サマーパーティー その3
ダンスパーティーは、学校のホールで行われた。
王立の学校だけあって、しっかりとお金をかけられた、お城にも引けを取らない広くて綺麗な建物が建っていて、入学式や卒業式などのイベントにも使われる。さすがに豪華さではお城に負けるけどね。でも、学生たちが盛り上がるには充分だ。
パートナーとは女子寮の玄関で待ち合わせだ。
基本は男女二人組で行くことになっているが、まだ学生なのでそう堅苦しくなく、同性の友人同士の参加でも大丈夫だ。
まあ、ほとんどがちゃんとカップルになっているけどね。皆さん積極的だわ。
仕度を終え、部屋を出ると、わたしの取り巻き……仲のいいお友達がいた。
「まあ、ミレーヌ様、素敵ですわ」
「このブルーのドレスは、殿下がお贈りになられたものでしょう? 今流行りのデザインですわね」
「そしてこのお色! 殿下の瞳の色ではありませんか!」
「きゃああああっ、ミレーヌ様ったら、愛されておいでですわね!」
「あ、あら、そうかしら? ありがとう」
耳ざわりのいい言葉を『ミレーヌのご機嫌とり、ご苦労様。いつも気を使わせてしまってゴメンナサイ』と思いつつ流して、わたしは余裕があるふりをして、おほほほ、と笑う。
なるほど、瞳の色とは青を選んだのはそういう深い意味があったのね。だから俺が選んだとか言ってドヤ顔をしていたわけか。
さすがイケメン王子、細かいところにもそつがないわねー。
あ、イケメンは関係ないか。
「さあ、あちらで殿下がお待ちですわよ」
「殿下の制服以外のお姿を初めて間近で拝見しましたわ。今日は一段と素敵ですわね……見惚れてしまいそう」
玄関ホールへと階段を降りると、濃いブルーに銀糸の刺繍がされた礼装に身を包んだキラッキラのレンドール王子が、うっとりした顔の女生徒たちに囲まれていた。そばに白馬を連れて来たら、完璧なお伽話の王子様だわ。
「レンドール様」
婚約者の特権で名前を呼ぶと、女生徒の輪が開き、王子がふっと笑ってこちらに近づいてきた。背筋がぴんと伸びた姿には、国のトップに立つものの威厳のようなものが感じられる。
「ミレーヌ、よく似合っている」
ブルーの瞳の中に、ブルーのドレスを着たわたしが映っている。
なんだか本当にレンドール王子に愛されているような錯覚に陥りそうになり、わたしは目を伏せた。
勘違いしては駄目だ。後で傷つくだけだから。
「素敵なドレスをありがとうございました」
「なに、当然の事だ。お前が気に入ればそれでいい」
わたしは王子の左腕にそっと右手をかけ、隣に寄り添った。
今だけは、彼の隣にいられる。
わたしは顔を上げて、何も言えないけれど精一杯の笑顔でレンドール王子に笑いかけた。
レンドール王子は目を見開くと、わたしの首元に軽く触れて言った。
「とても綺麗だ、ミレーヌ」
今度はわたしが目を見開いた。
そして、へにゃっとした顔になってしまう。
社交辞令だとわかっているものの、こんなふうに優しい言葉をかけてもらえるなんて思わなかったから。
「……っ! そんな顔を他の奴らに見せるな!」
わたしの情けない顔は、王子様のお気に召さなかったようで、なぜか赤い顔をしたレンドール王子にぴしゃりと言われてしまった。
また嫌われてしまったわ。
わたしはしゅんとなって俯いた。
「違う、そうではなくて……可愛い顔を他の男には見せるなと……」
「はい?」
「いやいい。さあ、行くぞ」
よく聞こえなくて聞き返したわたしを引っ張るようにして、ダンスパーティーの会場に向かった。
「あの、レンドール様」
「とうした?」
ファーストダンスは終わった。
にもかかわらず、レンドール王子はわたしの腰に回した手を外さず、左手はわたしの右手に絡ませたままだ。
曲の合間になぜか指先でわたしの手をくすぐるようになぞるから、身体をもじもじ動かしてしまう。
上目遣いで軽く睨むと、笑いながら目で合図する。
こんなの、傍から見たらいちゃいちゃカップルじゃない。
次の曲が始まり、わたしは再びレンドール王子のリードでステップを踏む。
おかしいわ。ゲームのストーリー通りならここでわたしはお役ごめんになって、レンドール王子は群がる令嬢たちと次々にダンスをこなしていくはずなのに。
わたしは怪訝な顔をしながらも、ダンスの名手であるレンドール王子のリードでダンスを楽しんでしまう。上手な男性と踊ると、本当に楽しい。しかも、相手はわたしの大好きな人だ。
今だけ、今だけ、と自分を諌めながら、わたしは手を握るレンドール王子の顔を見つめながらひたすらステップを踏む。
そして、2曲目が終わった。
繋がれた手はまだ離れない。
何で?
3曲目もわたしと踊るつもりなの?
「どうした、ミレーヌ。 まさか、もう疲れたなどと言うつもりではないだろうな?」
今度は腰に当てた手を微妙に動かしながら、レンドール王子は意味ありげに笑って言った。
身体の線をなぞられて、なんだか恥ずかしくて。
意地悪ね、わたしのことをからかっているんだわ。
「いいえ、これくらい平気ですわ。わたくしはひ弱な令嬢ではございませんから」
赤い顔をしながらも、つんと頭を振り上げて答える。
「そうだな。お前はダンスもしっかり学んでいるようだ」
「はい。今回のパーティーのために、特に練習を積んで参りましたわ。何十回とライディと……」
「お前の従者と、なんだ?」
急にわたしに回された腕とわたしの手を握る指に力が入り、踊っているのか拘束されているのかわからなくなった。
なに、わたし、また地雷を踏んじゃったの?
「レンドール様、痛いですわ」
「従者と何をしていたのだ?」
さっきまでの甘さが消えて、すっかり怖い顔になったレンドール王子が言う。端正な顔をしているから、怖い顔をすると迫力満点なのだ。
「ですから、ダンスの練習ですわ、それだけですわ、だから」
「こうやって身体を触れ合わせて、何十回と踊ったわけだな」
「ただの練習です!」
そりゃダンスの練習なんだから、身体もくっつくわよ。
「ならば、本番はそれ以上に踊ってもらおうか。今夜は俺以外の者と踊ることは禁じる。そして、練習した回数以上に俺と踊るのだ。わかったな?」
わかりませんよ、なんなんですかその命令は!
この王子様、変だ。絶対変だ。
俺様過ぎて、もうわけがわからない。
でも、国の王子に対してわたしがもの申す訳にもいかないため、これでもかと腰を引き寄せるレンドール王子のリードに合わせてわたしはくるくると踊り続けた。疲れ果てて、「お願い、少し休ませて……」と涙目になって王子にお願いをするまで、ずっと。
「うー、何の罰ゲームよ。ダンスはスポーツなの? 明日は筋肉痛で動けないかもしれない……」
しょせん女性に過ぎないわたしと、普段から剣を振り回して身体を鍛えている青年との基礎体力の違いだろう。わたしがふらふらになって会場の片隅にある椅子に崩れ落ちてからも、レンドール王子は人に囲まれて華やかな笑顔を振りまいている。
今夜はなぜか、ライディは遠くからわたしを護っていて、顔を見せることがない。なぜかと尋ねたら、「少しは自分の頭もお使いください、お嬢様」と上から目線で冷たく言われてしまった。仕方がないので、ジュースのグラスを片手にひとり寂しく会場を眺めている。
レンドール王子は、華やかに彼を取り巻く女性からひとりを選んで見事なステップで踊りだした。
さっきあんなに踊ったのにね。
きっとパーティーが終わるまで彼は踊り続けなければならないだろう。
王子の仕事もなかなか大変だ。
でも、体力あるから筋肉痛にはならないんだろうな……かっこいいな。
そんなことを思いながら、わたしは灯りを反射して美しく輝く金髪を目で追っていた。その仕草も、脚捌きも、どれをとっても一流だ。見惚れるほどに美しい。
あの綺麗な婚約者の近くにいられるのもあとわずかなのだわ。
せめて今夜はレンドール王子の素敵な姿を目に焼き付けておこう。
わたしは胸がきゅうっと痛くなるのを感じた。
メイリィ・フォードさえいなければ……もっとあの大好きな人のそばにいられるのに。
心からそう思ってしまうわたしは、やっぱり悪役令嬢なのね。
「次は誰をいじめのターゲットにするか、選んでいるのか?」
上からぶしつけな声が降ってきた。
わたしはその主をキッとにらみつけた。
レンドール王子と同じクラスで、よく話しているところを見かけるサンディル・オーケンスという貴族の子息だ。
オレンジの髪にグリーンの瞳、確か剣の腕がいいらしく、王子とはライバルだとか。そして例の如く、非常に整った見た目をしている。ファンの多さも王子といい勝負なんじゃないかしら。
くだらない質問に答える義理もないので、存在を無視することにした。
ふん、レンドール様の方がずっとかっこよくてよ。
「先輩を無視するとはいい度胸だな。さすがはお妃候補様だ」
「尊敬できそうにない方は、先輩だと思っておりませんの。わたくしに構わないでくださいませ。あなたとお話ししたがっている令嬢があちらに大勢いるのではないですか」
わたしが口調だけは馬鹿丁寧に言うと、サンディル様は顔をしかめて言った。
「これはまたキツイ女だな。レンドールの好みとは思えない」
「余計なお世話です」
何なのかしら、この男。
わたしにケンカを売りに来たの?
あ、わかったわ。
「なるほど、あなたもメイリィ・フォードが好きなのね!」
わたしはパンと手を打ち鳴らして、得意げに言った。
ご覧なさいライディ、わたしだってちゃんと頭が働くのよ。
「もしかして、レンドール様と彼女を取り合っているのかしら? 残念ですわね、王子様とでは勝負になりませんもの」
「はあ?」
あら、ここは図星を刺されたサンディル様が、真っ赤になって悔しがる反応のはずなのに。なぜぽかんと口を開けて間抜けな顔をされているのかしら?
「何を的の外れた事を言って、得意顔をしているんだ?」
あら、外しちゃった?
「メイリィ・フォードの平民らしさに癒しを感じてしまって、惹かれているのではないの? ほら、できのいいお兄様と比較されて鬱憤が溜まっているところで『あなたにはあなたしかできない事があるじゃない』とか言われて、すっきりした気持ちで騎士団長を目指して剣士として大活躍、果ては国の英雄にって、あら、なんで詳しく知ってるのかしら」
「……今のはなんだ?」
いやあん、いきなり怖い顔になってしまったわ!
わたし、また地雷を踏んでる?
「俺が兄上とどうしたって?」
心の奥底にしまってあるイタいとこ、思いっきりえぐられたっていう顔をしているわね。
まずいわ。
「あー、ええとー、第六感? 勘の良さも王妃としては必要っていうのかしら、類い稀なる洞察力を備えているだけですから、気になさらなくて結構よ」
わたしはそろそろと椅子から立ち上がって、その場から逃げだそうとしたけれど、剣だこのできた大きな手がわたしの手首を掴んでしまい、逆に引き寄せられてしまう。
「もう少し詳しく聞かせて貰おうか」
やだ、笑顔が怖いわ!
しかも、アップで見ると、その精悍な中にふと見せる甘さのあるマスクとか、鍛え上げた素敵な身体つきとか、なんだか破壊力が半端ないわこのイケメン!
本当に、レンドール王子と負けず劣らずの……かっこよさ?
待って、この人。
目まぐるしい日常生活で忘れかけていたけど、ここは乙女ゲームの世界で。
彼、サンディル・オーケンスも攻略対象キャラのひとりじゃなかったっけ?
さっきぺらぺらと喋ってしまったのは、ヒロインとのイベントでの様子だわ。
ああもう、前世の知識をもっと有効に活用しようよ、自分。
「その、わたくしちょっと疲れているみたいで、今のはうわごとだと思ってくださって結構ですわ」
「人の話を聞かない女だな」
サンディル様はごまかされてくれない。
「あ、大変、ちょっと待って!」
わたしがここにいることを知ってか知らずか、レンドール王子が事もあろうにメイリィ・フォードを伴ってこっちにやってくるのが見えた。
わたしはまだ手首を掴んでいるサンディル様を押しやるようにして、隠れるようにバルコニーに進んだのだけれど。
「嫌だわ、なんでこっちに来るの! あ、イベントはバルコニーだったっけ、やだもう」
「おい、ミレーヌ」
「黙ってて! 静かにしないと見つかっちゃう」
「な、んぐ」
「奥に隠れましょう、ほら、早くして」
わたしは片手でサンディル様の口をふさぎ、広いバルコニーの暗い隅へ引きずるように連れていった。