には、普通入れないでしょう。だけど、君はここにいる。……まあ、一度だけ例外がいたんだけど。あれは本当に特別、イレギュラーだから、あんまり参考にはならないし……」


 せめて、心当たりとかないかなあ。俺としても、君を元の世界に返してあげたいんだ。突然こんな何もないところに来て、怖かったでしょう。ごめんね。


 困り果てた声音でケイトが言うのを聞いて、花は腕の中の本を見下ろした。


「あの、ケイトさん。この本が関わっているかもしれないんです。家の地下書庫で見つけた本なんですが、掛かっていた錠がふわって消えて、そうしたら、光って……」


「ああ、さっき話してくれた、隠し扉の中にあったっていう本だね。魔道書の類か……? 良ければ、見せてもらっても?」


 頷いて、ケイトに本を差し出す。彼の指が本に触れようとしたその時だった。


「なっ……?!」


 本が再び光を放つ。まるで電流が迸るようなそれに、驚愕した声をあげたケイトの姿が、ふ、と消えた。


「ケイトさん?!」


 慌てて周囲を見回すと、彼は元いた場所から少し離れた位置に立っていた。


「あぁ、ごめんね。花ちゃん、大丈夫だった?」


「私は大丈夫です。それより……」


「心配してくれてありがとう。俺も大丈夫。さっきの光……一瞬だけ痺れるような痛みがしたんだけど、今はもうなんともない」


「それも心配なんですが、ケイトさん、今一瞬消えてしまって……」


 え、と驚いたように呟いた後に、ケイトの口元が申し訳無さそうな笑みを形作る。


「それ、本とは関係なくて。俺がやったんだ。いわゆる空間転移だね。世界を監視するために与えられた、境界の番人としての力の一つ。咄嗟に離れるために使ったんだけど、驚かせちゃったかな」


「空間転移……すごいですねぇ。本で読んだことがあって、かっこいいなあって思ってました」


 そうかな、と擽ったそうに笑うケイトを見て、花も落ち着きを取り戻す。


「ともかく、だ。その本が関わっているのは間違いないんだろうけど、本がなくても、君を元の世界に戻すことは可能だと思う」


「本当ですかっ?」


「君の痕跡が残った世界を探せばいいんだ。魔道書みたいな本があるなら、神秘に縁遠い主軸の世界ではないんだろうけど……」


「あの、この本、どうしましょう。私が持っていてもいいんでしょうか。」


 なんだかよくわからないけれど、この本には摩訶不思議な力があるようだ。それを、このまま自分が持っていてもいいのだろうか。本好きの花としては、どんな本であろうと——一瞬見えた中の頁が白紙だったとしても——手元に置いておきたい気持ちはある。


「そうだね、君さえ良ければ、俺に引き取らせてほしい。俺には触れないみたいだけど、境界で保管する分には問題なさそうだし。君の世界に持ち帰って、またこんなことが起きたら事だしね」


 ああ、それから。ケイトは、少し表情を陰らせて言った。


「元の世界に戻った時には、ここの記憶は失われていると思う」


「ケイトさんのことも、忘れてしまうんでしょうか……? 私、ここまでお世話になって、何もお礼が出来てないのに……」


「俺のこともね、例外なく。お礼なんていいんだ。これは俺のお役目だし、それに、巻き込んでしまったのはこっちかもしれないんだから」


 でも、君の気持ちは嬉しいよ。そう言って、笑顔を浮かべたケイトは「ちょっと失礼」と断りを入れてから、花の手を取った。花には仕組みはわからないが、彼は今、花の記憶を頼りに、花のいた世界を探っているのだという。


「あれ……」


 十数秒もしないうちに、ケイトは焦ったような声をあげた。「えっ……ちょっと待って?こんなことってある?」と呟いたその顔色が良くなることはない。


 そうして、探り始めてから、一分ほど経った。今までで一番困惑した様子のままに、ケイトは花の手を離した。


「ええと、ね。花ちゃん」


 落ち着いて聞いて欲しい。とケイトが言うものだから、花の脳裏を、不吉な想像が駆け巡った。


 例えば、この境界から出るにあたって、肢体や視力、聴力を犠牲にしなければならないとか、そんなことを思った。


 しかし、ケイトの告げたそれは、花の想像全てを、その程度ならどんなに良かっただろうと嘲笑うようなものだった。


「——君のいた世界が、観測できないんだ」




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