008「それは入学式のあとで」
「あっ、ホタテが入ってる」
「気が付きましたか。薄切り肉もあったんですけど、シチュー向きじゃないと思いましてね」
色気もヘッタクレも無いフランネル地のルームウェアに着替えた和泉と、マリンボーダーのパーカーを着た剛志が、クリームシチューとシーザーサラダを食べつつ、ダイニングテーブルを囲んで会話を交わしている。余談だが、シーザーサラダと、古代ローマの皇帝カエサルの間には、何の関係性も無い。
「なるほど。そういえば、今日は高校の入学式だったのよね?」
「はい。小中学校の時と同じで、欠伸が出そうなほど退屈でした」
「あら、そうなの。まっ、式典行事というものは、そういうものよ。形だけのモノだから。――そっちのドレッシング取って」
「これですか?」
「ううん、もう一つの方。……はい、どうも」
剛志と和泉は、シソの葉のシルエットの上に「ノンオイル」という文字が書かれた瓶を受け渡しする。和泉は、キャップを親指で押さえつつ、軽くシェイクして下方に沈殿した液体を撹拌してから開封し、レタスの上にタプタプと注ぐ。
「形だけのモノなら、省略すれば良いのに」
「ところが、そうもいかないのよ。木崎くんも、大人になれば分かるわ」
「もう高校生ですよ? その気になれば、アルバイトだって出来る年齢です」
「まだ高校生なのよ。今は実感できないでしょうけど、二十歳を過ぎて、社会人になって、部下を持ったり自分の世帯を持つようになってからでないと、見えてこない世界があるの」
「そうかなぁ……」
角の丸くなった男爵芋をモゴモゴと咀嚼しつつ、剛志は腑に落ちない顔をして首を傾げる。同時に、和泉は話題を転換する。
「式の模様は、だいたい想像が付くから、良いわ。それより、担任の先生や同級生の様子を聞かせてよ」
「あっ、ハイ。二組の担任は、松原団地先生という人で、今年で三十一歳になるそうです」
「あら、私と同年代なのね」
「そうなんですか? あの、その、女性にこういうことを訊くのは、何か……」
歯切れの悪い調子で、剛志がヘドモドしだすと、和泉はピシャリと言う。
「二十八歳よ。今年で二十九になるわ」
「そう、ですか。どうもスミマセン」
「謝らなくて良いわよ。最近は、もう若くも無いんだって開き直ってるから」
居心地の悪い空気が、二人の間に流れる。ダイニングには、ときおりパリパリとサラダを噛む音と、ルーローの三角形をした掃除ロボットが走り回る微かな機械音だけが響き渡る。余談だが、定幅図形は三以上の奇数角なら成立し、英国の硬貨はルーローの正七角形をしている。
「まぁ、先生が私と同世代だということは、横に置くとして。クラスメイトについて聞かせてよ。無理に仲良くする必要は無いけど、うまくやっていけそう?」
「あっ、その事なんですけど。同じクラスの子と、それから一組の子と僕と、三人で同好会を創ることになりまして。いや、なってしまったと言った方が正しいんですけど」
「へぇ、面白そうね。部じゃなくて同好会なのは、人数が少ないからかしら?」
「はい。それと、まだ文化部として認可するに足るだけの活動実績が無いから、だそうです」
「フムフム。予算を引き出すには、やっぱり理由が無いと駄目なのね。なぁ~んだ。しっかり青春してるじゃないの。何の同好会なの?」
「それが、僕にも良く分かってなくてですね……」
和泉が、スプーンをスープ皿の横に置いて身を乗り出すと、剛志は、フォークをサラダボウルの端に置くと、入学式後の出来事を順々に話し始めた。