十五話 奇襲②
それは突然やってきた。
掃除が大方終わった頃。取り敢えず移動のために荷物をまとめていると、玄関のチャイムが鳴った。桂木か、と思った不条であったが、だとしたらおかしい。自分の家に入るのにチャイムを鳴らす者がいるだろうか。考えられるとしたら。
「宅配?」
「かもしれねぇな。俺が出てくる」
そう言って、不条は荷物をまとめていたバックの口を締め、玄関へと向かう。そして「はいはーい」と呑気に言いながらドアを開けた。
瞬間、その先にあるものが異常な事に勘付く。
そこにいたのは桂木でも宅配業者でもない。
見知らぬ、和服を着こなした美しい男。細い手足。イケメン俳優と表しても全く問題がないほどの甘いマスク。年齢はざっと見て三十路手前。しかし、だからこそか。歳を取っているような、未だ若々しさを溢れ出しているような奇妙な感覚。
「こんにちは」
男はやはりというべきか、穏やかそうな声音で挨拶してくる。表面上は全く問題ない。だが、不条は理解していた。目の前にいる人物が放つ、異様な空気を。
「……どちら様?」
「申し遅れました。私は天堂揚羽と申します」
自己紹介をされた伏見は、「あぁ、どうも」と適当に答える。しかし、内心ではこれ以上にないほど焦っていた。同時に自分の警戒心の無さに怒りを覚える。
敵ではないかとは思ったが、まさか本丸、大将が直接動いてくるとは予想外すぎる。その後ろには二人。どちらも不条と同じか、あるいはそれ以上の背丈。
いや。
(……二人だけじゃない、か)
隠してはいるものの、感じる気配が無数にある。恐らくはこの家を囲っている形になっているのだろう。当然のことではあるが、故に腹立たしい。そして恐らく全員が人間ではないのだろう。
ここで急に行動を起こすのは自滅行為。すぐさま取り押さえられるのが関の山。いや、それならまだいい。もしかすれば、この場で瞬殺されるかもしれない。
それだけ、目の前の男は危険であると本能が叫んでいる。
「ウチに何か用でも?」
「これはまた随分ないいようだ。ここは貴方の家ではないでしょうに」
笑みは変わらないが、明らかに辛辣な物言いに敵意と殺意を感じ取る。
「痛いとこをつくな。まぁ確かにここは俺の家じゃないし、さっきの言葉を言えた義理じゃないのは認めよう。悪かった」
「おや、見た目によらず随分と話が分かる方のようだ。これから用件も早く終わりそうですね」
「用件?」
「分かっているでしょう? しかし、こちらとしては時間が惜しい故に率直に言いましょう―――クロとシロはここにいますね?」
ニッコリと、笑顔のまま天堂は言った。そう、笑顔なのだが、何故だかその瞳は笑っていない。例えて言うなら、冷たい氷のような瞳だった。
それは、異世界で何度も見てきたことのあるモノ。
人を殺すことにためらいがない人間のそれだった。
「さぁ……知らないな。うちにそんな連中はいないよ」
「ほう、それはおかしい。うちの部下の調べで貴方に邪魔されたという話だったんですが。ねぇ、ムラサキ」
言われて後ろからもう一人、出てきたのは紫髪の少年、ムラサキだった。だが、その姿を見て不条は目を見開く。
体中に巻きつけられた包帯。それでも見え隠れする打撲の数々がその華奢な身体に刻み込まれていた。一週間前とはまるで別人のような格好に思わず声が漏れる。
「お前、その身体……っ」
「ああすみません。このような見窄らしい格好で。何せ、連れて帰れと命じたのにおめおめとやられて帰ってきたもので。しかも人間相手となっては話になりません。ですので、少々罰を与えました。まぁ手足がくっついているので、そこまで気になさらずとも大丈夫ですよ」
「テメェ……」
「おや? それは怒りですか? それはおかしい。彼をこのような目に合う原因は貴方にあるというのに。そもそもにして、彼はこちら側の者だ。ならば、貴方が怒るのは筋違いというものではありませんか?」
確かにその通りである。不条がシロやクロを助けるために邪魔をしたため、ムラサキはあのような仕打ちを受けた。そもそも顔面を殴って気絶させた男がこんなことを思うのは間違っているのかもしれない。
だが。
それでも。
不条斬雄はこの瞬間、天堂という男を心の底からクズだと断じた。
「話を戻しますが、こちらにクロとシロがいるのは分かっています。早く連れてきてください。そうすれば、あなたの命の保証はしましょう」
「ハッ。こんな物騒な状況で命の保証とか言われても何の説得力もないがな」
軽口を返すが、天堂は一切表情を変えない。
「では、仕方ありません」
刹那。
全身が凍るような殺気に襲われた不条は咄嗟に懐にしまってあったネイリングを取り出す。と同時に激しい金属音が部屋に響き渡る。
「ほう。今のを受け止めますか。どうやから報告にあったように少しはやるようだ」
その言葉に不条は言葉を返さない。
まずい。これはまずすぎる。
先程は完全にまぐれ。十年間、培ってきた危機察知の本能によって勝手に動いただけだ。それだけで目の前の相手が思っている以上に危険であるということが分かる。
この男はあの桐谷と同等クラスだ。
「ネイッ、形状変化ッ!!」
『あいよっ』
不条は天堂の日本刀を弾き、後ろへと飛びながら、ネイに命令する。そして、剣先を向ける頃には短剣は『フルウィング』へと変化し―――
「遅い」
瞬間。
刹那の時間によって、不条の腹部が横一閃に切り裂かれていた。
痛みを感じる前に生じたのは疑問。
一体何が起こった?
客観的現状を見る。不条は距離を取り後ろへと下がった。完全に両者は間合いの外。だというのに、天堂は一歩も動かないまま、刃を薙ぎ払った。それだけだ。脚は一歩も前に出ていないし、よく見れば彼の刀には返り血が無かった。
不条は腹部を抑えながら、膝をつく。
「こっの……」
「いいですねぇ。いいですねぇ。その反応。自分が斬られたのが分からないと言わんばかりの表情だ。この楽しみはやめられません」
口元が三日月のような歪んだ笑みを作り、こちらの様子を見る天堂。その姿は悪魔そのもの。この時、不条は理解する。この男は桐谷とは別のベクトルで異常な存在であると。
痛みはあるものの、見た目程出血は然程していない。身体は動く。剣は握れる。ならばやることは一つのみ。
「ほう。これは面白い。未だ瞳から光が消えていない。大抵の人間は今のだけでも相当動揺するのですが……あなたは違うようだ。ならばその実力に免じて、チャンスを挙げましょう。さぁ、全力でかかってきなさい」
それは余裕、油断、傲慢ともとれる発言。裏を返せば、それは同時に彼の自分の力への絶対的な自信でもあった。
だが、それこそ好機。
「―――ッ!!」
声を上げず、速攻で間合いに入り、剣を振り上げる。この間合いならばどんな達人であろうと回避も防御もできるはずはなく―――。
「それが、全力ですか? 少し失望ですね」
言い終わると同時、不条よりもさらに上の速度で天堂は刃を振り下ろした。そう。天堂は回避でも防御でもなく、攻撃という手段に出たのだ。
その事実を認識すると同時、激痛が走り、血飛沫がまき散らされる。
「がっ……」
これが現実だと言わんばかりの一撃。先ほどの一撃とは違い、深く、出血も多い。致命傷、というわけではないだろうが、このまま放っておけば確実に死んでしまうだろう。
だが、それは今はどうでもいい。この場で治療できるわけではないし、もしできる状況だとしても敵がそうはさせてくれないだろう。
ならばやることは一つ。
そう思い、剣を取り、再び立ち上がる……はずだったのだが。
「な、に……?」
疑問の声。その原因はただ一つ。
身体が固まっている。
恐怖に震えているわけでも、傷みで動けないわけでもない。ただ単純に自分の意思とは関係なく、その場から一歩も踏み出せない状態になっていた。
状況が理解できないまま、しかしそれでも何とかしようと無理やり動こうとすると、天堂が口を開く。
「ああ、あまり無理をするのはよろしくありませんよ」
「……お前の、【妖刀】の力、か……」
「おや。口が利けるとは大した抵抗力だ。普通の人間なら口すら動かせないというのに。そしてご名答。これが私の『流星』の力。斬りつけた物の流を操る能力。今、君の身体に走っている微弱な電気信号、そして血流を操っているというわけです。人間の動きとは即ちそれらによって決定する。ならば、それを支配すれば動きを止めることなど造作もない」
その事実にある種の納得がいった。
「……なる、ほどな。最初の一擊……一歩も、動いてないにもかかわらず、斬りつけられたのは……風を斬りつけ、鎌鼬の如く、風を操ったってわけか」
「おおっ。理解が早い。大抵の人間はこれを理解するのにもう少し時間がかかる。そして、そんなことをしている内に死ぬというのが常です」
それはそうだろう。ネタばらしをされたからこそ不条は言い当てることができたが、そうでなければこんな能力、誰が思いつくだろうか。
「とはいえ。私の能力を知ったところで君にはどうすることもできない」
そして当たり前の事実を天堂は口にしながら剣についた血をふき取る。
「さて……ここで一つ質問なのですが、君は知っていますか? 人間の血を逆流させれば、どうなるのか」
そんなありえない現実を、しかして男は当然のようにできてしまうのだと不条は理解する。人間の血流は一方的に流れている物だ。それを逆流させれば無事では済まないのは必至であり、死に至るのは目に見えている。
「ああ、それとも血流を暴れさせ、身体中から噴出させるのはどうでしょう? あれはいい。まるで人間噴水のようで、美しい。何度見ても飽きないのだから」
言いながら天堂が指を鳴らそうとしたその時。
「待てっ!!」
最悪の事態は起こる
「おやおや。そちらの方から出てきてくれるとは。手間が省けて助かります。そして何より嬉しい再会だ。ねぇ、クロ」
膝を付きながら視線を後ろにやると、クロが天堂を睨みつけていた。
「随分と探しましたよ。君達が私の元からいなくなってどれだけ心配したことか。しかし、お変わりないようで良かった……とはいかないようですね」
口元は笑みを浮かべているのに、冷たい空気が漂う。
見てみるとクロは自身の頭に持っていた銃を突きつけていた。
「何のつもりです?」
「その人から離れろ。さもないと」
「その銃で自殺する、と? これはまたとんでもない脅迫ですね」
「あなたの目的はぼくの力だ。ぼくが死んでしまったら元も子もないだろ」
「ふむ……それは少々短絡的ではないでしょうか。確かに。君がいなくなってしまえば、私の計画は全て水泡に帰してしまう。そういった意味では戦術的な言い分です……けれど、戦略的とは言い難い。もしここで君が死んでしまったら私が君の大切な人をどうするか、考えていますか?」
その言葉にクロはすぐに答えない。
考えていなかった……わけではないだろう。自分が真っ先に死ねば確かに天堂の野望は消え去る。だが、それをしてしまえば報復としてシロや不条が殺されるのは目に見えていた。だkらこそ、彼は未だに引き金を引かないのだ。
「別に。ぼくもこれで状況を打破しようなんて考えてない。ただ、こっちの要求を飲んで欲しいだけだ。そうすれば……抵抗しない。素直についていく」
「クロッ、何言って……がっ」
唐突な提案に意義を唱えようとするも、痛みのせいで途切れてしまう。
「要求、ですか」
「シロと不条さんに手出ししない。あなたが必要としているのはぼくの力。それだけのはずだ。ぼくだけがついていけば何も問題はないだろ。二人は連れて行かせない」
「なるほど……ええ、ええ。そう言うとは思っていました。ですが、それはできない相談です。何故ならば貴方はそういう事ができる性格ですから。足枷の一人がいなくては、いつ反撃、もしくは自殺されるか分かりません」
「っ……」
「しかし、それでは貴方も納得しないでしょう。ここでこうしているのも時間の無駄だ。ならば、こちらから妥協案を出しましょう」
「妥協案?」
「そこの男、不条斬雄は見逃しましょう。ただし、シロは一緒に連れて行く。これ以上の譲歩はありません。いかがでしょう?」
「それは……」
「それで構わないわ」
不意に介入してきたのは今まで姿を見せなかったシロであった。
「シロッ……!!」
「おや、お久しぶりですね、シロ。相変わらずお美しい」
「余計な事に時間を使っていられない……そういったのはあなたでしょう。なら、さっさと連れて行きなさい」
「ちょっと待ってよシロッ。君までぼくに付き合う必要は……っ」
「無駄よクロ。わたし、もう決めちゃったから。何言っても一緒に行くわよ」
「シロ……」
「わたし達は兄妹なんだから。どこまで行っても一蓮托生。そう決めたじゃない」
「……ごめん」
クロの言葉に「いいわよ」と言いながら苦笑する。
そして、天堂の方へと視線を戻す。
「これで文句ないでしょ」
「ええ。もちろん。それでは参りま―――」
「ふ―――ざけんなっ」
怒号が噴火する。
これ以上ない怒りが、不条の身体を駆け巡っていた。
「ざけんな……おいこら、何勝手に話進めてやがるっ!! 俺はまだ、まだ戦える。まだやれる!! 安心しろ、二人共っ。こんな傷大したことねぇ。身体が動かないだぁ? んなもん、自力でどうにかしてやるよ。んでもって、そのクソ野郎をぶっ飛ばしてやる!! だから、だから、だから――――」
そこで、言葉が途切れる。
傷の痛みか、それとも天堂が何かしたのか。分からない。もはやそれを理解することすら困難な状態になっていた。
そんな不条の姿を見て。
「ふ、ふふ、っふははははははっ!!」
外道は嗤い声を高らかに上げる。
「ああ、何という義憤。何という憤怒。ええ、ええ。貴方のその猛り、感じますとも。人間の感情の高まりは何と凄まじいか。そして―――それでも現実を変えられない滑稽さっ!! ああ、ああ、何とも可笑しい。可笑しくて笑みが止まりませんよ!!」
笑う。嗤う。哂う。
悪魔の、化外の、畜生の声が耳に入ってくる。
止めたい。潰したい。消し炭にしたい。
暫く抱くことのなかった殺意。それが奥底から這い上がってくるのを感じる。
だというのに。だというのに、だ。
自分は、俺は、不条斬雄は、動けない。
目の前に助けるべき子どもがいるというのに。
目の前に倒すべき悪がいるというのに。
それなのに。
何も、できない―――
「もういいのよ」
少女の、聞き知った少女の声が、聞こえてくる。
「もういい。あなたは十分頑張ってくれた。命を賭けてくれた。わたし達のために戦ってくれた。だからもう―――自分の命を削らなくてもいいの」
その言葉に、不条は目を丸くさせる他なかった。
「お前……どうして、それを……」
「この前、盗み聞きしちゃったのよ……ごめんなさい」
謝らなくていい。そんな必要はない。
寿命があと少しなのは自分のせいで、責任だ。だから彼女が、シロが謝る必要など、どこにもない。
なのに、彼女は申し訳なさそうな、哀しい顔をしていた。
「短い間だったけど、あなたと一緒にいられて楽しかったわ。研究所から逃げて初めて出会った人間があなただった……そんな幸運を与えてくれた神様にお礼を言わなくちゃね」
やめろ。やめてくれ。
そんな最後の別れみたいな事を言わないでくれ。
「わたし達の事はもう忘れて頂戴。そして、できることなら……残りの人生を楽しく生き抜いて」
忘れるなんて事できるか。
残りの人生を楽しく生きれるなんてできるか。
何故なら、何故ならば。
「俺は、まだ、お前達に、何も……っ」
「いいえ。もう十分。十分に……あなたから幸せを貰ったわ。だから」
瞬間、唇に何か柔らかいものが触れた。
それが何なのか気づくその直前に。
「ありがとう、きりお。さようなら」
その声と共に不条の視界は暗闇に閉ざされた。




