第三話 父との対面
距離よし。タイミングよし。……そろそろか?
「おもてをあげよ」
(焦るな。一呼吸ぶん)
松千代は近習と守役を兼ねた、山角康定、定次、定勝ら、山角兄弟に叩き込まれた礼儀作法を思い出しながら、つとめて冷静におもてをあげた。
北条氏康! 久々の『相模の獅子』の面前に、松千代は少しばかり興奮する自分に気づいた。
(ああ、これで織田信長に会ったらどうなるんだろう――)
ひょっとして死ぬんじゃないか(歓喜で)、と松千代が思う間に、氏康の顔色がすぐれないのに気づいた。
氏康の居室である。松千代は廊下でかしこまっていた。近くに招かれない限り、近寄ってはならない、と判断している。
(内々の席だから、親子の体面でいいんだよな?)
と、松千代がお互いの距離感をはかる。めんどうはめんどう――特に、前世の人間関係と比べるのなら、別種の苦労は味わわねばならない。殺し合いに発展する可能性のある圧迫面接なんて、前世ではなかなかないだろう――だが、相手は軍閥のトップである。
家格秩序の支配する中世~近世において、身分違い(格下)の無礼は粛清される可能性のあるものだ。
第一、この肌がひりつくような『大名との対面』は嫌いではなかった。
(ああ、オレはいま、戦国時代に生きてる……!)
と、松千代は喜びに包まれている。
変態というか、難儀な趣味の持ち主なのだ。松千代は趣味人――ちょっとした個人的喜びのために人生をかける、ある意味において、勇敢さに不足しない存在であった。自分の歴史趣味、特に戦国史趣味に『これ以上なく添った生き方』は、かれの喜びであった。現状、趣味をしてすごせる環境に等しい。多少の危険は呑み込めるものであった。
観察する間に、氏康は百面相であった。廊下の次男を招くことをせず、じっと見つめながら『あーでもないこーでもない』と内心の思考が顔色や目つき、口元にあらわれてしまっている。
(氏康公は激情家だもんな……)
対する松千代のまなざしは、まるでアヒルの子をながめるようないつくしみの色にまみれていた。歴史資料から垣間見える人物像をナマで観察する機会は前世だとまず、ないし、今生でも、そう多くはない。
(なむ……)
と、突発的な衝動から内心で氏康の顔をおがんでいると、ついに氏康が口を開くのだ。
「河越合戦の勝利を予期したそうだな」
松千代はキュッと唇をすぼめ、目元を笑みのかたちにした。内心ではさまざまな計算が働いている。なにか……やばかっただろうか? と。言ってしまったものはしょうがないから、吐いたツバは呑めない。
「ほんの想像ですが……」
と、遠まわしに氏康の指摘を認めた。
(言いました、河越合戦はうちが勝つから心配するなって。母上や兄上、家中のみんなに言いました!)
河越合戦とは、今年、天文十五年(一五四六)・四月二十日、武蔵国河越城をめぐって争われた、戦国時代有数の大戦である。
甲斐国の戦国大名・武田晴信(信玄)や、駿河国の今川義元など、複数の大名勢力との外交交渉のすえ、貴重な兵力を東海道方面から抽出した北条氏康は、野戦軍八千をもって反北条連合軍二万五千(諸説ある)にぶつけた。
軽装・最低限の携行食糧を持っただけの夜間行軍~朝方の急襲、及び、呼応した河越籠城勢三千の逆襲によって、反北条連合軍は敗走。
関東の伝統的支配者である、古河公方(関東将軍)・足利晴氏や、反北条連合軍の首魁・関東管領(関東副将軍/関東執政)・山内上杉憲政を撃退し、前者の影響力を低下させ、後者の衰退を決定づけた。
また、山内上杉家の分家かつ、北条家の長年の宿敵であった、扇谷上杉家を滅亡させていた。
いわば、戦国期関東の政治事情を一変させた、歴史に残る大戦であった、といえよう。
ある意味、氏康がねっとりと質問してくるのは当然のことであった。
「どのように――どのように話した? 家中のものに確認はしてあるが、おまえの口から聴きたいのだ、松千代」
(アレ? これ……疑われてる?)
容疑の内容は定かではないが、父・氏康のじっとりとしたまなざしは確実になにかをいぶり出してやろう、という気配に満ち満ちていた。松千代は考える。冷や汗をだらだら流しながら。ただ、表面的には微笑んで。
(冷静に考えれば『オレに前世の記憶がある――転生者』だということを、氏康が疑う可能性はないに等しい。ハイ疑問! ならば、なにを疑っているのか? 待て。そもそも、この『問い』は正しいのか)
松千代は氏康の内心が分からない。おそらくは先方もそうなのだろうが……分からないからって『なにー? なにをうたがってるのー??』とアホみたいな質問はできない。
松千代はペロリと唇を舐めた。
松千代は今生、何度となくウソをついてきた。一人称『オレ』なのに『私』と称し、ですます口調でいるのはその最たるものだ。周囲のおとなや、同輩を刺激しないために丁寧な対応をこころがけていた。いわば、かれは自覚的に『北条松千代丸』という仮面をつくってきたのだ。
あるのは、どうすればこの場を切り抜けられるのか、という、何度も訊ねてきた『問い』だ。かれは戦国時代に生きているのである。
(ああ、クソ。リデルハート先生、あるいはルトワック先生。助けてー!)
前世でななめ読みした戦略論の名著の作者に助けを求めても、特に救ってくれないことは理解している。戦略思想とて思考の道具。持ち主が混乱し、ポンコツの状態では、よい引用などかなわない。そう、これは現実逃避。松千代は考える。
(自分の戦略的思考のなさがイヤになる。でもさ、元男子高校生にいきなり議論の正解を出せってほうがおかしいでしょ? テストじゃないんだぜ。――いや、待て。『テストなのかも知れない』、な……?)
氏康先生。『私』は生徒。親子の関係だって突き詰めればなにかの『伝授』と『是正』だろう。
親子、親子か。松千代は考える。この前提認識が間違っていたらシャレにならないが――氏康が松千代を子どもと認識しているかが肝だが――ここは『裏表のない"演技"が最良の手』と信じた。
早い話、松千代は『北条松千代丸』としての演技を継続すればよい、と。賭けであるし、泥沼のような気もするが。
松千代は呼吸し、一拍の間。
ほがらかな――まったく苦労知らずの御曹司。室町幕府からの正式な辞令ではないものの、古河公方・足利晴氏から関東管領職に内々に任じられ、また、晴氏の正室を輩出した、戦国期関東政界の上位クラスの家格を達成した小田原北条家の子として生まれた、聡明な若君のひとりの――表情をつくって、言うのだ。
「たいへんでした。だって兄上が近習・小姓衆を引き連れて『父上の加勢に行く!』とおっしゃるのですから。頼もしくはあります。家老がたは、兄上――『西堂丸さまには嫡男たるのお覚悟がない。軽率にすぎる』といさめてましたけど、私はそうは思わない。
誰もがお家の先行きを危ぶまれるなかで、なにはなくとも、父上のお役に立とう、と考えられたのは、第一に兄上です。
でも、だからこそ、私は兄上に言おうと思ったのです。兄上だけではない。兄上の背中を押しそうな――たぶん、ご自分の勇気と不安のはざまにあった――母上のためにも。
『父上に加勢は無用』
と。いらない心配ですよ、と。私はこう思っていたのです――」
松千代はそこで氏康を見つめた。偉人――このひとは偉人だと念じながら。きらきらしたひとみになるように。それはまったくの事実だから。松千代は、こうと言う。
「父上は勝つ。必ず勝つ。なぜなら父上には神仏の――関東の守護神・鶴岡八幡宮のご加護があり、そうでなくても、駿河今川家に大度量を示されたのですから」
「それよ」
すかさず、氏康が扇子でひざを打ち、言う。いつの間にか、氏康は前のめりの姿勢になっていた。
「大度量とはなんのことか」
「駿河国の東部――河東地域を今川家に割譲し、和睦を結んだことです」
「なぜ和睦が大度量になる。わしのほうから頭をさげ――甲斐武田晴信の仲介があって、はじめて結べた和議だぞ? 元より優勢な駿河今川義元は、最後までしぶっておったという。風魔――忍びの報告ではそうなっている」
「和睦は和睦です。それに――」
「なんじゃ、松千代?」
松千代は生真面目な顔をつくった。御曹司然としたなかに『意図的に』切れ者の印象が残るように。お坊ちゃんだけど頭はいいですよ、と見えるように。まさに――『ふたりぶんの人生』が違和感なく『北条松千代丸』となるように。
「この場合、求めるべき『仮説』は我らの家中になく、むしろ敵の家中にある――父上ならご理解いただけるはずです。和睦の持つ意味を」
「おまえの口から聴きたい、と申した」
「ならば、つたないながら、私の考えを述べます――敵は恐かったはずです。駿河今川義元、甲斐武田晴信は元々、山内・扇谷の両上杉家の同盟相手。何度となく、いくさの方法を話し合った相手が『北条家と和睦した』と聴けば、いくさの方法そのものが、北条家にもれるかも、と」
氏康はそこまで聴き、腕を組んで瞑目した。松千代の言葉を引き継ぐように、氏康はとうとうと述べる。
「敵は二の足を踏む。河越城への力攻めどころではなく……わしの後詰(救援)の軍の到着まで、甲斐武田家や駿河今川家への疑心暗鬼のなかで、連合軍内部で方針対立をおこないながら、迎える、と――」
「元々、もろかった、連合軍の結束が乱れる。まさに必敗の形勢です。連合軍方はそうでした。ゆえに――」
松千代はそこで『へにょーん』と崩れた表情をした。温和そのものの顔。ほーじょーまつちよまる、かぞえ、はっさい。
「だから、私は、父上には神仏のご加護がある、と申しあげましたっ!」
えらいでしょ? すごいでしょ!? 褒めて、褒めて『ちちうえ』! と、胸を張るように――内心は冷や冷やだったが。
松千代が自慢げ、かつ、薄目で氏康のようすをうかがうと、氏康は安堵のような息をついた。松千代が目を見開くのと、氏康のまぶたがあがるのは同時だった。目を合わせた、氏康は微笑んでいる。松千代は自分が『勝った』ことを悟った。
だが、勝って兜の緒をしめよ、という。内心では『やったぜ!』とガッツポーズになっていたが、もちろんおくびにも出さない。松千代は氏康の言葉を待つように、かえって姿勢を正した。
氏康は片手をあげ、楽にしてよい、と言った。松千代を居室に呼んでから、はじめて、手招きをされた。松千代は氏康の近くにすり寄った。また、頭をさげる――その時、氏康が言うのだ。
「しかし、まだ訊ねたいことがある」
(どきーん!!)
と、松千代の幼い心臓が跳ねた。えぇ……このタイミングでまだ訊く? さすが名将。いや、河越合戦の総大将。奇襲の類いは得意のようで――と半ば現実逃避しつつ、松千代が、ギギギ、と笑みのかたちで固まった顔をあげる。
氏康の表情はやわらかかった。その時点で、松千代は自分が、早とちりをしていたと悟った。
が、油断はならない。相手が北条氏康だということをほんの少し忘れていた。もう忘れない。なんでもこい! 松千代が内心で覚悟を決める間に、氏康が言うのだ。
「なぜ、言ったのだ?」
「はい?」
「ああ、いや、なんと申すかなあ――」
氏康は頭をかき、それから、松千代の頭に手をおいた。なでまわされる。愛情を込めて、それでも、おとなの男の力でなでられる。松千代の視界が左右前後に揺れるなかで、氏康は言った。
「おまえが言わなくても、家老の誰ぞに任せればよかったろう。……おまえの頭のよさは分かった。前々からそう思っていたが、知将の片鱗はあるだろう。だからこそ、分かるはずだ。『おまえでなくてもよかった』、と。おまえの兄を止め、母をなだめ、家中をまとめるのは、おまえでなくてもよかった、と。おまえはいらぬ苦労をした」
「いらぬ苦労などと――」
松千代は、はじめて素の『自分』にもどった。氏康はいろいろ考えすぎるんだよ、ま、戦国大名ってのは心配性なのかな、そうでなきゃいけないんだろうな、と内心であれこれ笑い飛ばし、言った。
「必要だと思いましたから」
「そうか――そうか」
氏康はなぜか上機嫌になって、何度か松千代の頭をポンポン(松千代からすれば『ボンボン』だったが)叩き、次いで、真顔になる。両肩に手をおき、言われた。
「兄を……西堂丸を支えろ。おまえならできる、とわしは思う」
言われ、松千代はいくらか身体をこわばらせた。
氏康の長男・西堂丸――のちの北条新九郎氏親は天文二十一年(一五五二)三月二十一日に落命する。死因は不明。前年末に元服、同年二月に初陣を飾ったと見られるから、その陣中でなにかあるのかも知れないが、よく分からない。
史実上の北条松千代丸は兄・新九郎氏親の死をもって歴史の表舞台にあらわれる。すなわち、北条氏康の次なるあとつぎとして。元服してのちの名前をこうあらわす。
北条氏政。
小田原北条家四代目当主。北条家の最大版図と戦国大名としての滅亡をもたらす、名君か暗君か定かでない存在として。
豊臣秀吉による小田原合戦(天正十八年/一五九〇年)に敗北し、翌年の奥羽反乱の鎮定(一五九一年)をもって終わる戦国時代の先を見ることなく、氏政は死ぬ。
小田原合戦勃発の責任を取らされ、弟や重臣ともども、天正十八年七月十一日に切腹を強いられるのだ。戦国大名としての小田原北条家は戦国時代のほんとうの末に滅んだ。
(逃げてもいいけど……)
松千代は笑みのなかに内心を隠した。逃げてもいい。甘美な選択。悪い話ではない。しかし、『イヤ』――そう、『イヤ』なのだ。選択するのなら、もっと別の道が『いい』。まったく趣味の問題であった。
そして、松千代は『趣味人』なのだ。これ以上なく。
(まあ、いいか。どうせ、そろそろ動こう、とは思ってたんだ。弘治三年(一五五七)の大飢饉まで……十一年か? 長いようで短そうだし、手は打たないといけないんだよな。永禄三年(一五六〇)には上杉謙信の『越山』――本格的な関東侵攻はあるし。でも、その、手を打つ、が困るんだよなあ。
やりたいことはたくさんあっても、予算と人員を集めるにはどうすれば? スローガンをぶちあげるだけってのはダメだろうしなあ……。どこまでやっていいんだろ?
ひとは立ち向かうか降伏するかの行動あるのみ、なにもしなきゃ、むごたらしく痛めつけられる、って歴史が示してるんだよなあ……ローマとか。ともあれ)
松千代は自分が思考の淵にいることに気づいた。これ以上、今生の父を待たせるのは無礼だろう。
松千代は氏康を見あげながら、うなづいた。ニッコリと笑う。当然、あなたのおっしゃることは私も考えていました、というていで、元気よく。
「はい! 私は兄上を支えます、父上っ!」
と。