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第七話 星になりたい少年/芋の錬金術師

(いましかない)


 相州鍛冶家の息子として生まれた少年・利八は自分が『変わりもの』であると理解していた。


 商家の隠居にして小田原北条家のお蔵入地の管理を任されている、母方の祖父・宗富に相談もせず、家出するようなかたちで足軽の世界に飛び込んだのは、ひとえに自分の『変な考え』が祖父には理解されないと思っているからだった。


 つまり、


『町人身分の自分だって侍になれるだろう。なっていいはずだ』


 という、家格秩序へ挑戦するような思考である。


 家格秩序への挑戦(たとえば『オレ、今日から空の星になる!』と現代日本で叫んだらどういう目で見られるか、だ。『空に星があるのは当たり前だが、なるっておまえ……』と残念な目で見られよう。利八の『侍になりたい』はそういう願いといえる)は、主流派の考えではなかったし、利八自身、


(かなわない夢かも知れない)


 という理解はあった。それでも、


(なれるかも知れないのなら、なってみたい)


 と、熱望している。理屈ではなかった。


 もし勇気を示す『義務感』を持って生まれたのなら、ひとはその『義務感』のために人生を費やそう。たとえどこかの誰かから見て『人生を棒にふるような』おこないと見られても、である。


 利八にとっての『義務感』とは『侍になること』にほかならなかった。身分の壁を突破し、為政者のひとりとして、ひとかどの男になることであった。


 しかし、利八のような生き方は、現代ふうにいえば貧乏な家の子が『政治家志望です』と宣言することのように、いつだってうしろから、


『身の程をわきまえろ』


 という言葉は、追ってくるに違いなかった。


 知ったことではなかった。身の程をわきまえられるのならとっくにしている。それよりも、目的に向かって走ることに一生懸命だから、うしろなんか気にしていられない。


 まさに、祖父・宗富に相談なく足軽になったのは『それ』が理由でしかなかった。


 そして、


(ほんとうに『侍』になれるかも知れない)


 利八がそうと思い、両目を輝かせる機会が眼前に転がっている。


「あ~……江戸時代……江戸時代になんかあった気がする~。アカゴメ? いや~、それは室町時代にあるし~……活版印刷? それよか和紙の原料いくつか栽培奨励したほうがいい気がするー。


 養蚕にアレコレ工夫しての育成期間の短縮、で、人力クランクによる簡易式木製工業機械での絹糸生産の向上――。


 迂遠~。やっぱりお金かかるしぃ~、これぇ~。


 いっそ自分で銀行を……? あー、ダメダメ、金銀の保有が足りてない段階でやっても信用不足ですぅ~!!


 そーゆーのなら汚い貨幣(※使用された『感じ』のある銭)をつくって徴税の便宜をはかったほうがまだマシ。その貨幣の鋳造だってお金いるから……ヴァーーー!! 資金難が解決しな~~~いっ!!!」


 などと、先ほどから、わけの分からぬことをぶつぶつと呟く(たまに自分で自分に怒っている)、小田原北条家の二番目の御曹司・松千代丸の護衛の一角に、利八はいるからだった。


(あとはいつ飛び出すかだ)


 利八は機会を見ているのだ。主君の人間性は問題ではない。主君との『出会い』が、かれらのような非侍身分にはもう『ご恩』なのだった。


 あとは『奉公』あるのみである。


 数えの十四歳。利八は、そうであった。誠意に不足はない。


 ◇


 現代でいえば午後十二時くらいだろう。


 頭上に降りかかる太陽光が松千代の頭皮を刺激し、頭蓋骨下の灰色の脳細胞に『太陽さんさん(※敬称の"さん"と"燦燦"がかかっている)』という、十人が聴けば八人は『しらっ』とした表情になるだろう冗談を呟かせた時、ふっと松千代の魂が『これだ!』と思い出した。


「上野介(山角康定)! ちょっと訊ねていいですか!?」

「なんなりと」


 散歩は町の外れにさしかかっていた。いわゆる市場である。これから帰らねばならない、という場面だったから、ある種、ナイスなタイミングであった。


 松千代はどこかワクワクしながら問うた。


「コンニャクはどこで食べられるのでしょう!?」


「はて、面妖なことをお訊ねになられますなあ。コンニャクなら、お寺か……その関係者から、コンニャク芋の上納を受けた時でしょうか。もう少しすれば時期ですから、お城で食べられると思いますよ。……確か、昨年の冬に、食膳に出されたはず。ご記憶にございましょうか?」


「はい。そうですね。うん。ウフフ。はい!」


 やっぱりそうだ! 松千代が思い、たまらず笑みほころぶと、康定もニッコリした。『コンニャクがお好きなんだな』という感じの笑みだったが、松千代はかん違いを正す気にはならず、むしろ、肯定した。


「そう、私はコンニャクが大好きなんです――」


 と、まったく清らかな表情で応じた。その内実は、


(コンニャクは稼げるぅぅぅ~~~っ! はい確定。初手はこれ。ヤッターーーーッッッ!!!)


 という、ひどいテンションの裏表もあったものだが、おおむね、松千代の思考の通りだ。


 現状、戦国時代に存在するのは『生芋コンニャク』と呼ばれる種類のコンニャクである。


 季節限定、保存のきかない茶色っぽいコンニャクであり、ゆでたものを刺身にしてもおいしいし、煮物に使ってもいい。


 特に先述の刺身は味噌を乗せて食べれば絶品といえる。合う味噌が手に入らないのなら、ショウガ醤油や、さしみ醤油、からしマヨネーズでもいいだろう。生芋コンニャクは食感が『ざらり』として風味があるので、調味料がよくからみ、うまいのだ。


 もちろん、これらの調味料は現代の話だ。


 戦国時代だと、調味料といえば地元の味噌と塩が大半なので『文句を言うな。食え!』という男らしさがある。それはともかく。


「さようですか」


 康定のほほえましげな言葉だったが、松千代はあいまいな笑みで応じた。思考は生芋コンニャクと対をなす市販のコンニャクに占められている。


 そう、だいたいの現代日本人の記憶にあるのは市販の、灰色か白か、その系統の色で、黒いつぶつぶの見える四角っぽい固形の品だろう。


『粉コンニャク』である。


 粉コンニャクの真価は『広域の流通に乗れる』という点であった。それも、


(一年中、ね!)


 そう、季節を問わず。


 基本的に冬期しか出回らない生芋コンニャクと比較した際(味は生芋コンニャクのほうが風味があるのだが)、年中の需要を満たせる、という点で粉コンニャクの市場上の優勢は明らかだった。


 江戸時代の安永あんえい五年(一七七六)、水戸みと中島なかじま藤右衛門とうえもんによる、遠方への流通の困難なコンニャク芋を保存の効くかたちにするために、輪切り/天日干しを用いた製法の発明(水戸粉)がなされた。


 それから製粉工程に風選を入れるなどの改善はあるものの、おおむね、これで、コンニャクは有力な換金商品のひとつとなりえた。


 この中島藤右衛門は水戸藩からコンニャクの独占販売を許され、富をなしている。ここまで述べればあとは分かるだろう。


「特許だ……! そうかぁ。『ほとんど元手のかからない』知識チートは、つまり、特許に類するやつだな!」


 と、小声でつぶやき、喜びをかみしめている。松千代は嬉しかった。必死に頭を悩ませたかいがあるというものだ。


(つくったら売れるんだ! まず、この大前提があるうえで、一年中、コンニャクが楽しめる、という利点がつく!)


 松千代はほとんどスキップを踏みそうなくらい上機嫌になった。


 なにより、使用されるのが、おおむね『知識』というのがよい。粉コンニャクの製造法を特許として北条氏康に認可してもらい、独占販売の形式を採れば、売上の何割かは松千代の手元に入るだろう。


 おそらく――いつになるかは予測がつかないにしろ、製造法がよその勢力圏にバレ、価格競争がはじまるまでは――つくればつくるほど売れるはずだ。


 既存のコンニャク市場は冬期以外は開いてない、というだけで、市場の需要自体は年中あるのだ。


 保存/流通の都合で供給にストップがかかっているだけなのだから、コンニャク供給の停滞をこじ開けられる手段があるのなら――松千代の両目が『銭(永楽通宝)』と化し、脳内で『チーンジャラジャラ』とレジからお金があふれる音がしようものである。


 これこそ、まさに『商機』といえよう。


 だからこそ、


「どうしよう……」


 と、松千代はより一層の慎重さをもって呟くしかない。


 松千代の案にはいまひとつ実効性がなかった。


 周囲の人員は父・北条氏康をほんとうの主君とする家中組織の構成員であり、松千代にとっては『護衛/教育/監査役』以上のなにかではなかった。つまり『自前/お抱え』とはいえず、アレコレと資金のいるさしずをするのは、はばかられた。


 父・氏康へ依頼するにしても、実証となる『水戸粉』を製造できなければ意味がない。要するに、現状の松千代では粉コンニャクの製造/販売までたどり着けない可能性が高かった。


 じゃあ、どうするの? といえば、


(商家への『委託』しかないでしょ。でもなあ――)


 肝心の『委託』先に心当たりが皆無であった。


(ああああああああ~~~――)


 せっかく、せっかく思いついたのに! こんなに頭を悩ませて、これという案を見つけたのに!!


 松千代が半泣きで頭を抱えた時であった。


「おそれながらぁっ!」


 少年の叫び声。


 松千代がふりかえった時、護衛の列の端っこにうずくまるような影があった。両手を投げ出し、頭をさげている。


 利八。足軽のひとり。名前と職を記憶してはいるが、身分違いのため――今日、護衛の列に加わった、という日の浅さもあって――交流らしい交流がないひとだった。


「なんですか?」


 松千代の『なんでもない返答』は、松千代を含め、この後の流れを決定した。松千代はおそらく、この時、おもてをあげた利八少年の顔を、終生、忘れないだろう。


 足軽なるもの――武家の端っこにかろうじてぶらさがる人間が、正真正銘、武家に属する人間から声をかけられた瞬間の表情。太陽に照らされたひとのように、しかし、見ているこちらが太陽を目の当たりにしたような、その独特の嬉しさのこもった表情を。


 足軽・利八は言うのだ。


『なにかお困りですか』


 というような意味合いのことを。もし、この世界線の後世、かれらの軍記物が描かれるとしたら、


『氏政公、股肱の臣のひとりと出会う』


 そのように書かれることだろう。


 松千代のような『無力』な少年にとって、足軽のひとりが個人的忠誠を誓ってくれるのは、とても、とても、とても、ありがたいことなのだ。


 あるいは、かの織田信長と木下藤吉郎きのしたとうきちろうの関係も、似たようなものだったのかも知れない。藤吉郎とはむろん、のちの豊臣秀吉――かれの出身は諸説あるものの、多くの逸話を信じれば――農民身分から立身出世を果たしたひとである。


 すなわち、松千代は、この利八少年を通し、安房の宗富とつながりを持ち、どうにかこうにか、粉コンニャク製造の道が開けるのである。

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