016「遠映しにすれば喜劇」
「つまり、単行本が出る前に、連載を読んだ時点でしか分からないネタバレをしてしまったから、ということですか?」
「そうなのよ。しばらく、口を利いてくれなかったわ」
「ねたばれ?」
食後のホットドリンクを飲みつつ、和泉、春日の二人は、久喜の四方山話を聞いている。和泉がエスプレッソのデミタスカップを口元から離して要点をまとめ、久喜がソーサーに置いているロイヤルミルクティーのティーカップにティースプーンを挿して回しながら答え、春日がホットチョコレートのマグカップを両手に持ったまま疑問を浮かべる、といった調子である。
「話の結末や、大事な所を、先回りして教えちゃうことよ」
「あっ。それは、ガッカリしますよ。――せっかく楽しみにしてたのに、それを横取りしてしまったんですね?」
「そうなの。そこから、ずっとギクシャクしてるの。でも、悪気であった訳じゃないのよ? コミックス勢だと思わなかったし、ラストでしぬのが、まさか推しキャラだったとも知らなかったんだもの」
弁舌爽やかに嬉々として話す久喜に対し、春日は、再びクエスチョンマークを量産する。その様子を察した和泉は、久喜の話にストップを掛け、春日に説明する。
「理解できてないようなので、一度、話を止めますね。――最近は、ほとんど電子書籍化されてるから、ピンと来ないかもしれないんだけど、ひと昔前は、週毎や月毎に色んな漫画家の最新作品を一話ずつ集めた雑誌と、その後に一人の漫画家の作品を数話毎に集めた単行本の二種類があったのね」
「決まった日にちょっとずつ読みたい人と、決まった漫画家さんを一気に読みたい人がいたってことですか?」
「そういうこと。で、そうなると、当たり前だけど、連載雑誌の方が、単行本より先に話の展開が分かっちゃうわけ。ここまでは、良いかしら?」
「はい。映画館で観た人が、端末配信されるのを待ってるとは知らずに、最後まで教えちゃうようなものですね?」
「そうそう」
「あっ、そっか。春日ちゃんには、映画に例えればよかったのね」
取っ手に指を掛けて口元へと持ち上げかけたティーカップに、反対の手の指を添えつつ、久喜は納得する。春日は、その間に吐息でフーフーとホットチョコレートを冷ましながら一口啜ったあと、遠慮がちにもう一つの疑問を口にする。
「あと、おしきゃらが分からないんですけど。お香の話ではないですよね?」
「その伽羅じゃなくて、キャラクターの略よ。推薦して応援したいキャラクターのことを、推しキャラって言うの」
「はぁ、そうですか。専門用語なんですね」
「専門というより、業界かしらね。その世界を知らない人には、チンプンカンプンだけど、知らなくても困ることの無い言葉だもの」
そこまで言うと、久喜はジャケットの内側から携帯端末を取り出し、サッと時刻を確認すると、カップに残っている紅茶を飲み干してソーサーに置き、テーブルに置いてあるベルをチンと軽快に鳴らしてから、二人に言う。
「長々と昔話に付き合わせて悪いわね。もう良い時間だから、この辺でお開きにしましょう。――お会計、お願いします」
「一括ですか、それとも個別ですか?」
「一括で、お願いします」
久喜は、ホルターネックのジレとギャルソンエプロンをした店員に携帯端末を見せながら言うと、店員はエプロンのポケットから精算端末を取り出し、二つ三つ操作した後、縁に赤いライトが点滅した状態で携帯端末に近付ける。そして、ピピッと電子音がなると同時に、ライトが緑に切り替わって完了を知らせると、店員は型通りの挨拶をして立ち去った。
「ごちそうさまです」
「ありがとうございます、課長さん」
「いえいえ、どういたしまして。ちょっと、お手洗いに行ってくるから、ゆっくりしててちょうだい。――焦って飲んで、舌を火傷しないようにね」
「あっ、はい」
猫舌の春日に対し、久喜が注意を促すと、彼は荷物を置いたまま席を立ち、トイレに向かった。
「驚くほど、仕事にまったく関係ない私怨だったわね」
「そうですね。ビックリしました」
テーブルに残った和泉と春日が、のほほんと感想を述べている時、久喜は洗面所の鏡を見ながら、どこか愁いを帯びた表情で独り言ちていた。
「あの二人にはコメディータッチで伝えたけど、ホントは、そこに恋愛感情が絡んだ複雑なモノなのよね。――兎角に人の世は住みにくい」
有名な『草枕』の一節を呟いたあと、久喜は過去を濯ぎ落さんとばかりに冷水で顔を洗い、ハンカチでトントンと水滴を拭いながら再び鏡を見つめ、自然な笑顔を浮かべてから、二人が待つテーブルへと戻って行った。




