十八話 逆襲③
一言で言うと不自然だった。
船内に侵入した不条達は当然その姿を見られないように注意していた。隠れながら少しずつ進んでいくやり方は面倒ではあるが、しかしこちらはあまりにも少人数。戦闘は避けたかった。
だが、いざ船内の中へと入るとあまりにも見張りの数が少ない。見かけたのはせいぜい一人や二人。外では桐谷が戦っており、その応援へ行っている者もいるだろうし、そもそもにして【研究所】の連中は数が少なくなっているとも聞いていた。
しかし、妙なことはまだある。鍵がかかっていない部屋がいくつもあったのだ。そして、シロやクロが今どこにいるのかもすぐに分かった。
戦う事無く場所が分かった。
それはこちらに都合がいい……いや、良すぎる展開であった。
これがどういう意味を示しているのか、不条はもちろん、桂木も理解している。しかし、その上で彼らは足を止めない。
そして。
「おやおや。思ったよりお早い到着だ」
船の甲板。そこで座っている男―――天堂がいた。誰が用意したのかわからない椅子に腰を掛けたままの状態でこちらを見ている。
そして、その隣には両手と口を縛られて転がされているクロ、そして――身体中があざだらけになっていたシロがいた。艶のある白い肌にはいくつもの打撲痕があり、口や鼻からは血が出ている。
「シロさんっ!?」
声を上げ、すぐにでも駆け寄っていきそうな桂木をしかして不条は手をだし制止する。
その表情を憤怒の炎で燃やしながら。
「……テメェ」
「ん? ああ、これですか? 何、不思議なことではないでしょう。彼らは勝手に私の手元から離れていった。その制裁を加えるのは当然でしょう? 何もお咎めなし、となってしまっては今後も彼らのような愚かな子供が出てくる可能性もありますから」
それは困るんですよ、とまるで世間話をするかのように話すその口調、そして性格。やはりこの男はイカれているとしか思えなかった。
「安心して下さい。彼女を殺すつもりはありませんよ。彼女の【妖刀】はクロ程ではないにしろ、大事な駒ですからね。外に出していたゴミ共とは違いますから。全く……貴方を痛めつけてここに連れてこいという簡単な命令すら実行できないとは。やはり、ゴミはどこまで行ってもゴミですね」
「ゴミ、ですって……?」
桂木の言葉にさも当然の如く答える。
「ええ、そうです。所詮は元人間。訓練させてきたものの、こうも使えないとはがっかりです。もっと教育面で改良の余地がありますね。もっと人格面を破壊し、こちらの命令に忠実に従うようなものを作らなければ」
「貴方は……貴方は、一体、何なんですかっ」
「鬼ですよ? 貧弱な人間さん。我々は君らとは違う存在だ。君らの尺度で測られても困りますよ」
悪びれもせず。
心苦しいという感情が欠片もない。
鬼畜外道。その言葉がこんなにまで似合う人間を桂木は知らなかった。
「しかし、妙ですね……いくら使い物にならないとはいえ、数だけは揃えたはずだ。あの数を無傷で切り抜けるとは思えないんですが……」
「ええ。おかげさまで、強力な助っ人が来てくれましたから」
「……なるほど。あの老人ですか。相変わらず、読めない事ばかりする」
目を細め、そんな事を呟く。納得したような、けれども困ったようなその表情からどうやら桐谷の介入は想定外のものだと言えるらしい。
しかし、それは逆に言えば。
「私たちがここに来るのは思惑通りというわけですか?」
「正確には貴女の隣にいる男が、ですけど。しかし別に構いません。人数が多ければそれだけ『見せしめ』の効果は高まりますからね。大丈夫ですよ、すぐには殺しません。脚と腕を一本ずつ切り離した後にじっくりと……」
「まっ、て……」
小さな、か細い声音が天堂の言葉を遮る。
「約束が、ちがう……あの人は、見逃すって……」
「ええ、だから一度は見逃しましたよ? しかし向こうから来た場合は話は別でしょう。あちらが仕掛けてくるとなるとこちらも対応しなければならない。これは正当防衛です。そして―――殺してしまっても問題はない」
まるで口が裂けたのかと思うほどの狂った笑み。それは正しく「鬼」と呼ばれるそれのものだった。
その瞬間、シロは理解した。この男は初めから分かっていた。不条がこの場にやってくる事をだからあの時はわざと見逃したのだ。自分から殺すのではなく、向こうから戦いを挑んでくる。その状況を作り出すために。
「こ、の……嘘、つき……っ」
「それは心外ですね。私は約束を破っていません。そもそも、貴方がいけないんですよ? 貴方達は私だけを見ていればいい。私だけに奉仕すればいい。それだけのために存在しているのだから」
駒として、道具として、人形として。
心など不用。感情など不要。思考するべきは従うということ一つのみ。
「―――にも関わらず、勝手に外に出て自由を求めて、そして人間と仲良くなった。これはいけない。ああ、いけない。余計なものが混じってしまった。いらないものを手に入れてしまった。自分達にも自由があるなどという幻想を抱いてしまった。可哀相な子供達。そんなありもしない夢物語を信じてしまって。だから―――私がその悪夢から覚ましてあげましょう」
刀が出現し、握られる。禍々しい殺気が伝わり、桂木に関しては足を震わせ、まともに動けない状態となっていた。
一方で不条は険しい顔つきをしながらも、一歩も引かずに対峙していた。
「貴方達が手に入れたと思い込んでいるもの。それを壊し、潰し、殺しつくしましょう。斬り刻んで、すり潰して、跡形もなく消し去りましょう。貴方達がもう私以外を見ないように。私以外を必要としないように」
狂喜が凶気となり、空気を支配する。それは比喩ではなく、事実だ。
天堂が刀を一振りすると、空気……いや、風が彼の下へとある待っていく。【妖刀】の力を使った。それは分かる。だが、それにしても規模が大きすぎる。
天堂はまるで風を自分の思うように操っているのだ。それはある意味小さな台風。災害そのもの。人間では到底太刀打ちできない現象だ。
無論、そんなものに今の不条が対抗する手段などない。
『フルヴィング』を使っても恐らくこちらの間合いに入るまでに嬲り殺しに合うだろう。【ヨートゥン】に関しては論外だ。風を使って霧を霧散させられれば、もはや意味がなくなってしまう。
故に不条の選択は一つのみだった。
「……ネイ」
『言うな。大体分かる。だからこそ、確認するぞ―――本当にいいんだな?』
「ああ……構わない。これが俺が選んだ結果だ」
『ケッ。一丁前にカッコつけやがって。だが、まぁいい。これはお前の人生だ。そして、オレ様はお前の相棒。それなら俺も最期まで付き合うまでだ』
「ありがとよ……」
そして、すまない。そう心の中で呟きながら、一歩前へと出ながら振り向かず、言葉を紡ぐ。
「桂木……あいつらの事、頼んだぞ」
「不条、さん……?」
その言葉はどういう意味なのか。
その笑みに何が込められているのか。
その答えを聞こうとするも、しかして時すでに遅し。
「《一念・通天。捧げる決意は我が生涯》」
瞬間。
不条は一切の迷い無く、短剣を自らの心臓へ突き刺した。
その行為にシロやクロ、桂木は驚くしかなく、天堂に至っては目を丸くさせたかと思うと、その有様に嘲笑する。
「は、ハハ、ハハハハッ。これは可哀相にっ。あまりの実力差から自ら死を選ぶとはっ」
苛立つ声音と口調。しかし、他の者達からしてもそうとしか見えない。勢いのある一刺し。どうみても致命傷だ。助からない。事実、胸部から多くの血が流れている。未だ立っていることから死んではいないが、それも時間の問題。
この瞬間、不条斬雄の死は決定した。
だが。
「くくくっ。人間とは本当に愚かで滑稽だっ。私自らの手で殺せなかったのは残念ですが、まぁいいでしょう。幸い、もう一人いるわけ―――」
「《血で血を洗う戦場で数え切れぬ命が散った》」
その言葉と同時、天堂の口が閉じる。
心臓を一刺し。確かに即死ではないにしろ、確実に死が迫っているのは言うまでもない。瀕死の人間など、動くのもままならないはず。無論、まとも喋ることすら不可能。
にも拘らず。
不条はそのまま心臓に刺した短剣を勢いよく引き抜く。
「《積み重なるは躯の山。
蹂躙が、殺戮が、暴虐が、世界の理だというのなら、その悉くを是正しよう》」
血飛沫が大量に溢れ出る。噴水の如く飛び散る血。赤黒く、お世辞にも鮮血などと呼べないそれは甲板を染めていく。
理解が及ばない行為に、天堂ですらも顔を歪める。
そして、気づく。
「《例え剣が壊れても。例え命が尽きるとしても。巨人を魔女を火竜を倒そう》」
甲板に飛び散った不条の血が、まるで生き物のように這いつくばりながら、不条の身体へと戻っていっていることに。
いや、戻る、というのは語弊がある。流れ出した血は何かの文様となって、不条の身体を侵食していく。
「《その果てに誰も己に忠を尽くさなくても。その果てに一人孤独に逝くとしても。
それこそが、我が定めた王道なり》」
いつしか、流れ出ていた血は止まっており、散らばっていた血も文様へと姿を変え、不条の身体と一体化していた。これに呼応するかのように、短剣も変化していき、赤黒い長剣へと変貌を遂げた。
そして。
「英雄変化―――『ベオウルフ』」
全身を赤い血の文様に包まれながら不条は剣を構えた。
「……これは。何とも面白いはったりだ。珍しい、と言い換えるべきでしょうか? けれど……それで何か変わったのですか? 確かに強力な覇気ではあるが、しかしその程度で―――」
「―――ぐだぐだと煩ぇぞ。御託はいいからさっさとかかってこいよ、三下」
挑発を口にした刹那。
一振り。たったそれだけで、無数の暴風が不条に襲い掛かる。相手は風であり、鎌鼬。見えない斬撃を避けることはできず、また防御しても意味をなさない。
けれども、だ。
不条もまた、それをたった一振りの剣圧で吹き飛ばしたのだ。
「なっ……」
「どうしたよ? 何も不思議な事じゃねぇだろ。たかが『そよ風』を跳ね返した程度、驚くようなもんじゃない」
そう。これくらい何でもない。無数の見えない鎌鼬。その程度では今の不条に傷一つつけることはできないのだから。
「―――訂正しましょう。どうやらただのはったり、というわけではなさそうですね。貴方から感じるその禍々しい気。しかし、【剣鬼】の領域のものでもない。一体それは……」
「別に。大した事じゃない。かつて、人間の力を極限まで高めて戦った一人の男がいた。俺はその力をこの身に宿し、貸してもらっているにすぎない。結局のところ、インチキだよ。自分の力じゃなく、他人の力を使ってるんだからな」
だが。
「そんな俺でも、今ならお前くらいは倒せるだろうさ」
「ほざきましたね……人間如きがっ」
それが合図となった。
刹那、二人の刃がぶつかりあい、殺し合いが始まったのだった。




