十三話 代償④
「―――ってな具合で、俺は何とか小鬼の群れから逃げ出すことに成功したんだが……おい、何笑ってやがる」
「くくく……いやだって死体のフリしてそのまま食料にされそうになるなんて、間抜けすぎでしょ」
「仕方ないだろ。死体のふりしたら切り抜けられると思ったんだよ。熊みたく」
「あーそれね。うそっぱちらしいわよ?」
「マジか……俺、それを今日の今日まで信じてきたんだが」
百聞は一見にしかず、とはいうものの、聞いたことだけを信じるのはやはり危険だということだろう。
「それにしてもあなた、本当に一人で異世界を旅してたのね。仲間とかはいなかったの?」
「生憎と使い物にならない出来損ないに付き合ってくれるもの好きはいなかったよ。まぁ、助けてくれた連中は何人かいたが、それでも旅の仲間にまではならなかったな」
「ふーん……寂しくなかったの?」
「どうだろうな。よく覚えてないな」
当時は寂しいと思ったかもしれない。しかし、そんなことを気にしている暇すら無かった。生き抜くためにあらゆる事をしてきた。故に一人でいることの異常性というものに気づくことがなかったのかもしれない。
「元々、一人でいることに慣れてたからな」
「……そうね。あなた、友達って呼べる人いなさそうだもの」
「ひどい言い様だな」
けれど、核心は突いていた。
シロの言うとおり、不条にはこれといって友達と呼べる存在はいない。敷いていうのなら知り合い程度だろう。友を作ることを努力しなかったことへの当然の結果とも言える。
「だからまぁ、仕方ないからわたしが友達になってあげるわよ」
だから。
不意に言われたその一言は、不条にとってあまりにも意外なものだった。
「何だって?」
「だから、友達になってあげるって言ってるの。あなた、一人でいると自堕落な生活続けそうだし、見てないと色々不安なのよ。料理だって作れないんでしょ?」
「いや、そうだが……それ、友達の発言じゃねぇだろ。どっちかっていうと、母親の台詞だ」
「嫌よ。こんな大きな子どもの世話なんて」
「俺も自分よりも年下の母親はちょっとな……っていうか、子どもにそんなことを心配される謂れはない」
「自分でダメ人間って公言してるくせに」
「それはそれ、これはこれだ」
意味分かんない、とシロは不貞腐れながら呟く。
その後、少しの間を空けながら、シロは再び口を開いた。
「……ねぇ。この件がこのまま上手く片付いたら、あなたはどうするの?」
「どうした、唐突に」
「ちょっと聞きたくなっただけ。で? どうするの? ハローワークで仕事見つけるの?」
「んー……そうだな。まだ色々と決めかねてるなぁ。仕事辞めたばっかりだし新しい仕事探すのはないな。旅は異世界で散々したし、かといって熱を入れてる趣味もねぇしなぁ」
「何そのダメ人間モロ出しの発言は……ああごめん。ダメ人間だったわね」
否定はしないが、やはり他人から言われると胸にグサリと痛みが走る。自分で自覚しているのと指摘されるのとではこうまで違うものなのか。
「やることが決まってないなら、一つ約束しない?」
「約束?」
「わたし、一度も海を見たことがないの。だから海に遊びに行きたいなって」
その内容に不条は目を細めた。
それは極々小さな約束であり、願い。叶えるのは簡単でそう難しくはないだろう。だが、肝心なのはこんな少女がそんな当たり前なことができない状態であったのだと不条はもう一度理解した。
今日の遊園地にしたってそうだ。ある程度歳を取っている彼女達があんなにもはしゃいでいたのは今までそういうことをしてこなかった……いや、できなかったという顕れ。
「……ああ。気が向いたらな」
「なにその返事は。男だったらはっきりちゃんと言う!」
「分かった。分かった。ちゃんと連れてってやるよ」
「分かればよろしい。言質取ったから、破ったら許さないわよ?」
「了解……そら。もうこんな時間だ。子どもは寝ろ」
はいはい、と言いつつシロはベランダからリビングヘ入る。
そして。
「おやすみなさい、きりお」
首だけこちらに向けながら、そんな事を言い残し、その場を去る。
初めて名前で呼ばれたこともあってか、不条はしばらくの間、シロの背中を見つめていた。
そして、彼女が完全にいなくなったのを察知した途端。
「……寝てないだろうな、ネイ」
『もうすぐで夢の中に入りそうにはなっていたがな。にしても、良かったな。お前にもようやく春がきたみたいじゃねぇか、ええ?』
相変わらずの挑発的な口調にしかして既に慣れている不条は何も指摘しない。懐からネイリングを取り出し、月光に刃を当てながら問いを投げかける。
「今日、全部でどれくらい使った?」
『さぁーて。今日は大盤振る舞いだったからなぁ。俺も細かいところは数えちゃいねぇな』
「おい……」
『冗談だよ。まぁ、大体一二〇ってところか?』
提示された数値に然程の驚きはない。おおよそそれくらいだろう、という予測はしていた。
「だとするのなら、残りは……」
『六〇〇と四二。カカカッ、こりゃまた随分と減ったなぁ。流石に【フルウィング】と【ヨートゥン】の連続使用は高くついたな』
「それは覚悟の上でだ。でなきゃ今頃首と胴体が離れ離れになってたところだ」
『だろうなぁ。いやはや、こっちは平和ボケした連中しかいないかと思っていたが、案外面白い奴もいるんだな』
「あれはどうみたってごく少数の例外だろうが」
あんなものを世間一般の基準にされては困る。いや、そもそも向こうにしても、桐谷程の剣術使いはそうはいなかった。戦いが珍しくない異世界においても恐らくは実力者として通るだろう。
『けどよぉ、マイマスター。いいのかよ、あんな約束して』
「……何がいいたい」
変わらずの茶化した口調。だが、その内容は真実をついていた。にも関わらず、逆に質問を返す己の主に現実を突きつけるように言い放った。
『だってそうだろ。お前、もうすぐ死ぬんだぜ?』
その言葉に、不条は何も返さない。
現実逃避をしているわけでも、意味が分からないと知らんふりをするわけでもない。ただありのままを受け入れながら、何も言わない。
そんな彼にネイリングは続けて言う。
『俺の力を使えば代償がいる。だが、その代償っていうのは魔力じゃねぇ。オレが喰らうのは命そものも。使用者の寿命だ。使う度に少しずつ、少しずつ、吸って削って喰らっていく。おかげでお前の寿命はあと六〇〇と四二日。もう二年もねぇ。今の状態は、枯葉だらけの大木ってところだな』
そう。これこそが不条のインチキの正体。
異世界で、それも何の戦闘能力もない自分が十年生きてこられた理由。
異世界で生きていくにはただ働くだけではダメだった。いいや、そもそも「使い物にならない異世界人」というレッテルを貼られた自分を雇ってくれる場所など皆無だった。
無能。落第者。生きている価値のないゴミ。
料亭や宿、その他の店の下働きすら雇ってもらえない身。元々そこまで社交的ではない自分に生き残る道など限られていた。
そして、唯一できたことと言えば、魔物退治や盗賊退治と言った危険な仕事くらい。だが、喧嘩すら今までまともにしたことがなかった不条には最下級の魔物ですら相手にできない。
だから、インチキに縋るしかなかった。
魔剣『ネイリング』。使用者の魔力ではなく、寿命を喰らう呪われた剣。だが、わざわざそんなことをしなくても強力な武器は山のように存在しており、それこそ魔力があれば強くなる剣も存在していた。
だから、ネイリングは誰からも必要とされない剣として捨てられていた。
そして、誰からも必要とされない者同士が出会い、十年間を共にしてきた。一方は寿命を払い、一方はその寿命を喰らう。そんな関係として。
「大木、ね。枯れ枝だらけで手入れが大変そうだ」
『随分と余裕な発言じゃねぇか。最初は死にたくない死にたくないとほざいていた奴がよぉ』
「仕方ないだろ。それが俺が払った対価だ」
そう。結局のところ、ネイリングが言っていたように、これはただの先延ばし。寿命を払い、強い力を手に入れ、その場は何とか生き残る。それを繰り返してきたツケがようやくやってきた。それだけの話である。
『だが、その対価をストックする方法もあると伝えたはずだ』
だというのに、悪魔は未だ囁き続ける。
何度も聞いたその提言。「やめろ」と言うものの、けれどもネイリングは止まらない。
『「フルウィング」。あれは敵を斬る度に能力を向上させ、切れ味も鋭くさせる代物だ。だが、それは単にお前から寿命を奪っているからじゃねぇ。あれは敵を斬る度に生命力を奪っている。そして無論、命を奪えばそれを蓄積させることもできる。つまりは』
「あの状態で人を殺せば、俺の寿命が伸びる。何度も言うな。耳にタコだ」
『何度も言っているのに、お前が全く人の話を聞かないからだ。いいか? 寿命を奪えるのは同族を殺したときのみ。お前は魔物や凶暴な動物を何十、何百、下手すら何千と殺してきた。が、それは切れ味をよくするだけで寿命は伸びねぇ。そして、お前は俺の力を使って今まで一度も人間を殺したことはない。そのせいで寿命も底をつきはじめてやがる』
だからストックをしろと、他人を殺せと魔剣は呟く。
この魔剣と契約をしたあの時からそうだ。ネイリングは不条に他者を殺し、命を奪わせ、生き延びさせようとしてきた。それが自分が魂を食べるためだ、ということを不条は理解していた。結局は、この短剣は他人の命を吸い取り、喰らいたいのだ。
だからこそ、返答はただ一つ。
「何度言われても答えは同じだ。俺はそんな真似はしない」
『っていうのは建前だ……って思ってたんだがなぁ。こうして命が削られてるっているっていうのにお前は全く変わらない。焦りもしなけりゃ、動じる気配すらない。怖いとは思わないのか?』
「怖いさ。ただ、今の俺はちょっとした麻痺状態ってだけだ。死に対しての認識が甘くなってる。だから平静を保ってられるんだろうよ」
十年という月日は長い。
何も知らないただの男が命のやり取りをしながら生きることだけを考え、必死に戦えば嫌でも性格というものに変化を生じさせる。
『麻痺、ねぇ。ああ確かにその通りだ。でなけりゃお前が他人を助けようだなんて思わねぇもんなぁ。生きるために剣を振るい、生き延びるために逃げ続けてきたお前が、他人に手を差し伸べるなんて、有り得ないもんなぁ』
「何がいいたい」
『いいや、別に。ただ、いつまでこんなことを続けるのか、それは是非とも聞きたいと思っているがな』
こんなこと、というのが何を指しているのかは聞くまでもない。
不条はネイリングの言葉に答えようとしない。そんな彼に追い討ちをかけるかのように魔剣は続ける。
『最初はあの双子のどっちかを喰らうのか、なんて思ってたがよくよく考えてみればそれは有り得ないよな、お前の性格から考えて。なら、どうして助けようとするのか。大人の責任? 何だそれ。お前、今までんなこと口にしたことねぇだろ。どういう心境の変化だ?』
「他人を極悪非道、冷徹無慈悲な人間見たく言うな。……ま、確かにそうだな。今までとは違うとは思う」
周りに流されるような人生だった。己の意思を持たない生き方をしてきた。
異世界にしたって、今巻き込まれている事件にしたってそう。なるようになる。そんな風に割り切っている……いいや、諦めている。それが不条という男だ。
だからこそ、ネイリングはおかしいと思ったのかもしれない。
彼が、自らの寿命を削ってでもあの双子を守ろうとしたことが。
『お前のことはこれでもよく知っているつもりだ。だからお前があの二人を言い訳にして、戦いを求めているってことがないのは明白。そんなことならとっくに逃げ出してるだろうしな』
確かに、その通りである。
不条は戦いが嫌い、というか苦手だ。だから今までだって必要最低限の戦闘しか行ってこなかった。だから自分の剣は二流であり、桐谷のような本物が現れてしまえば手も足もでなくなってしまうわけだ。
「良いことをしたかった」
『? 何だ、そりゃ』
「そのままの意味だ。俺はもうすぐ死ぬ。だが、他人を殺してまで生きる度胸は俺にはない。だから死をありのままに受け止める。だが……いや、だからこそ、か。何か一つ、良いことをしたいと思った。他人を助けるっていうのを一度してみたかったんだよ」
これは、それだけの話なのだと不条は言う。
何もしてこなかった。何か大事をこなしたかと言われば、そんなことは全くなく、ただ生きているだけの人生だった。精一杯だった、といえば恰好がいいかもしれないが、結局のところそれだけだ。
異世界に行った? だからどうした。世界を救ったわけでもないのにそんなもの胸を張ってどうする? 生き延びるために魔物を殺して、時には人を傷つけてきた。そして死にそうになれば必ず逃げてきた。だから生きているだけ。
誇れることはなにもしてない。そんな人生を振り返ってみればやはりみじめだと思うのは当然だろう。
「世界に残る偉業を成したいわけじゃない。自分がそんな柄でもないのは承知の上だ。ただ……最後くらい、困ってる子供を助ける、そんな大人でいたいと、そう思っただけだよ」
『何だ、そりゃ。結局自分のためってわけか』
「今更何言ってんだよ。俺はそういう人間だろうが」
『確かにっ! その通りだ。いやいや、安心したぜ。お前はやっぱりロクでなしだよ』
その言葉を不条は否定しない。そうだ。つまり、そうなのだ。自分が良い人間になりたいから、あの双子を助けている。それだけだ。そうすることで、自分の人生にも何か意味があったのだと納得する為。
そのためだけの人助け。
これは間違いなく、自分のエゴ。どうしようもないただの自己満足。普通の人間からしてみればおかしいだの、間違っているだのと文句を言われるだろう。
だが、おかしな話で、今の不条は死を間近に迎えていた。だからこそ、そんなバカげた思考に陥ったのだと思う。
だからこそ。
不条は彼らに手を差し伸べるのだ。
死人にできることなんて、それくらいしかないと思いつつ。




