動物に触る、その前に(三十と一夜の短篇第23回)
これはあたしの第一人格の『惠美子』のトラウマ気味になっている体験を第二人格のあたし『岩崎都麻絵』が勝手に綴ったものである。ほかの方々はお題から可愛らしい、和やかなお話を綴っておられると思われるが、これは結構悲惨なお話である。残酷なお話の嫌いな方は読まないように。
子どもが小学校に入る時、学校で何か動物を飼っているのかと親として興味があって先生に尋ねた。小学校では鶏を飼っていると答えられた。入学してみて、確かに鶏がいた。
しかし、三年くらいするうちにいなくなった。清掃などで子どもたちが鶏舎から出したら烏にさらわれたことがあったらしい。その後飼育する動物を購入する、寄付するもなく、学校で動物を飼わなくなった。鳥インフルエンザや、学校で飼育されている動物が悪戯で殺されるニュースがそちこちで流れていた時期でもあった。児童数の少ない小学校で頑張って何かの動物を飼わなくても、春になれば燕が飛来し、夏はカブトムシを捕獲できる田舎だ。ウチの団地や小学校の周辺ではカモシカや雉を見掛け、猿や熊、蝮注意の回覧板が回ってくる地域である。わざわざ飼わなくても人間以外の生命に触れる機会は幾らでもある。
わたしの出身は勿論田舎なのだが、それでも市街地に住んでいた。幼少の頃見掛ける動物は雀や烏、どこかで飼っている犬や猫程度だった。
その代わり小学校では多くの動物を飼育していた。学校の中庭には、池に鯉がいて、檻の中には兎、もう一つの檻には鶏、錦鶏鳥やセキセイインコがいた。児童は飼育を担当する委員になりたいと誰でも一度は希望したものだった。
今となっては学校側は大変だったと思う。
小学校の低学年の頃、担任の先生から、「中庭の兎が子を産みました。赤ちゃんの為に静かにしてあげましょう」と言われた。
子どもはそれを聞いて大喜びした。先生に言われた内容は頭に入っているのだが、実行するほど落ち着いた考え方ができない。
さて、人間でさえ、妊娠中は精神的に不安定になりやすい、マタニティブルー、産後うつがあると言われて、妊産婦は一人で抱え込まないよう、気分転換も大切などと言われている。周囲の人間も母親なんだからと追い詰めるような言動は慎むようにとされている。
一応知識や経験を伝達する術のある人間でさえ妊娠・出産・育児でトラブルはなくならない。動物は基本子育てによその手を借りたりしないのだから、もっと神経質になっている。動物をお飼いになっていて、出産やその育児を見守ったことのある方々ならお解りになると思う。
たとえ中に入ってこなくても、興奮状態の子どもが多数甲高い声を上げながら、飼育小屋の周りをぐるりと囲んだ。
おまけに飼育係の担当をしていた女の子が、「可愛いでしょう」と兎から赤ん坊兎を取り上げて、手に取り、撫でまわした。
その後どうなったか。書くまででもない。
児童たちの目に付かないうちに用務員さんが片付けたので、兎が育児放棄したのか、子殺しをしたのかまでは知らない。とにかく、子兎の成長を見届けられなかった。
小学校六年間、何年かに一回繰り返された。動物の飼い方や注意を知る児童が出てきて静かにしようとか、子兎に触るなと言うのだが、何故か飼育係の子に子兎をぬいぐるみのように触ってみるのが必ずいた。
知らないのは怖いことなのだ。
わたしは飼育係になったことがないが、飼育小屋で大騒ぎをしたり、飼育係が子兎を手の平に乗せるのを大声で止めようとした。だから、わたしも子兎の命に対して完全な無罪ではない。
動物の命を奪って肉を食すのと同様に、子どもは悪戯で虫や小動物の命を奪っている。食物連鎖で命をつないでいる有難さと罪深さを忘れずにいたい。
それから、人獣共通感染症がある。日本で狂犬病が発生しなくなって長い期間が経っている。狂「犬」病と言うが、犬特有の病気ではなく、この病気のウイルスには哺乳類全般が共通して感染し、発病する。発病後はほぼ死亡する。
奈良公園の鹿に嚙まれて、中国人観光客が「狂犬病」を心配して大騒ぎをしたというニュースがあったと思うが、中国人観光客にとって大袈裟な話ではない。逆に日本人が外国で動物に嚙まれて狂犬病になった笑えない話がある。外国では(どんな病気を持っているか解らないので)野生動物に近付くのは厳禁である。
しかし、一昨年の秋に奈良に旅行に行った際、アジア系の観光客が鹿の首をムンズと抱えて記念写真を撮っていたのを見て、何故この鹿は大人しくしているのだろう、嚙みつたれって知らないぞ、と呆気に取られたものである。