八話 剣鬼③
「あははっ、見てよこの顔っ。ビビリすぎでしょ」
「ふ、不条さん……くく、……これは、いくらなんでも……」
「……もうお前らとは絶対に遊園地には来ない」
写真に出されている顔を大いに笑われながら、不条は呟く。
あれからというもの、絶叫系のアトラクションに乗らされっぱなしとなった。いや、これ以上に命の危険な体験ならいくつもしてあるのだが、それとこれとはまは話は別。
しかも運のないことに、女性陣は全く怖がっていない。それどころか、楽しんでさえいる。その神経が不条には分からない。
「もう、そんなにふてくされない。人間、一つや二つ、苦手なものがあるものよ」
「……それに無理やり乗せて楽しんでるのはどこのどいつだ?」
「はいはい。じゃあお詫びに飲み物買ってきてあげるから。何がいい?」
「……コーラ」
「クロは?」
「ぼくはオレンジジュースで」
了解、といいつつ、シロは桂木と共に売店へと向かう。その後ろ姿はまさしくどこにでもいる姉妹そのものであった。あの二人、いつの間にあんなに仲が良くなったんだ? という疑問を思っているとクロが話かけてきた。
「すみません、不条さん。シロに付きあわせてしまって」
「そういうお前も楽しそうにしてたけどな」
「そう、ですか……?」
「そうだよ。何だ、お前ら遊園地来るの初めてか?」
「……そうですね。遊園地どころか、誰かと遊びに行くこと自体、初めてかもしれません」
何気ない言った一言にクロは苦笑いする。
「ぼくらは母親に育てられました。父親は知りません。物覚えが付く前からいませんでした」
それは【剣鬼】の社会では珍しくないことだという。ただでさえ【剣鬼】が生きにくい世の中だ。家族など持つと弱みを見せる形となるらしい。そんなことができるのは強力な力を持つ【剣鬼】がいるコミュニティくらいだという。
たとえば、この『鷹末』とか。
「正直、裕福な暮らしとは言えませんでした。けれど、ぼくはそれでもよかった。妹と母親と三人で暮らせていけば、それでいいって。でも母が病死して行く宛てがないぼくらのところに【研究所】の連中がやってきました。それが十歳の時のことです。それ以降は【研究所】の外には一度も出たことがありませんでしたから」
その事実は、正直予想していた。
だが、言葉として聞くと重いものだった。
彼らの不幸に、不自由に同情していないといえば嘘になる。だが、ここでそのことに言葉を並べるのは何か違う。
可哀想だな、辛かっただろう、苦しかっただろう。
そんな言葉をかけたところで意味はない。
だからこそ、不条は当たり前のことだけを口にする。
「なら、これからどこでも行けばいい。遊園地だろうが、水族館だろうが、それこそ外国だろうが、お前らの自由なんだからよ」
「外国は流石に……ぼくら、パスポート持ってませんし」
「そういう細かいツッコミは無粋だぞ……まぁ、その気になれば何でもできるってことだ。お前らにはその時間があるんだから」
そう。今までどんな人生を歩んできたか。それは些細なことだ。そこに縛られる必要性は微塵もない。
要はこれから先、どう生きるか、生きたいか。大切なのはそこだ。彼らにはそれをする権利と時間があるのだから。
そう、自分とは違って―――
「おやおや、これはおかしなことを言う。彼らが自由になることができると、君はそう言うのかね?」
不意に、全身の毛が逆立った。その声を聴いただけで、心臓を刃物でえぐられたかのような感覚に陥った不条は一切動くことができなかった。
全く気付かず、そして対処できなかった。つまりはそれだけの強者であるという事実。
勝てない。戦いを挑めば確実に負ける。
そんなどうしようもない事実を叩き付けられた気分だった。
「……誰だ、あんた」
「これは失敬。あいさつがまだだった。ワタシは桐谷刈也。【常世会】の幹部をやらしてもらっている者だ」
未だ相手の姿を見ることができない不条はその声音から大体のことを予想する。年齢は五十を過ぎた、というところか。落ち着いた言葉に声音から感じる蛇のような視線。こちらをいつでも殺せるといわんばかりな殺気。
相手の顔も見ないまま、ここまで追い詰められたのは生まれて初めてであった。
「こんなところではなんだ。場所を移動しようか」
「……んで、離れている間に残り二人を確保ってわけか」
「それはそちらの態度しだいだ。安心したまえ。彼女たちはウチの連中が見守っている。【研究所】の奴らに渡さない、ということだけは約束しよう」
それは見守っているのではなく、見張っているというのではないだろうか。
しかしここで反発しても意味がないのも承知の上。ここまで近づかれては上手く逃げることは無理がある。さらに他にも仲間がいると考えれば、例えこの後ろの男から逃げられてもすぐに追い詰められるのが関の山。
あらゆる意味でこれは詰んでいた。
「分かった。そっちに従おう」
言いながら互いに立ち上がり、向き合う。
やはりというべきか、相手は初老と言える外見で、猫背。髪は真っ白であり、まるで無数の蛇のような雰囲気を醸し出していた。手には袋に入れられた長物を持っており、それがなんなのかは想像はたやすい。
この男、やはり強い。
姿を見て、疑問が確信へと変わった。
「不条さん……」
「安心しろ……まずは話をしてから、そうだろ」
「話が分かる若者でなによりだ」
不敵な笑みを浮かべる桐谷に、二人はついていく。
*
そこは噴水がある広場だった。ベンチがいくつも存在し、この遊園地の中心部分ともいえる場所。
だというのに。
そこには不条達以外、誰もいなかった。
「その驚きようだと、『術』のことは知らないようだ」
「術……?」
「我々【剣鬼】が扱える神通力……ようは魔法みたいなものだよ。人間から身を隠すためには色々と小細工をしないといけないんでね。これもまたその一つ。人避けの術だよ。我々がドンパチするにはこれくらいの配慮をしないとすぐにバレてしまうからね」
「つまりは、今からここで俺とやると?」
「言っただろう。それはそちら次第だ、と」
あくまでこちらに選択権があるような言い回し。しかし、現実は違う。どうあがいても勝てないという圧倒的なまでの殺気を放っているのだから。
「……【常世会】っていうのはとんでもないところらしい。あんたみたいな奴が幹部なんだからな」
「それは褒め言葉として受け取っても?」
「どうぞお好きに……で、この場合何の用だって聞いた方がいいのか」
「わかりきっていることを口にするのは、それこそ愚か者のする行為……が、要件を言わない、というのはそちらに失礼にあたる。故に告げよう―――そこにいる少年、そしてあちらの少女を渡してもらおうか」
「断る」
即答であった。
「考えることもせず答えるのは些かどうかと思うが」
「考えるまでもないことだろ。【研究所】のトップとやらは元々あんたの同僚だろう? そこを信用できるとでも? それに、こっち殺す気満々な奴に素直にこいつらを渡せるか。何の因果か知らないが、俺はこいつらと関わった。なら、最低限の義理は果たすのは人情ってもんだろ」
「なるほど。道理だ。そこで人情を出すとは、中々青いな、君」
褒めているとも貶されているともとれる言葉に、不条は応えず桐谷から視線を離さない。一瞬でも隙を見せれば確実に間合いに入られる。そして、殺されるのは自明の理。
「しかしだね。それは彼らにそれだけの価値があれば、の話ではないだろうか」
その言葉の意味を不条は理解できなかった。
「どういうことだよ……」
その呟きに「やはりか」と桐谷は零す。
「そうだろうとは思っていた。【研究所】のことを知っていることから考えて、色々と話は聞いているのだろう。天堂が【研究所】を作り、そこで人体実験を行っていた、と。その程度のことくらいしか教えていないのだろう? なぁ、少年」
瞬間、クロの身体が震える。表情は青くなり、右手で左腕を掴み、震えを必死に抑えていた。
「自分達は実験場でモルモット状態にされていた哀れな子供……そういう風に装えば、なるほど相手が人間でも確かに自分達に優しくしてくれるかもしれないからな。いやはや、その演技力は大したものだ。人を騙すやり方は天堂から教えてもらったのかな?」
「おい、あんた。さっきから何を……」
「分からないかね? 彼らは君に嘘をついている、ということだよ。いいや、正確には大事なことを話していない、というべきか。どちらにしろ、意図的に君を騙していることには変わりないが」
言うと桐谷は噴水前のベンチに座り込み、話を続ける。
「ここで一つ問題を出そう。そもそも【研究所】とは何かね?」
「……天堂とかいう奴が自分の兵隊を作るために子供に人体実験を行っていた場所だろう?」
「近い。が、正解をあげることはできないな。基本的知識として、【剣鬼】の絶対数は人間に比べて限りなく低い。しかも最近だと人間と同じで少子化が進みつつある。そんな中、子供の【剣鬼】だけを見つけ出すことは容易じゃあない。そこは理解できるかね?」
桐谷の話が本当だとするのなら、確かに少なくなっている【剣鬼】の子供を見つけ出すことは難しいと言えるだろう。
「天堂が兵隊を作り出そうとした、それは事実だ。あの男は我々の組織を乗っ取るために自分を絶対に裏切らない部下を欲した。故に子供を選んだ。小さな頃から逆らわなによう育てれば、都合はいいからね。だが、子供の【剣鬼】を探し出し、そして連れ去ることは容易じゃあない。だから、奴はその少年を欲した。正確には、その少年の【妖刀】―――『天照』を」
クロの【妖刀】。その正体、能力を不条は知らない。
シロ曰く「使い物にならない」という代物であったがために、放置しておいた。いいや、そもそも【妖刀】の能力など聞く必要がないと感じていたのだ。
そのクロはというと。
「ぁ……」
か細いそんな声を出しながら、震えを抑えきれずにいた。
しかし、桐谷の口は止まらない。
「彼の『天照』の能力、それは斬った人間を【剣鬼】にする能力。人間を怪物にする能力だ。まぁ我々【剣鬼】からすればただの刀と差異はない。が、問題なのはここからでね。そも、人間が唐突に怪物になって、その身体は、その精神は、その進化に耐えられると思うかい?」
「それは……」
「事実を言おう。耐えられる者はいる。が、その数は全員じゃあない。こちらの調べでは君が行った実験の成功確率は五割だそうだね?」
成功確率が五割。
それは人外になった者が半分いたということであると同時、つまりは……。
「半分は死んだってことか……」
「そういうことだ。中には発狂したもの、精神障害を起こしたもの、人格的に破たんしてしまい、ほとんど別人になったものもいるだとか。そして、それらは全て十にも満たない人間の子供達だった」
つまり。
「……天堂とかいうクソは人間の子供を攫って」
「彼の【妖刀】の能力を使い、【剣鬼】を作っていた。そういうことだよ。そしてその少年も実験に加担していた」
不条はムラサキが言っていた言葉を思い出す。クロは天堂のお気に入りで、彼がいないと計画に支障が出る、と。
クロの『天照』が無ければ天堂は自分の部下を増やすことはできない。だからここまで大事になってもクロを求めているというわけだ。
「さて。ここまでの話を聞いた上で問わせてもらおうか。何の罪もない子供を【剣鬼】にし、その過程で幾人もの犠牲にした。脅迫させられたか、それとも何か理由があるのか。どんな事情にせよ、彼が子供達の人生を狂わせたことには変わりない。そんな者が自由を手に入れられると君は言うのかね? そしてそんな大事なことを隠していた者を君が守る必要があるのかね?」
桐谷の言葉に、不条は何も言い返さない。
それを見てクロは当然だろうと心の中で呟いた。
桐谷の言葉は事実だ。どんな形であれ、自分が天堂に手を貸していたこと、そのせいで子供達の人生を台無しにしたこと、そしてそのことを不条に黙っていたこと。言い訳の余地なく、真実である。そんな奴を守る価値があるかどうかと言われれば、言うまでもない。
見限られても仕方がない。
見捨てられても文句は言えない。
ただ、一つ後悔があるとすれば。
(この人には、嫌われなくなかったな……)
【研究所】から出て初めて出会った人間。被害者と加害者という立場であったにもかからず、自分や妹に親切にしてくれて、時には助けてもらった恩人。一緒にいるとどこか楽しかったことは事実であり、だからこそこの人には知られたくなかった。嫌われたくなかった。
その傲慢さがこの現状を作り出した。
当然の報い。自業自得。
そして、罵詈雑言が飛んでくるのを待っている中。
「クロ」
不条は振り向かないまま、質問を投げかける。
「一つだけ聞かせろ。お前は、自分が【剣鬼】にした子供の顔を覚えてるか?」
その問いに、クロは小さくうなずいた。
「その事を後悔してるか?」
再び、クロは頷く。
忘れられるわけがない、後悔してないわけがない。自分が殺し、狂わせ、台無しにしてきた者達をどうしてなかったことにできようか。
「そうか……なら、いい」
「え……?」
あっけからんとした答えに、ついそんな言葉が口に出た。
自分がしたこと、そして黙っていたことを知った上でこの人が呟いたことはたったそれだけたった。
それに驚いたのはクロだけではない。
「……どういう意味かね、それは」
眉間にしわを寄せながら桐谷は呟く。
「そのままの意味だ。自分が悪いことをこいつは自覚してる。子供が悪いことをして反省してるのなら、それで充分だろ。それだけ聞ければ十分だ」
「反省していれば、後悔していれば、それでいいと? 随分傲慢な考え方だな」
「馬鹿言うな。それで全て片付くわけがねぇってのは理解してる。こいつは、これから先、どんな人生送っても、その後悔から逃げることはできねぇ。一生それを背負い続けなきゃならねぇ。だが、それがつまりこいつが幸せになっちゃいけない理由にはならねぇだろうが」
自分の意思であろうがなかろうが、人を殺せばそれは罪だ。だが、それがつまり彼が自由になれないという理屈に当てはめるのはまた別の話。
「人は誰だって間違いを犯す。そしてやり直せるチャンスがある……とは言わない。だが、それでも自分の罪を認めている子供が明日を求めるくらいの権利はあるだろうが」
それに。
「人殺し云々がどうのこうのと、互いに言えた義理じゃねぇだろ」
「……なるほど。それくらいの力量は分かる、というわけか」
言うと、桐谷は持っていた袋を開き、中から日本刀を取り出す。
「もう一度聞くが、彼を素直に渡す気はないのかね?」
「何度も言うが、お断りだ。一度助けた奴をみすみす敵に渡すかよ」
「敵、か。君は我々をそう断ずるかね」
鯉口が開かれ、鋭い刃がその姿を現す。
「―――相分かった。ならば、こちらは君を切り伏せるまで」
刹那。
息をつく間もないまま、日本刀と短剣がぶつかり合い、凄まじい衝撃が走ったのだった。