五話 双子⑤
はっきり言って、不条は状況が全く理解できていない。
双子が不条の部屋から持ち出した短剣を返してもらうために、街中を探し回ってみれば、この有様である。
日本刀を持った三人の子供に双子が襲われていた。
文字にするだけでもとんでもない内容だ。というより、銃刀法違反が存在する現在の日本ではまずありえない光景だろう。
「おい、大丈夫か……って聞くまでもないよな」
シロとクロの状態がよろしくないことは見た目からして歴然。シロは大量の汗をかきながら倒れており、クロにいたってはまるで上から何かで押しつぶされているかのように足元がふらふらだ。
「……お前らがやったのか?」
「そうだよ? 本当なら無傷で連れて帰るつもりだったけどね。抵抗するから【妖刀】の力を使わざるを得なくなったってわけ。といっても、おじさんには意味が分からないと思うけど」
「【妖刀】の力?」
何だ、その不思議設定は……とツッコミを入れたいところだが、そうもいかないのは現場を見れば百も承知。
ただ事ではないのを理解した上で不条はムラサキに言い放つ。
「何だかよく分からないが、つまりはお前らをどうにかすれば、そいつらは元に戻るってわけか。わかりやすいな」
「え……」
「何、を……考えて、るの……」
高熱の中、途切れとぎれの言葉を必至に口にしながらシロは不条に対し言う。
「馬鹿な事、言ってないで、さっさと、逃げなさいっ。あれは、あなたが、考えてるような、普通な奴なんかじゃ……」
「分かってるよ。この状況であいつらが日本刀持ったただの猟奇殺人者だとは思ってない」
「だったら……」
「けどな」
と強く言葉を切りながらシロに向かって言い放つ。
「子供が目の前で倒れてるのに、何もしない大人はいねぇだろ」
それだけ言い終わるとクロから自らの短剣を返して貰った上で再びシロの方を向く。
「安心しろ。何も策がないってわけじゃねぇよ。これが終わったら人のモン勝手に盗んだ説教する覚悟しろよ」
軽口を言う不条に対し、未だ何か言いたげなシロだったか、高熱のせいか、それ以上は何も言わない。
それを確認すると、不条はムラサキの方を向く。
「さっきから変な事言ってるけど、おじさん、なんなの?」
「だからさっきも言っただろう。ただの無職だよ」
「へぇ……この状況でその余裕。度胸はそれなりにあるみたいだね」
「別に度胸があるわけじゃねぇし、余裕もないんだがな」
子供とはいえ、刃物を持つ三人が目の前にいて余裕もなにもない。そも、武器を持った相手に油断などできるわけがない。
「それで、その通りすがりの無職が、何かよう? こっちは忙しいんだけど」
「何かよう、と言われててもな。子供同士の喧嘩なら別に問題はなかったんだが、日本刀持ってたら流石に話は別だ。こんな状況、放っておかねぇだろ」
「なるほどね。道理だ。でもさぁ、おじさん。自分が道理から外れた世界に足を突っ込もうとしている自覚ある?」
ムラサキの言葉に不条は表情を変えない。。
「見たところ、二人とは知り合いのようだけど、何も知らされていないよね。【剣鬼】のことも、その二人のことも。そして、彼らが何から逃げているかということも。まぁ当然か。知っていれば二人を助けよう、なーんて馬鹿な考えは起こらないだろうし」
「お前、さっきから何を言って……」
「あー察しの悪いおじさんだね。今なら見逃してやるからさっさとどっか行けっていってんの」
ゾワリ、と何かが背中を這い回った。それが悪寒と呼ばれるものだと気付くのに時間はかからなかった。
殺気。普通では感じ取れないそれをこんな子供から嫌という程伝わってくる。
それを受けてなお、不条は口を開いた。
「この状況で見て見ぬフリなんて、できるわけねぇだろ」
「理屈で言えばそうかもしれないね。でもさ、人間って結局そういう生き物でしょ? 自分の命の危険があるのなら他人の危機を見て見ぬフリをする。でもさ、それを誰も責めることはできないし、それが普通でしょ。だって、人間って弱い生き物だもの。他人を騙して、貶して、陥れて、時には殺して、そうやらないと生きていけないどうしようもない生き物。ぼくら【剣鬼】とは違った貧弱な存在。なのに、変だよおじさんは」
ムラサキの言い分は尤もだった。
他人のために命を張る。それは素晴らしいことだし、感心すべき事柄だ。だが、それも結局はきれいごと。本当に自分の命が危なければ人は平気で人を裏切るし、傷つける。何より不条はそれを知って言えるのだから。
「そもそもさー、おじさんにとって二人は命を張るに値する存在なの?」
即答できない不条に少年は言い続ける。
「多分だけど、何らかの形で巻き込まれただけなんでしょ。偶発的か、それとも意図的なのか。それは分からないし興味ないけど、おじさんが巻き込まれたのはおじさんの意志じゃないってのは分かるよ。だったらさ、これ以上関わる理由はないじゃない。だっていうのに、今度は自分の意思で助けようとしてる。それって勇敢じゃなくて、ただの馬鹿だって理解してる?」
一々が正しく、言い返す言葉もない。反論する余地はみじんもないためか、不条は別の話題を振る。
「……一つ、聞かせてくれ。お前達にあの二人を渡したら、あの二人はどうなる?」
その問いにムラサキは「うーん」と唸りながら答えた。
「さぁ? でも激しい拷問が待ってるんじゃない? その二人は天堂様のお気に入りだけど、あの人はは裏切りを許さない。そこの二人……特にクロは天堂様の計画に必要不可欠だから殺されはしないだろうけど、ただで済むってわけにもいかないだろうね。二度と逃げられないように両足を切断した上で、死ぬ直前までの苦痛というのを何度も味わい、最終的には精神崩壊を起こすか、こっちの言葉に従うだけの木偶人形になるか……どっちにしても感情というものはなくなるんじゃない? でも、その方がいいのかもしれないよ? そうしたら今度こそ【研究所】から出るなんて馬鹿な真似は考えないだろうし、変な奴に妙なことを吹き込まれても希望を持ってその先の絶望を味わう必要もないんだから」
淡々と告げられる有り得ない非道。
人間としてどうかしているその内容はもはや聞くに堪えない。たった二人の子供にそこまでするのかと不条の胸に熱い何かがこみあげてくる。
そうだ。これは怒りだ。久しく感じていなかった憤怒の感情。
不条は自分がどうしようもない人間だということを自覚していた。夢も無く、仕事も無く、彼女もなく、かといってやりたいこともなく、ただ惰性のままに生きている、どうしようもない男。
だが、そんな男だったとしても、憤りを感じてしまう。
たった一度宿を貸しただけの間柄。それも脅迫された上でのもの。そんな少しだけの、ほとんど赤の他人同然の自分がこんな感情を抱くのは間違っていると言われても仕方ないかもしれない。
それでも、それでもだ。
もはや不条にこの場から逃げ出すという選択肢は存在しなかった。
「なら……やることは決まってるな」
言いながら、拳を構える。無論、その先にいるのは不機嫌な顔をしたムラサキであった。
「おじさん、人の話聞いてた? それは、賢い選択とは言わないよ」
「当たり前だろ。自分が他人とは違う、おかしな奴だってことくらい理解してるよ。そこまで馬鹿じゃないんでな」
だが。
「それでも、子供が助けを求めてるのを見て、黙ってられるほど屑になった覚えもない」
鋭く、そして意志の籠った言葉。
その瞳に、その覚悟に、ムラサキはただ一言。
「ふーん、あっそ。なら……さっさと死んじゃって」
短く、冷たく、最低限の言葉と同時、ムラサキが迫っているが分かった。気づくと既に刃が届く間合いまで詰めていた。
瞬間、再確認する。ああ、この子供は本当に『普通』ではないのだと。
あまりに速く、あまりに鋭いその動きはもはや人間のソレではない。明らかに人外じみていた。恐らく、銃を持った相手すら彼は銃弾を放つ前に斬り捨てられるだろう。それだけの領域に彼はいる。
ムラサキはこう思っているのだろう。無手の相手に自分の攻撃を躱すことなどできない。そして、受けきることなどできない、と。そもそも、相手はただの素人。何もできないはずだ、と。故に勝利を確信しているのだろう。
だからこそ。
「【ネイリング】」
次の瞬間、いつの間にか握られていた短剣によって日本刀が止められたことに驚きを隠せていなかったのだ。
「なっ!?」
「どうした? 何をそんなに驚いてやがる?」
日本刀と短剣の鍔迫り合いの中、不条は口を開いた。
「その驚きは短剣が握られていることか? それとも短剣で受け止めたことか? 前者はともかくとして、後者に関しては、そうだな。確かにリーチはそちらの方があるのは確か。だが、こちらは短い分、小回りが利く。普通の剣なら無理な動きも、こいつならできるってわけだよ。例えば確実に入る一撃を寸でのところで止める、とかな」
通常の短剣なら不可能かもしれない。そもそもリーチが短い短剣で日本刀の一撃を受け止めるだけでも針の穴に通すぐらいの芸当だ。それを軽々と、まるで呼吸をするかのようにやり遂げた不条に少年が目を見開くのも無理はなかった。
「あんた……何者だ」
「言っただろう。通りすがりの無職だよ!!」
刃と刃が弾きあい、二人はそのまま後方へと飛ぶ。
「アオイ、アカリッ!!」
瞬間、不条の背後を二人の刃が捉える。こちらも動きはいい。剥き出しになっている刃は迷いなくこちらを狙っている。
そして、あと一歩、あと数センチという距離まで迫っていた所で。
不条の回し蹴りがアオイに炸裂する。
「っ!?」
声もあげず、しかして苦悶の表情を浮かべたアオイは真横に吹き飛び、アカリを巻き込んだ状態でコンクリの壁へと激突する。激突された壁には複数の罅が入っていた。
しかし、二人は口から少量の血を流しながらゆっくりと立ち上がり、再び剣を構える。
「今のを受けて、立ち上がるか。頑丈だな」
しかし。
「血が流れてるってことはダメージはあると見える。なら、それだけで十分だ」
「何が、十分だっていうんだよ」
「お前らは不死身の化物でも、無敵の怪物でもない。傷つきもするし、痛みも感じる。なら俺でも倒せる。その証明になったってことだよ」
「ほざくな、人間風情か!!」
剥き出しの敵意と共に、今度は一斉に飛びかかってくる。
確かな殺意を持つ凶刃を前に、しかして不条は未だ表情を変えない。笑みを浮かべるわけでもなく、苦しい様子を見せるわけでもなく、淡々と彼らの攻撃に対処していく。
上からの一擊を身体を半回転させながら避け、左からのひと振りは短剣で弾き飛ばし、脚を狙う突きはまるで天狗の如き跳躍で躱す。
回避し、防御し、弾き、躱す。それの繰り返し。その中で短剣を自由自在に操る姿はまるで大道芸そのもの。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
「死ねって言ってるだろうがぁっ!!」
掛け声に合わせながらのムラサキの一撃は、速く、強く、そして重かった。
しかし、そんな一撃を不条は片腕の短剣で軽々と受け止める。
「どうした? さっきより威力が落ちてるぞ」
くっ……!? と苦い顔をするムラサキとは裏腹に、不条の表情に変化は無く、汗一つとしてかいていない。そしてそのままムラサキの剣を弾き飛ばす。
ムラサキは諦めず、再び剣を振り上げ、そして降ろす。そんな単純な作業ではあるが、常人からしてみれば一瞬の速さでやってのけてしまう彼の腕力は凄まじいものだと認めざるを得ない。
しかし、それでもムラサキの刃は不条に届かない。そして、それはアカリやアオイに至っても同じである。
不条は攻撃を未だにしていない。ムラサキ達が刀で襲いかかり、不条がそれを受け止めるか、受け流す、はたまた回避するか。それだけだ。その事実がムラサキをイラつかせる。彼は、自分がまるで子供のようにあしらわれていることが許せなかった。しかも相手はただの人間であることがより一層に腹立たしい。
だが、どれだけムラサキがイライラしようと、腹を立てようと、届かない。
一方は攻撃し、一方は防御、回避する。そんな『作業』とも言えるような行為がもう何度も繰り返されていた。
攻撃を受ける度に、衝撃が腕を伝って全身に駆け巡る。だが、それは片手で受けれないほどのものではない。
重くないのだ。
別に彼らの剣が軽いというわけでも、彼の一撃が弱いというわけでもない。むしろ、常人離れしていると言っていいだろう。
だが、それでは足りない。足りないのだ。
一方でシロとクロはその様子を目を丸くさせながら観ていた。
「どうなってるんだ……」
その疑問は当然だろう。相手は【研究所】が送り込んで来た者達だ。いや、それ以前に【剣鬼】だ。そして彼はただの人間。それは間違えようもない、事実。だというのに、そうだというのに、何故ああまであしらえるのか。しかもそれだけではない。不条は未だかすり傷一つ負っていないのだ。
最初から知っていた……というわけではないだろう。恐らく実力者ゆえのその嗅覚で「斬られたらまずい」と感知し、今に至っているのだろう。
剣術に疎いクロにですら分かる。不条という男の底知れない強さが異常であることを。
そして幾分かの時が流れた。
ムラサキ達の息は完全に上がり、肩で呼吸しているのに関わらず、不条は未だに表情も呼吸も変化がない。
「くそ……何で、何で!! ただの人間にどうして傷一つつけられないんだ!!」
「さてな。そっちの技量不足だろ、それは……。いや、この場合は経験不足か。お前らが相当な訓練を受けてきたのは剣筋を見れば分かる。だが、応用力が無い。一擊にこめる力が全力過ぎてその先が見えていない。騙し、誘い、先読むということがまるでない。だから簡単に剣筋が読めてしまう。そして何より、複数で戦うということになれていない。さっきから互いの呼吸がバラバラだ。そんなに乱れてちまったら、複数という利点が全く生かしきれていない。むしろ、邪魔になってる」
「黙れ!! 人間如きの枠でボクらを語るな!! そんなことしなくてもボクらは強い!! だから……」
「敗けない、と? 確かにスペックの差は認めよう。お前達は人間以上に頑丈で腕力があって、素早い。だが、その程度は技量と経験で埋められるものだ。ま、俺の場合、ほとんど後者で埋めているようなものだが。それでも、お前達に傷をつけられるとは思わんが」
「この……舐めるな!!」
刃が前へと動く。
言葉にしてみれば単純なものだが、実際のそれはそんな生易しいものではない。
一瞬、本当に一瞬の一突き。何メートルもの間合いをムラサキは即座に詰め、そして放つ。そこには、微塵も迷いなどという言葉は存在していなかった。殺すということにためらないがない。
だがしかし、感情に身を任せたものでは隙だらけであり、当たらなければ意味がない。
「いい一撃だ」
声がしたのは、前方。
もっと詳しく言うのなら、日本刀の上に両足で立っている不条のモノだった。
「こうやって人が乗っても動かず揺らがず崩れない腕の力に、体の姿勢。それに関しては評価しよう」
言うが早いか、その言葉に激怒したムラサキは、不条を振り払う。だがその瞬間、一瞬だけだが彼の視界から不条が消える。
どこへ行ってしまったのか、その疑問の答えが出る前に。
「とはいえ、子供が刃物を振り回すのはやっぱり見過ごせないからな」
「後ろ……!?」
「これでちょっとは反省しろっ!!」
振り返ると同時、ムラサキの顔面に拳が叩き込めれた。そしてそのまま数メートル程吹き飛ばされ、地面へとダイブする。無防備だった顔面を狙われたせいか、完全に意識を失っている。
そんな彼の傍に他の二人がかけつける。
一方の不条はとういと。
「いっつつ……やっぱ硬いな……」
右手首を回しながら、そんな事をつぶやいていた。
「おい、そこの二人。今日のところは取り敢えずここら辺でやめとけ。でないと……これ以上は流石に笑えなくなる」
それがどういう意味なのかは、言わなくても理解できるだろう。現に言葉を口にすることはなくとも、アオイとアカリの二人は顔を合わせた後、こちらに頷き答えた。
そしてそのままムラサキに肩を貸した状態で跳躍し、去っていく。
「最後まで無言だったな、あの二人」
兄妹、というわけではないだろう。それにしてはあまりにも似ていない。
けれど、彼らが何らかの理由で口が利けないのは理解できた。そしてその上で感情がないわけではない、というのも同時に分かった。
向こうの姿が完全に無くなったのを確認すると、不条も短剣を懐にしまう。
「取り敢えず、一難は去った、みたいだが……」
振り返り、意識を完全に失っているシロとクロの姿を見ながら。
「……どうしようか、これ」
そんなことを呟いたのだった。
*
「……で、何でこういうことになるんだよ」
デジャヴ、という言葉がある。
この光景は見たことがある、体験したことがあるといった、まぁ一度味わったことがあるというものなんだが、不条は今まさにその状態に陥っていた。
簡潔に言うのなら不条は自分の車の中にいた。そして助手席に銃口を向けているシロがいて、後部座席にはそれをオロオロと言わんばかりな表情で見ているクロがいた。
「説明が必要かしら?」
「ああいるね。必要だね。ちゃんとした説明を求めるね」
「そう、言わなきゃ分からないのなら良いわ説明してあげる」
笑みを浮かべているシロではあるが、その額には青筋がたっているのが目に見えて分かる。そして何より目が冷たく感じる。
「さっき、あなたはわたし達を助けてくれた。その実情がどんなことであれ、それは感謝してます。本当なら、わたしだって命の恩人に銃口を向ける、だなんてことはしたくないのよ」
「なら……」
「問題は、その後よ」
その後。つまりはムラサキ達と戦った後の話ということか。
しかしそうは言われても何もおかしなことをした覚えはないのだが。あの場にいるのはまずいと思って、自分の車に乗せ移動した。それだけだ。警察にも通報していないし、病院もまずいと思って行っていない。だから独断で治療を……。
と、そこで思いつき、納得する。
「……もしかして勝手に服を着替えさせたことに怒ってるのか?」
その言葉にシロの形相が強張る。
今の二人は最初に会った時とは違い、サイズが合っていないシャツに上からパーカーを着るという感じになっていた。
「いや、だけどそれは仕方ないだろ。治療するには服は邪魔だったし、血まみれの服を着させるわけにもいかないし……幸い、俺の着替え積んでたし」
「……、」
「そりゃあ、俺だって流石にどうかとは思ったさ。女の服を勝手に着替えさせるのはまずいとは理解していたぞ? でもな、それでも緊急時だったんだ。心肺停止の奴に電気ショックやるときだって服は邪魔で切るだろ?」
「……、」
「けどまぁ実際は知らない間に男に服を着替えさせられたお前の怒りも分からんことはない。だからここは素直に謝る。すまんかった」
「…………うぅぅっ」
「ちょ、待て待て待て。何でそこで泣く!? ちゃんと謝っただろ、な? もしかしてあれか? あの服気に入ってたりしたのか? いや、一応捨ててはないぞ、安心しろ!!」
「違、う……そんな、んじゃ、ない……」
既にこちらに銃口は向いていない。顔を真っ赤にしながら両袖で涙を拭っていた。
「見られた、こと、ないのに……男の人には、誰にも見られたく、なかったのに……」
ポツリと呟くその言葉に理解する。
シロもなんだかんだと言ってまだ子供なのだ。それも見た目からして、思春期真っ盛りな少女。だとするのなら、男に勝手に着替えさせられた、というのはあまりにショックなことなのだろう。
その姿を見て罪悪感がさらに高まった不条はポケットからハンカチを取り出す。
「ほら、もう泣きやめ。これ貸してやるから」
「ふん……誰の、せいだと思ってんのよ。人の裸見といて、平然としてるし。デリカシー全くないし。絶対彼女いたことないでしょ」
「ほっとけ……」
事実ではあるが。
「……はぁ。もういいわ。泣いたらちょっとすっきりしたし。理由が理由だし、もうこれ以上は何もいわないわ。だからあなたもこの件は蒸し返さないように」
「了解。心に刻んどくよ」
流石の不条もこれ以上女の子を泣かすような真似はしたくない。
「それにしても、傷は大丈夫なのか? 深くはないとはいえ、やっぱり病院に行った方がいいんじゃないか?」
「逃亡中の身で病院行く馬鹿がどこにいるのよ。それにこれくらいの傷、人間ならともかく、わたし達なら大丈夫よ。包帯巻いておけば一日、二日で完治するわ」
わたし達、というのが何を意味するのか。それはまるで人間ではないような言い方に不条は問いを投げかける。
「【剣鬼】、ね。まさかこんなご時勢にんなもんに遭遇するとはな。っていうか、そもそもなんなんだ、その【剣鬼】ってのは。まさか、昔話とかで出てくる鬼とかじゃねぇだろ?」
「その鬼よ」
「……まじか」
冗談半分で言った言葉が本当であることがこんなに衝撃的だったとは。
「まぁ正確に言うなら【剣を持って斬る鬼】って意味だけど。見た目は人間みたいだけど、人間よりも身体は丈夫だし、傷の治りも早い。まぁ個人差はあるわ。で、わたし達【剣鬼】の最大の特徴は、それぞれに特殊な力を持つの刀【妖刀】を持ってるの。さっきのあいつみたいに」
ふと、シロが手を前に出すと、彼女の手に短刀が出現する。
「この【妖刀】は対象を切ると能力が発動するの。言ってしまえば呪いをかける魔剣、みたいなものね。アオイの『金剛』なら相手の体重を操れたり、アカリの『真紅』なら相手の熱を操ったりとかね」
「なるほどね。ちなみに、俺が気絶させた奴のはどんなものなんだ?」
「ムラサキのは斬った相手に毒を与えるものよ。麻痺毒とか即死の毒とか、種類はあいつ自身が決められるみたいだけど」
「そりゃおっかないな。……ってことはお前らの【妖刀】も能力を持ってんのか? ならそれで戦えば良かったんじゃね?」
「私の『清正』は斬った相手の傷を治す能力なの。だから戦闘向きじゃないのよ」
なるほど。そりゃそうだ。戦っている相手の傷を癒すなんて、それこそ愚かとしかいいようがない。
「じゃあクロのは?」
「さりげなくもう呼び捨てなのね……クロのはもっとだめ。面倒だから省略するけど、私以上に使い物にならないわ」
「ひどいよ、シロ……」
「事実なんだからしょうがないでしょ」
などと言われる程、クロの武器は使い物にならないらしい。
「それで? 同じ【剣鬼】にどうして追われてるんだ?」
「……【研究所】ってところから逃げてきたのよ。わたし達みたいな子供の【剣鬼】が集められてて、そこでいろんな実験をされてるの。肉体強化されたり、鬼としての能力向上とかいって薬物を投与したり、その成果を見るためにお互いに戦ったり、まぁロクでもないところよ」」
それはまた、映画等でよくある展開だ。
「よくそんなところから逃げられたな」
「手引きしてくれた人がいるのよ……まぁその人はわたし達を逃がす時に殺されちゃったけど」
さらりと告げられた事実に納得と驚きが混ざり合う。こんな子供二人が簡単に逃げられるわけがないとは思っていたが、彼らにとってはあまり思い出したくないことでもあるのだろう。
「……すまん」
「いいのよ……問題なのはその人が外部の人間……【特務係】って連中とコンタクトを取ってたけど、肝心の【特務係】とわたし達はまだ連絡が取れてないのよ。連絡先は分かってるんだけど……」
「どこかで合流するとか、そういう約束とかはしてないのか? っていうか、だったら何で昨日ウチの電話使わなかったんだ?」
「それは……」
「よくあるじゃないですか。電話した場所から足がつくって。シロは不条さんの電話を使うと迷惑がかかるんじゃないかって思ったんですよ」
「……余計な事言わないでくれる、クロ」
クロの言葉にシロへと一瞬視線を寄せる。ムスッとした表情で窓の外を眺めており、頑なにこちらを向こうとしていない。だが、それがつまりは答えでもあった。
それを理解した不条は微笑しながら己の携帯を取り出し、「ほれ」と言ってシロへと投げる。
「それ使えよ。連絡先、分かってんだろ?」
「……でも」
「今更巻き込む巻き込まない、なんて話はナシだぜ。こっちはもう巻き込まれてんだ。というか、このまま何もしないではいさようならってできる程、俺の神経図太くないんだよ。それにこれから先のことを考え得ると、俺もその【特務係】とやらに会っておきたいしな」
不条は既にクロとシロを追いかける敵と戦っている。彼らが何者なのか、知る権利は自分にはあると思うし、知っておかなければ今後どうするかの指針も立てられない。そもそも、もう敵対の意思を示しているのだからこのまま二人と別れても厄介事に巻き込まれるのは目に見えている。
「……分かった。けど、その前に聞きたいことがあるわ……あなた、何者?」
「不条斬雄。二十五歳。独身。趣味無し。彼女無しのただの無職……じゃあだめか?」
「だめよ。ただの無職が【剣鬼】と戦えるわけがないじゃない。一緒に行動するんだから、ある程度の事は知っておきたいの」
尤もな意見。これには流石に反論できない。何せ、ここで嘘をつけば怪しまれるのは当然のこと。故に真実を述べるのが一番である。
「そうだな、じゃあまずはこいつの自己紹介からさせるか……」
そう言って懐から取り出したのは先程の短剣。それをペットボトル立てに起くと。
「起きてるか、ネイ」
誰に話しかけたのか、シロとクロは一瞬理解できていなかった。
だが。
『ああ? んだよ、せっかく人が心地よく寝てんのに邪魔すんな、マイマスター』
突如として短剣が喋り出したのを聞いて納得と驚愕が一度に彼らに訪れた。
腹話術? そんなものではない。それは確かに短剣から発されたものであり、決して手品などの類ではなかった。
「ったく、人がさっきまで死ぬような思いしてたってのに、そっちは呑気に昼寝か」
『仕方ねぇだろ、それ以外やることないんだしよ。大体、死ぬような思いっていっても、全くそんな気なかったじゃねぇか。どうみても子供相手にお前が大人気ない対応してる風にしか見えなかったぞ』
「大人げないじゃない。大人な対応だ」
『子供の顔面殴ってよく言うぜ。こっちじゃそういうの、虐待っていうんだろ?』
「あの場合は正当防衛だ。まぁ、最後の一発に関してはやりすぎたかな、とは思って反省してるが」
『やっぱ自覚あるじゃねぇか。流石はマイマスター。ダメ人間の鑑だなぁオイ』
「お前だけには言われたくない……っと、ああ悪い。こいつの名前はネイリング。見たとおりの喋るヘンテコな剣だ。で、まぁ俺の正体についてなんだが……」
と語りだそうとする不条に生唾を飲みながらシロとクロ。
そして二人が聞いた答えは。
「なぁ、異世界召喚って知ってるか?」
そんな、耳を疑うような事柄だった。
今日はここまでです。