第二話 今生
松千代――自分のお宮参りの時に『神さまに逃げられた』という。
『今生』の母の言葉は意味不明だった。
「でも、そうなのよ~。みんなでお宮参りに行ったら、神主さまが――その神主さまは幽霊の見える方なのだけど――『神さまが本社のほうへ飛んで行った。いつお帰りになられるか分からない』って。……その時の、お殿さまの顔ったら~!」
と、クスクスと笑う今生の母・椿は美人だった。意味もなく『ラッキー』と思う、自分のあさましさに、松千代は微苦笑した。
「しかし、『母上』――」
松千代が手慣れた演技で今生の母になにか言おうとした時、今生の『父』――北条氏康の小姓が呼びに来た。松千代に話がある、ということらしかった。
『相模の獅子』
と、後世うたわれる戦国武将を、今生の父に持った気持ちは複雑である。松千代は自分が誰か――氏康の次男が歴史上、どのような立ち位置か――に関して、いくらかの知識があった。
歴史好き、あるいは歴史オタクなど、呼び方はいろいろあるが、要するに、松千代は、得意科目が『歴史(日本史)』というくらいの、元・男子高校生だった。
――前世の名前は佐伯千秋。
愛媛県松山市生まれ。母方は同県宇和島市の旧家。本家ではないが。松山東高等学校普通科一年生。だが、すでに愛媛大学法文学部(日本史履修コース)に進学希望だった。もはや過去のプロフィールだが。
趣味は歴史の勉強やゲーム。それからコソコソと小説を書くこと(かたちになったことはない)。友だちとの買い食いや猥談も好きだが、家族の手料理をなによりも好む少年であった。
死因は徹夜のしすぎによる心臓麻痺である。
ともあれ、千秋あらため、松千代は歴史好き。割とガチな。熱意と知識が足りてるかは別なのだが(手に入る資料の都合上、どうしても最新研究と古い研究は混ざってしまう)、しかし、だからこそか。
氏康へは敬意がある。歴史上の偉人だからだ。
小田原北条家といえば、戦国期関東を代表する大名勢力であり、比較的、先進的な文書行政や裁判制度で知られる。
のちに関東入りする徳川家康のひらく江戸幕府の基盤となった政治をおこなった勢力なのだから、後世から見て、その存在の歴史的意義は大きい。
松千代は特定の武将のファンではないから、織田信長や、上杉謙信などに対しても、似たような反応を示すだろう。会ったことはないが。
同時代を生きている、と思えば、緊張した。嬉しくもあった。
時は戦国乱世。皇朝衰微し、天下麻のごとくみだるる……と、軍記物の出だしのような、というか、まさに軍記物の題材となったデンジャラスな時代/環境だって――気にならないといえばウソになるが――ある種の晴れ舞台と思うことはできた。
もちろん、実際には血なまぐさい時代だし、折につけ、それは感じるのだが、それはそれ、これはこれ、である。
戦国時代の出来事のひとつ、ひとつを生真面目に受け取れば公家の日記に無数に書かれた他人の悪口なんかも丁寧に検証せねばならなくなる。一定の不真面目さは人生の薬だと、松千代は早くも悟っていた。
「う、氏康公! じゃない……父上が、ですか?」
うわずった声ののち、いつもの丁寧な演技をおこなう。松千代は生来、運がよかった。多少、ボロが出た時、周囲は突発的な難聴になるか、好意的な捉え方をしてくれることがしばしばだった。
今回もそうである。
「まあ、松千代は相変わらず、お殿さまがお好きなのね~?」
椿がふくれっツラで言う。母・椿の居室であった。武家の生活はなにかにつけ政治にくるまれているため、育児ですら満足にかかわれないこの母親は、
『せめておおきくなった子はかまっていいでしょう~?』
とばかりに、松千代その他の年長組の子どもを自室に招き寄せ、話し相手とすることが多かった。もちろん、年長組といったって、十歳に届かない年齢だ。
松千代の場合は数えの八歳。天文八年(一五三九)の生まれである。自分の生年を知った時『そっちかー』と思ったのは歴史好きの性だろう。諸説あるのだ、氏康の次男の生年は。
椿だってヒマなのではない。仕事、特に奥組織や家臣団の縁談人事などの事務仕事はあるのだが、合間、合間に息子や娘と会いたがるのだ。『息子・娘を猫かわいがりしない日は仕事にならない』とは椿の言葉。
「母上。私なら、またお相手をいたしますから――」
松千代は氏康に呼ばれたとあっては喜色を隠せない。口端がピクピクするのだ。
見て、椿はますますふくれっツラになるが……最後は笑う。椿は松千代を呼びに来た、氏康付きの小姓に『すぐ解放しますよ』と目くばせしたあと、松千代の頬を触って、言うのである。
「またおいでなさいな~」
「はいっ、もちろん!」
松千代は元気よく応じ、礼儀作法にのっとって退出する。その後ろ姿を見送りながら、椿はため息をひとつ。どこか寂しげに言うのだ。
「いい子すぎるわねぇ~……」
わがままをいつ言ってくれるのかしら~、あの子の兄なんかはわんぱくすぎるくらいなのに。あの子がやさしいのは痛いくらいに感じるのだけれど……ず~っとああなんだもの、逆に不満だわ~、と。
話を聴いていた侍女なんかは『お方さまのほうがわがままな気が――』と思うのだが、礼節を知るがゆえに『そうですね』とおとなの対応をするのだった。