俺と後輩、以心伝心
英語の授業が始まる。俺はこいつの授業が嫌いだ。欧米か!とツッコミたくなるほど、テンションだけは高いわりに、発音にアラが目立つ。俺も正しい発音かどうかなんてわからないけど、しかしそれでも、なんとなく日本人ががんばって英語っぽい発音をしようとしています感が伝わってくるのだ。
そんなこんなしているうちに眠気が襲ってくる。どうにも退屈だ。一度、ノートに、あまりに退屈すぎて鯛が靴を履いている絵を描いた。頭の中に浮かぶ鯛の絵も、靴の絵も描けず、二つの交点を持つ二本の曲線の下側に二本の棒がつき、その先にぐちゃぐちゃとした何かがついている絵が完成した。昨日、予習の真似事をしているときに見つけたときには、焼き魚の絵でも描いたのかと錯覚したくらいだ。焼き魚という英単語でもあるのかと必死で考え、ようやく、退屈だということを思い出したくらいだ。そのときは大笑いしたが、今思い出してみても笑える要素などなく、授業中に失笑をせずには済んだ。
それにしても眠い。まぶたが重いのがわかる。軽く目を閉じれば、そこには天国が広がっている。次第に瞬きのスピードが遅くなる。いよいよ夢の世界へと旅立とうとしたそのとき、
「ヘイ、ミスターリョー、ハウドゥーユートランスレートディスセンテンス?」
錦鯉にあてられてしまった。錦鯉とはこの英語教師のニックネーム、いや、あだなだ。名字が錦谷と言い、顔が鯉に似ていることからこのあだなになったらしい。先輩が使っているのを聞いて、俺もこっそり使っている。
さて、俺は困った。微睡みを邪魔されたうえ、授業がどこまで進んでいるかわからない。錦鯉はわかりません、という言葉を毛嫌いしている。わかりません、というと烈火のごとく怒る。解答するまで許さない。まるで前世でワカリマセン国王にでも一族ごと処刑されたのではないか、と思うほどだ。
「え、えーと」しどろもどろになっている。なんだか恥ずかしい。しかし、わからないものはわからない。どれを訳せばいいのかわかればまだ対処できる。しかし、どこまで訳が終わっているのかさえわからないのだ。こんなとき、隣の席の悪友がこっそり教えてくれるのが、漫画やラノベなんかによくある展開なのだが、生憎、両隣も前後も退屈さから授業なんてろくすっぽ聞いていない。自分が指名されてからどのくらい時間が経ったかわからない、実際はほんの数秒なのだろうが、もう十分は経った気さえする。じっぷんでじゅうぶんというダジャレが浮かんだが、とてもでないが笑える心境ではなかった。神でも仏でも、ほんとにいるなら助けてくれと思ってみたりもした。
『運命は勇者に微笑む、ですよ。先輩』
心の中で声が反響した。ハウリング一歩手前で、あやうく聞き取れないところだった。
「う、運命は勇者に微笑む」俺はなんとかそれだけ言った。自信なんてものは一切なかったから、語尾はあがった。それからどこだ、と自分のノートを探した。そんなふうに訳したところは記憶になかった。実際、そんなところはなかった。
「ヴェリーグッ」錦鯉は満足したようだ。雷は落ちずに済んだ。
心の中にこだました声の正体はすぐにわかった。というよりもこの時点でわからない人はどうにかしているのかもしれない。皇帝だ。神でも仏でもなく宇宙皇帝が助けてくれた。この世でどちらが偉いのか俺は知らない。しかし、改めて考えてみると、随分とすごいところから助けられたなと思った。あとでお礼の蹴りでも一発入れておこう。皇帝は、そうすると喜ぶから。
さて、平然と流していたがきちんと解説しよう。何が起こったかといえばテレパシーだ。声は空気の振動をもって耳に届く。音というものはどんなに遠く離れていても、小さな小さな振動となって残っているらしい。この世には音があふれている。だからその小さな小さな振動はほかの音にかき消されてしまい、人間の耳は認知しない。また、考えるだけでも声帯がわずかに反応する。不意の一人言に驚くことがあるのもこのためだ。声帯が反応すれば音になる。やはりこれも小さな小さな空気の振動だ。この振動を相手の聴神経にうまいこと反応させることがテレパシーらしい。実際にテレパシーを使いこなしている皇帝が言うにはそういうことらしい。原理はわかっても、人間にはとてもできないというのは、瞬間移動と大して変わらない。
また、生物は困ったことがあると、特殊な念波を出すらしい。いわゆる超能力が使えない人でも、波長が合う人にはそれがわかるらしい。これがいわゆる以心伝心にもなるらしい。
皇帝は森羅万象のこの念波を感じることができる。そして、その中でも波長が合う俺の声はとてもうるさく響くらしい。だからこそ、俺が困っているときにテレパシーを飛ばして、助けてくれたというわけだ。
一度ふざけて試験のときにも、と頼もうともしたが、せめてそのくらいは自分でがんばらないと自分が自分でなくなってしまっていく気がして、言葉を飲み込んだことがある。考えた時点で音になるという理論が真実であるならば、もしかすると、声として皇帝の耳には届いていたのかもしれない。それでも何も言わずに飄々としている皇帝はやはりどこか達観した大物なのかもしれない。実際、テストで困っていても救いの声が聞こえたことは未だに無い。