030「パンドラの引き出し」
「色気の無いスポーツタイプばかりね。こっそり紫の総レースを一枚、忍び込ませておきなさいよ。剛志くん、きっとドキッとするわよ」
「セクハラはやめて、お母さん。寄せる分も上げる分も無いんだから、これで充分よ」
「自虐ネタも、やめなさい。その歳じゃ、笑えないから」
「誰に似たと思ってるのよ。ホントに、イヤなところばっかり遺伝させるんだから」
リビングのローテーブルの上に乾燥機から出した洗濯物を山積みにし、それを一枚一枚せっせと畳みつつ、和海と和泉が丁々発止の口撃をしている。勝手知ったる実の親子だけあって、やり取りされる言葉に容赦が無い。下手すると、会話のデッドボールになりかねない勢いである。
「何よ、和泉。あんたが勝手にあたしに似たんじゃない。あたしは、ちゃんと育てたつもりよ」
「クローゼット一面に薄い本が詰まった段ボールを置いてる人に、キチンとした子育てが出来たとは思えないけど?」
「悪かったわね、貴腐人で。でも、それとこれとは関係ないから」
「どうだか。あの紙袋の中身が同人原稿だったら、そこからバラ撒いてやるからね」
部屋の隅に置いてある植木鉢の横に、エントランスで和海が持っていた紙袋が置いてある。和泉は、それを指差してから、指先をベランダへ向けて言った。
和海は、最後に残ったトレーナーを畳みつつ、和泉に負けじと言い返す。余談だが、トレーナーにはアメリカにある某有名州立大学のロゴマークがプリントされている。
「残念でした。夏の原稿は、六月に合否が出てから描く予定です」
「描かないという選択肢は無いのね。いい歳してるくせに」
「初心者向けの観葉植物ですら枯らす子に、とやかく言われたくありません。カポックが可哀想だわ」
「駄目にしたのは、元カレよ。枯らしたんじゃなくて、水をやりすぎて根腐れさせたのよ」
和泉は、畳み終わった洗濯物を両腕に抱えると、そのまま廊下へ向かい、ドアの向こう側へと姿を消す。
その間に、和海はソファーから立ち上がって土だけが残っている植木鉢の方へと歩いて行き、紙袋を一つ手に取って冷蔵庫に向かう。そして、紙袋をダイニングテーブルに置いて中から白いタッパーを取り出すと、それを持って冷蔵庫の扉を開く。
そこへ、自分の部屋に洗濯物を置いてきた和泉が戻ってくる。その足音が聞こえた和海は、タッパーを透明の棚に置いて扉を閉めてから、和泉に訊く。
「このミートスパゲッティーは、どうしたの?」
「あぁ、それなら、量が多かったから、晩に食べようと思って。――で、何で引き出しまで開けてるの?」
「抜き打ち検査よ。やっぱり、生鮮野菜が無いわね。食生活が乱れに、減点一点」
「全部で何点なんだか」
「謎の物体エックスを発見! これは何かね、マドマーゼル?」
「えっ。わたしにも分からないなぁ」
ポリ袋に入れられたまま、表面に霜が付くほどカチコチに凍った茶色の何かを手に、和海と和泉は、揃って首を傾げた。
この後、丸一日ほどバットに置いて冷蔵庫で徐々に解凍した結果、絞り袋に入れたバレンタインのチョコレートの残りだと判明するのだが、その前に、それどころではないことが起こった。




