022「三無い族は何時でも」
それから、二週間ほどが経過し、オオヤマザクラが薄紅の花弁をハラリと散らし始めた頃のこと。
「おはよう、花崎さん」
「おはようございます、先輩」
「おはよう、和泉ちゃん」
「おはようございます、課長」
いつもと変わらない挨拶を交わし、和泉はハンドバッグからペンや手帳などを取り出して机の上に置き、席に着く。壁に掛けられた時計は、現在時刻が午前九時少し前であること、現在の建物内外の気温、傘の必要性の有無などを表示している。
所内には至って平和でありきたりな時間が流れているが、世間では、ある話題で持ち切りであった。
「今朝のニュースはチェックした、春日ちゃん?」
「はい。ついに犯人さんたちが捕まりましたね。やっぱり、悪いことは出来ませんね」
「あら? あのハッカー集団、逮捕されたの?」
春日が久喜に携帯端末をヒラヒラと掲げて見せながら得意顔で言うと、和泉が初耳だとばかりに疑問を久喜にぶつけ、久喜は、それを意外そうに受け止めつつ、説明する。
「知らなかったの、和泉ちゃん。昨日の深夜に、偽造に使われた端末のアドレスが発覚してね。すぐに検挙されて、今朝一番に一斉逮捕されたのよ」
「それで、取り調べの結果、グループのトップは、硬貨のデザインに携わっていた職員さんだったことが判明したんですよ、先輩」
「なるほど。電子マネー『ダレン』への恨みが深そうね」
ひとまず、和泉が納得したところで、話は月並みの所感に移る。
「新京都中央銀行に行けば、いつでも円かドルに交換できるとされてるけど」
「都内や道内に居る限り、わざわざ取り替えてもらいませんよね」
「交換したところで、都内の小売店や公共交通機関では紙幣も硬貨も使えないからね」
「偽造にはコストと時間が必要で、発覚時のリスクと厳罰に釣り合わないわ。犯人はホント、おバカさんよね」
「あっけない幕引きでしたね、先輩」
「そうね。深夜に発覚したってことは、アドレスを調べ上げたのは、深夜労働を代替した人工知能でしょうね。マスコミとしても、ゴシップとしての面白味が無くなったと思ってるんじゃないかしら。――あぁ、この記事ね」
和泉が該当記事を発見した時、始業を知らせるチャイムが鳴り、三人は携帯端末をワイシャツのポケットやハンドバッグにしまい、机の引き出しから卓上端末を取り出して仕事を始める。
余談だが、新京都内では、深夜労働禁止条例として、小売店、工場等の給与による労使関係が発生する場では、理由を問わず、深夜十一時から早朝七時まで営業、ないし稼働をしてはならないことになっている。また、医療、警察、消防など、二十四時間勤務が望ましい職種については、人工知能を搭載したロボットが、深夜労働を代替することが、規定として厳守されている。
「いつだって、最新機器や新システムの導入に後れを取るのは、頭の固い中高年層ですね。――ホラ、またメッセージが来た」
和泉は、端末に表示されたローカルメッセージを見た途端、ウンザリとした表情で立ち上がり、久喜に一言告げる。
「いつものメタボさんからお呼ばれしたので、再履修させてきます」
「行ってらっしゃい。今度は『可』を取らせてあげてね」
久喜の返事を聞きつつ、和泉は、めんどくささを体現するような重い足取りで、別の部署へと移動していった。彼女の端末には「指定のファイルが開けません。出納課」というメッセージが届いたのである。




