第四話 北条氏康の喜びと苦悩
退出する松千代の背中を見送りながら、氏康はふと涙ぐむ自分に気づいた。立派になったと思う。数え八歳にしては早熟で、いくらか危なっかしい面はあるものの、心根に邪悪なところは見受けられなかった。
(伊勢九郎殿)
氏康は自分の初陣の数年前に戦死した親族に等しい男を思い浮かべた。伊勢九郎はいくさの総大将として出征し、ついに帰らなかった。子どもだったころの氏康は呆然とした。
葬儀の際、伊勢九郎の息子にして、同い年の友だちの涙をこらえる姿を見た時、氏康は悟ったのだ。
なにもしなければ大事ななにかを失う。かつての経験は弱虫だった自分をいまの地位に押しあげていた。そう『必要だから』、氏康は氏康になったのだ。
友だち――いまは氏康の妹をめとって義弟になっている、家中随一の猛将『地黄八幡』――北条綱成も、おそらくは似たような思いを胸に秘め、それでも、豪放磊落に生きているはずだ。
(まさか、松千代が同じことを言うとは)
いま、酒を呑めば、さぞやうまいだろう。しかし、飲酒はしておれない。氏康は仕事が山積していた。扇谷上杉家の滅亡とその領土併合は『併合しておしまい』ではなく『これからが戦争の本番』なのだ。
なんとなれば、和睦交渉の対象が消滅してしまっている。政治的主体のない地域――氏康がどう努力しようと、戦時体制の残る地域――の統治は困難が予想された。
国衆(在地領主)のうち、北条家に協力的なものを取り立て、旧扇谷上杉領の慰撫をするしかないが、そもそも協力的な領主がどれほど現れるか――なにせ、氏康は結果だけ見れば、扇谷上杉家を滅ぼしているのだから――平和裏の統治など望むべくもなかった。
(河越合戦の勝利と、父上の代に任じられた関東管領職の名をもって、扇谷上杉家を従属させられれば楽だったのだが)
乱戦のなかで扇谷上杉家の当主と家宰(重臣筆頭)が戦死し、扇谷上杉家を主導しうる人間がいなくなっている。事実上の滅亡であった。
ひとは大勝利と言うのだろうし、氏康だって『その通りだ』という顔をしているが、内心は頭を抱えるような状況であった。
が、現実はこの通りだ。旧扇谷上杉領は軍勢の駐留をもって統治するしかなかった。
北条家の重臣・垪和伊予守を武蔵松山城におき、氏康に寝返った旧扇谷上杉家の重臣のひとり・太田全鑑を岩付城に留めおいているのはそのためであった。
しかし、太田全鑑は近ごろ、病という。年齢のせいか、旧主を裏切ったことがこたえたのか、あるいはその両方か。全鑑の弟・太田資正は反北条派であり、河越合戦ののち、山内上杉家の領国、上野方面へ逃亡し、ゆくえ知れずという。
ほか、何人かの旧扇谷上杉家の重臣連中の足取りがつかめなかった。おそらくは太田資正と同じように、支援の期待できる山内上杉家(北条家とは戦争状態が継続中)の領国で一族郎党/私兵を養っているに違いない。
扇谷上杉家は滅んでも、山内上杉家との軍事同盟は生きている――まるで扇谷上杉家の亡霊と戦うような状況であった。
つまり、旧扇谷上杉領たる、武蔵国の中~北部の統治の先行きは、河越合戦の大勝利にもかかわらず――むしろ、大勝利のゆえに、領土の急拡大を引き起こし、手が回らなくなっているため――不透明であった。
なんなら、河越合戦の勝利を楽しむ間もなく、政治的な暗礁に乗りあげている、と評してもよかった。現状の北条家が、旧扇谷上杉領の統治や、その先の山内上杉家の領国の攻略ばかりしていられる状況にない、というのも大きい。
いまや関東最大の勢力を誇る小田原北条家は、その版図の周縁部は国衆の自治領であり、実際の本領/本国は沿岸部に伸びる細長い形状の『国』であった。当然、国境に接する大名領国はひとつやふたつではない。友好国がいれば、敵対関係の国もあった。
「御殿。佐貫武田義信さまが面会をお望みです」
小姓の言葉に、氏康は現実に引きもどされた。廊下の小姓にうなづく。
佐貫武田義信とは房総半島中部の上総国に根を張る、真里谷武田家の分家の当主だ。本拠の佐貫城を安房里見家に奪われて以来、北条家のうしろだてをもって佐貫城の奪還を考えている人物であった。
つまり氏康が庇護を与えることによって――双方、便宜的な間柄だが――友好関係にある人物だ。
佐貫武田家の本家たる、真里谷武田家も、友好国だ。
房総半島周辺に勢力を伸ばす、安房里見家を共通の敵としている。有力な水軍を持つ里見家には、氏康は何度か煮え湯を呑まされた。ここらで叩く、よい機会といえば、そうなのだ。
ほか、関東に限定していえば(甲斐武田家を別とすれば)、下総国の千葉家が、現状の北条家の有力な同盟国だろう。
問題は、千葉家と下総国衆の利益が合わず、国衆の離反を招くことが多い――そして千葉家は不満を持つ国衆を叩き潰せるだけの軍事力や経済力を保持していない――つまり、政情不安を抱えるお家であって、頼もしいか、というと、そうではないのだが、援軍を頼めば送ってくれる、よい同盟国ではあるのだ。
口だけ『はい』と言って送らない不義理なお家ではないから、多少の不便は目をつむって――下総千葉家は内紛をするもの、と思って――仲良くすべきだろう。
介入はなるべくしない。要請されれば別だが、下総千葉家に限らず、大名や国衆の自治は守るべきであった。北条家に期待されているのは攻守同盟や軍事的庇護、そして公正な裁判なのだから。
ましてや、友好国は少ないのだ。下総千葉家であれ、真里谷/佐貫武田家であれ、頼ってきたものは大事にせねばならない。
「会おう。すぐに参る、と伝えてくれ」
氏康は言った。おそらくは、河越合戦を契機とし、我が佐貫城を取り返してくれ、と佐貫武田義信は言っているのだろう。取次(外交官)を任せている、佐貫武田家担当の家老や側近も、同じ考えなのかも知れない。
小姓は『ハッ』と返事をし、頭をさげて、走り去る。うしろに続くように立ちあがりながら、氏康は考えるしかない。
(思いあがってはいまいな?)
勝利者の病。自分たちは強い、と誇る気持ちはないか。ほかに手があるのに、なにもかも軍事でことを決する気分になってはいないか。
氏康は気をつけている。しかし、家中の人間はどうだろう。北条家の軍事・外交・政治を決定する家老や、一門、側近。北条家にしたがう国衆たちはどうだろう? ――また勝てるに違いないから、戦うべきだ、と思い込んでいないか。
(ここは安房里見家に頭をさげ、和睦を乞うべきでは?)
氏康は自分の考えに苦笑した。許されるはずがない。もし評定の場で提案すれば、殿さまは頭がおかしくなった、と言われよう。あるいは、子どものころの弱気がぶり返されたか、と。想像するだけで頭に血がのぼり、耐えられなかった。恥辱である。
「ままならんな――」
氏康は独りごち、首を振ったが、歩みは止めない。現状は乱世――いくさの絶えない世なのだ。
――夕食にはまだ早い。氏康はチラリと思う。旧扇谷上杉領の戦後処理ののち、久々の小田原の我が家なのだ。今日くらい(つまりふだんは違うのだが)、氏康の夕餉の席に、妻子を招待してもいいだろう。
(そうだ。そうするとしよう――)
家族がそろう数少ない機会を楽しみに、氏康はおのれの国家戦略に頭をひねっていた。
次の更新時期は未定です。この作品の作者は遅筆だから気をつけてね。