第五話 房総の嵐/松千代くん、知識チートに悩むの巻き
天文十五年(一五四六)五月、河越合戦の戦後処理をおこなう北条氏康のもとへ、急報がもたらされた。
安房里見家が下総千葉家の重臣を複数、調略。謀反を誘い、同家領国は争乱状態に陥った、という。
ころはよし、と、老獪な里見家当主・義堯(数えの四十歳。かれは庶家の生まれながら、里見宗家との抗争に勝利し、同志・正木時茂――槍大膳の勇名を持つ家老――とともに家中を掌握した、あくの強いやり手であった)は、軍を進めて上総/下総の両国、つまり、房総半島の中~北部への勢力拡大を開始した。
事実上、安房里見家による、小田原北条家への挑戦である。
今後の国家戦略の見通しの悪さに苦慮していた氏康だったが、安房里見義堯の軍事的冒険に対し、決断を迫られた。
氏康は即座に小田原城内の自分の館(政庁)で評定の場をもうけ、安房里見家排撃論を唱える家老・側近層の意見をとりまとめ、裁決をくだした。
「致し方があるまい」
およそ、理想通りの現実のほうが少ないのだ、と、氏康はただちに対安房里見家を念頭とした出兵計画を練りあげることとなった。
そうこうする間に下総千葉家から詳細な報告が届く。むろん、救援要請とともにだ。
小田原北条家~下総千葉家の取次をつとめる、江戸城/葛西城の城代――江戸方面総督/小田原北条家東部方面司令官というべき――遠山綱景、ほか、その幕僚らの連名による書状、及び、情報を持つ使者が江戸地域から、小田原へ派遣されていた。
館で使者を引見した氏康は呻くほかない。
「下総千葉家の迎撃ならず、か」
重臣の離反による村落(最下級の兵の故郷)の動揺によって、下総千葉家は戦う前から戦意喪失の状態に陥ったという。独力での迎撃に失敗した下総千葉家は、是非とも北条氏康の出馬/救援を望んでいる、ということであった。
「調略のうえで侵攻されたのだ。いかに侍衆が武者ぶりを発揮したとて、郷里を持つ兵のほうが追いつくまい。……あい分かった。右筆(書記官)、返信の文だ。下総千葉家への援軍の応諾。それから、遠山綱景への方針説明の二通用意する。よいか――」
遠山綱景らの連絡があった時、すでに小田原北条家の上層部は対安房里見家への攻撃計画を練りあげていた。
(もはや河越合戦と同じく、敵方の予想を超える速度で進撃し、そのまま押し切る急襲策しかない。……できうるのなら、安房里見家とは和睦を結んでおきたかったが、この氏康すら、もういくさは止められぬ)
最善ではなくとも次善の策を。いくさのなかでいくさを制御するしか、手は残されていない――安房里見家への開戦が決定され、行軍の用意にあわただしい小田原で、氏康は孤独な責任感を覚えていた。
◇
北条氏康が安房里見家との決戦を選択し、下総千葉家領国の反乱鎮圧と佐貫武田義信の上総佐貫城への復帰を名目として、総計一万の軍勢をもよおし、陸海の二方向から房総半島へ出征して、しばらく。
元男子高校生の前世を持つ、氏康の次男・松千代は、
(知識チートとは?)
と、哲学まがいのなにかを考えていた。
要は、
(予算がないよね)
と、自分の現状の問題点を認識し、うんうん唸っている。
松千代は自室でごそごそと書きものをしていた。いくさは遠い。前髪の取れない年齢、部屋住みの未成年なのだ。
やることといったら、今生の兄・西堂丸とお寺へ行って学問・武芸に励むか、まさにいま、そうしているように、座のうえで文机に向かい、なにか思いついた端から紙に書き込むことくらい。
紙は貴重なため、父母の書き損じの紙の余白に細かな字を書き込んでいる――松千代は、自分がどんな『知識チート』をするか悩んでいた。
(できそうなことは多いけど、部屋住みの立場となると範囲が狭まるっていうか。かといって、いちばん最初に思いつく知識チート――農具/工具の改良などは『問題がある』んだよなぁ~……)
そう思っている。
情けない話ではあるのだが……先の『農具/工具系』知識チートは松千代の元手にならないから、初手でやるべきではないだろう、と結論をくだしているのだ。早い話が資金難なのである。
(そう、お金が欲しいんだ、オレは! 資金難は、まったく大きな問題なんだ!)
松千代は誰かに言い訳するように考え、しぶい顔をするしかない。
まさか農業従事者たる領民、特に村落の居住者に、
『この道具、絶対に使えるから、買って?』
と、戦国大名の次男が商品として売り込むわけにはいかない。理由はいろいろある。
(どうせなら、あげたいじゃん。最低、貸し出すとかさぁ~)
農業は基本、もうからない、と松千代は知っている。
(優遇措置を講じねばならない業種で、売る、ってさぁ……)
と、手元の帳面の農具/工具系のところに『△』と書き足している。『ダメではないけどあとでやったほうがいい案』の意味である。
なお、松千代が『再現可能』と判断している道具はどんな道具か、といえば、千歯扱きに代表される江戸時代の農具とか、木製除草機などの明治時代の農具など――特定の部品は職人の手を借りることになるものの――工業機械を使わずに作製できるため、おおむね材料を現地調達できる、という点で廉価かつ再現性が高い『木製』製品だ。
ともあれ、松千代の苦悩が分かるだろうか。
(お金がなーい!)
そう、すべての問題は『資金難』に収束されるのだ。
初手は予算の確保でなければならない。しかし、その適切な方法が思い浮かばない。大半の知識チートはお金がいるからだった。
兄の西堂丸なら家督継承順位第一位、つまり優先的に人材(有力な幹部候補)や予算が振り向けられているから、なんとかなるのかも知れないが、
(オレは部屋住みなんだよなぁ……)
と、うなだれている。
教育こそ長男のスペアとして高度なものが与えられているものの、人員/物資面では必要最低限のものしか与えられていない。格差である。差別である。このヤロウ! と家中にキレてみたって始まらないのである。
(しょうがない。しょうがなくはあるんだけどなぁ~……)
ウ~、と唸るしかない。
まして、小田原北条家は連年の戦争で自転車操業であり、多方面に戦線を抱えているため、常に多額の軍事費を必要とする勢力であった。
(前々からそうじゃないか、そうじゃないか、と思ってたけど……たぶん、後世に残る小田原北条家の善政の評判は、軍事費の必要性から常に領民への『配慮』を必要とした政治環境から生み出されたもの、と考えたほうがいいんだろうな~)
と、松千代は家中のようすから判断していた。
(ヤダな~、大勢力なのに財政カツカツなんてな~……)
と、愚痴りながら、文机に上半身を預け、ぐでーんと『タレ松千代』と化していた。意気消沈のありさまである。
裕福な勢力ならガンガン税金取ってるところを、
『これ以上、徴税されるのは無理です(領民逃散)』
となるから、
『待って待って! 善政しくから! 目安箱とか設置するからぁ~!』
という流れの結果だといえる。
(現状の小田原北条家は戦争と村落の維持のバランスを取るのでギリギリ、いや、ほとんど軍事費の負担に村落が耐えかねて、統治体制が崩れかけている情勢。
小田原北条家が目安箱や税制改革そのほかを実施したという一五五〇年は領民の逃散による領国危機と一致するし……この世界からすればわずか四年後。これはもう間に合わないよ。だからこそ、それ以後のためにも知識チートはしたいんだけど……。
でも『試したいことがあるからお金と人員ちょーだい(はぁと)』なんてねだったら、いかに氏康公だって泣き崩れるか、オレが張り倒されるかしちゃうでしょうよ――)
と、松千代は頭をかきむしるのだ。
(『シイタケ(この時代、シイタケは希少)の人工栽培』や『清酒/焼酎(先述と同じ理由で高値の取り引きが期待できる)の生産』などは思いつく! でも、初期投資(人件費/研究費含む)がかかりすぎる!
酒造にいたっては製造過程の都合上、どうしても事業が大規模になるし、なにより、内容がいちいち科学の領域なんだ。とにかく設備にお金がかかるぅ~。
お酒とか呑んだことないけどさ、個人でおこなえる酒造――近代~現代から見て違法な手段――はあるけど、ダメでしょ。いろんな意味でダメでしょ!!)
結果、
(あ゛あ゛~! なにしよ~? なにしたらいいの~~~!!?)
と、焦燥に駆られるありさまとなっていた。
元手がかからず、しかし、元手になるものを、というアイディアなんて、ほとんど錬金術であった。
(空気から黄金をつくるのは難しい……)
いや、喉元まで出かかっているのだ。
(『空気から黄金をつくれる』アイディアは――存在していたはず。正確には『ほとんど元手はかからない』って方法が、な~んかあったと思うんだよなあ。でも、こう……もうちょっとなんだけど、思い出せないー)
松千代はしばらく思い悩み、思い悩んでいる自分に嫌気がさした。
かれは趣味人。楽しく生きたい派閥の人間である。いわゆるポジティブシンキングの徒弟であり、また、おのずから楽天家たらんとする種類の人間であった。
(分かった。あとにしよう!)
松千代はそう割り切った。気分転換が必要であった。悩んだ時は答えをひねり出さないほうがよいと知っていた。
そうと決まれば話は早い! と、松千代は紙を片づけ、箱におさめて戸棚に入れると、やおら立ちあがる。廊下に出て、
「お~い、みんな~」
ちょっと付き合って~、と、近習/小姓衆を呼んだ。
護衛のためだ。城下町に降りようと思っている。
控えの間からみんながどやどやと集まるにしたがって、松千代の気分は高揚した。
かれの『歴史趣味』の部分が『みんなええ格好やんけ! あっ、ワイもや!』みたいに、眼前の人々(自分含む)が発散する時代の空気や文化感を鋭敏に感じ取り、テンションがあがるのだ。
「みなさん、今日もいいですね~。バッチリですよー!」
と、松千代が毎度のごとく両目に星を宿しながら、近習/小姓衆を褒めた。本気で褒めている。
肩衣、小袖に袴姿は、誰もが色とりどりで華やかだ。
かくいう松千代の着物も派手。
自分で選ぶのではなく、お付きのひとが選ぶのだが……『若さまに似合うように』と選んでくれた、小田原染めの藍色の生地に金色の刺繍(魔除け)などなどのほどこされた上下は、松千代的にも『いいね!』であった。
つまり、お金はあるところにはあるのだが『松千代が使用できるお金がない』ことが問題なのだった。
「今日はどうされるのですか、若さま?」
と、松千代の教育係兼近習筆頭の山角康定(上野介)が、秀才然とした白皙のおもてで問うた。数えの二十七歳である。松千代の上機嫌が移ったのだろう、ニコニコしていた。
松千代が康定を見あげ、
「城下町に散策に出かけたくて。護衛をお願いできますか!」
と元気よく訊けば、
「かしこまりました」
と、うやうやしく応じられる。しかし康定は、ここでふと、こう提案した。
「護衛ということなら、何人か、お城の兵を連れて行きましょう。しばらくお時間をいただけましょうか。城代家老さまにかけ合って参ります。若さまにはご不満かも知れませんが、人数は多いほうがよろしい。足軽組頭たちにも問い、心映えのよいものを選びましょう。この上野介にお任せいただけますか」
「はい。いいですよ!」
松千代のこの返答が、実は松千代の知識チートの後押しをするとは、この時点の松千代には分からなかった。