サマーパーティー その2
翌日、わたしはライディを連れてレンドール王子のいる教室へ出向いた。
「あれ……ミレーヌだ」
わたしに気がつき、少しだけ嬉しそうな顔をして近寄ってきたのは、隣国であるエルスタンからの留学生である、ケイン王子だ。
彼は肩まで伸びたさらさらのプラチナブロンドに水色の瞳をした、ちょっと目を見張るくらいの美人さんだ。ドレスを着たらわたしより似合ってしまいそうな輝く美しさよ。すらっと背が高いけど、剣術も学んでいるからなよなよした感じはしない。
そしてなぜか表情の変化に乏しいけれど、悪い人ではなさそう。王族同士のよしみかレンドール王子と一緒に行動していることが多いみたい。
「ケイン様、ごきげんよう」
わたしは膝をちょっと折り、敬意を示した挨拶をする。
基本的には学園内では身分の差は気にせず過ごすというお約束なのだけど、わたしは礼儀作法を叩き込まれているせいか、そこまでラフにはできないの。
学園全体にも、暗黙のお約束としてある程度のわきまえは必要とされているしね。
建前の中でどのような振る舞いをするかで、その人柄が皆に知れるということよ。
学生とはいえ、なかなか気は抜けないわ。
「レンドールに会いに来たの?」
「はい、ちょっと用事がありまして」
「僕には会いに来ないの?」
「へ?」
突然脈絡のないことを言い出されて、ちょっと間抜けな返事をしてしまう。
……もしかして、ケイン王子はお友達が欲しいのかしら?
「僕にも会いに来て。それから、僕の国に来てくれる?」
わたしの前に立ち塞がるようにして、ケイン王子が言う。
それはともかく、なぜ美しいお顔が迫ってくるのでしょうか?
「人の婚約者に妙なことを吹き込むのはやめてもらえないか」
横を見ると、いつの間にかレンドール王子が隣に来ていた。
今日もキラキラ輝くようなイケメンっぷりで、思わず見惚れてしまう。
「ミレーヌ、こっちを見て。レンドールに意地悪されたら、僕のところにおいで。きっと幸せにするから」
そして、こっちの美人王子様は、どうしてわたしの耳もとでささやくんでしょう?
息がかかって、なんだかぞくぞくするのでやめて欲しいのですが。
「誰が意地悪だ。ケイン、他国の王妃候補に手を出すな」
「まだ候補だよね。うちの国の候補にも入れておくから大丈夫。ミレーヌなら合格、皆歓迎する。可愛くて頭が良くて王妃の勉強もたくさんしていて」
美しく整った顔にほのかな笑みを浮かべて、ケイン王子の手がわたしの頬に伸びてきた。
イケメンの笑顔は凶器!
澄んだ水色の瞳に吸い込まれそうよ。
まだ美形に慣れないわたしはその場に固まって、赤くなってしまう。
「だから、人のものを口説くな!」
その手をぐいっと押しやり、レンドール王子がわたしの腰に手をまわして彼の方に引き寄せた。
そんなことをされるのは初めてだったから、わたしはびっくりして身をすくめてしまう。
「あ、あの、レンドール様?」
この手はなんですか?
しかも、身体がぴったりくっついていませんか?
いくら婚約者とはいえ、人前でこのような事をするのはマナー違反というか……仲の良い恋人同士みたいじゃないですか! きゃー!
「俺に用事があるのだろう? さあ、向こうに行くぞ」
「あ、はい、ではケイン様、失礼いた……」
「他の男の名前を口にするな!」
レンドール王子が、わたしの身体に回した手に力を込め、もっのすごい冷たい目でわたしを見たので、びくっと身体が震えてしまった。
名ばかりの婚約者だからって……そんなに嫌わなくたっていいじゃない。
悲しくなり、目が潤んでしまう。
「また泣かせてる……」
「ケインは俺たちに構うな。ほら、行くぞミレーヌ」
腰に手を回されたまま、わたしはレンドール王子にぐいぐいと離れたところへと連れて行かれた。
そんなわたしたちの後から、護衛のライディがどこか呆れた顔をしてついてきた。
「どうした、ミレーヌ? ドレスの礼でも言いに来たのか?」
「いえ……ありがとうございました」
違うんだけど、流れに合わせて一応お礼を言っておく。
こう、壁際に追い込んで片手で壁ドンしながら話すのは、妙なプレッシャーがあるのでやめて欲しいんだけど、俺様な王子様が言うことを聞いてくれるとは思えないので我慢する。
「お前に似合う色を、この俺がじきじきに見立ててみた。着てみたか?」
「はい、素敵なお色のドレスでしたわ」
「そうか」
わたしが言うと、レンドール王子は満足げにうなずいた。
「俺の婚約者として参加するのだ、恥ずかしくないようにして来い」
「そのことなのですが……レンドール様は、他の方と行かれた方がよろしいのではないですか」
「何?」
整った眉が、ぴくりと動いた。
ちょっと怖い。
でも、この俺様王子の前で少しでも萎縮すると、途端に何もいえなくなってしまうので、ぐっとお腹に力を入れて続ける。
「ですから、名ばかりの婚約者であるわたくしではなく、もっと、レンドール様が一緒に行きたいと思う方をお誘いになった方がいいかと存じますの」
「どういう意味だ? 何が言いたい? 俺では不満だといっているのか?」
俺様王子はぐいぐいと聞いてくる。
それに負けないように、わたしもミレーヌの十八番の『上から目線』を発動して対抗する。
「違いますわ! レンドール様が、わたくしでは不満なのでしょう、と申し上げているのです」
「婚約者である俺を断って、誰と一緒に行こうというのだ。……まさか、ケインのやつか?」
なんでここでケイン様が出てくるのかしら。
確かに変にちょっかいをかけられているけれど、あれはおそらくお友達が欲しいからであって、ちょっとした冗談で『国においで』とか言ってるだけなのにね。
「違います。ケイン様はまったく関係ありませんわ。特にあてなどございませんのでライディとでも一緒に行こうかと……」
その途端、わたしの従者兼、腕利きのボディガードとして傍に控えていたライディに向かって、レンドール王子は冷たい視線を投げつけた。
「お前はこの男が好きになったのか?!」
なんでそうなるの?!
王子の勢いに思わず身を引こうとしたら、手首を掴まれた。
逃がしてもらえない。
ってゆーか、近い! 近いよ!
この世界のパーソナルスペースは、わたしには小さすぎです!
「正直に答えろ。俺よりも、この男を選ぶつもりか?」
「なぜ話がそうなりますの! 訳のわからないことをおっしゃらないでくださいませ」
「訳がわからないのはそっちだろう!」
「きゃあっ」
レンドール王子は、わたしの腰をぐいっと引き寄せて、身体を密着させた。
ち、近いにもほどがあるってば!
わたしの顔に一気に血がのぼる。
こんなに密着したら、彼の身体の温かさとか張り詰めた筋肉のたくましさとか花のようないい香りとかがわかってしまって、男性に免疫のないわたしはどうしたらいいのかわからないわ。
「や、離して、下さいませ」
焦るわたしはレンドール王子の胸に両手を押し当てて身体を離そうとするが、がっちりと抱き寄せられていて身動きがとれない。
「俺はお前の婚約者だな」
「はい、あっ」
顎に手をかけ、強引に上を向かせられる。
きゃああああっ、カッコイイ!
でも恥ずかしい!
麗しいお顔を間近で見て、わたしは激しい動悸で倒れるかと思った。
やっぱりレンドール様は素敵だわ。
でも、いつもキラキラしているその青い瞳が、ギラギラに近いくらいに光っているのはなぜなのかしら?
「お前は俺の、事を、好きなのだろう?」
え、そんな、直接言わせる?
いやよ、恥ずかしい。
わたしは視線をそらそうとしたけれど、顎を掴む手に力が入って無理矢理元に戻される。
視線に入ったのは、何だか底光りしているような目と、凄みのある笑顔。
そして、かすれたように低く甘い声がその唇から響く。
「返事をしろ。好きなんだろう? 違うのか?」
何で段々と顔が近づいてくるの?!
このままだと、唇がっ! 触れてしまうでしょっ!
「お願い、やめて」
「やめるものか。答えろよ? さもないと……」
吐息のかかる距離で、そっと開いた唇がわたしに迫り。
「……す、好き、ですぅ」
気持ちが動転したわたしの目から、涙がぽろりとこぼれた。
「……なら良い。あまり奇妙なことを言い出すと、俺にも考えがあるぞ。肝に銘じておけ」
こぼれた涙をこともあろうに舌ですくい取ったレンドール王子は、勝ち誇った顔で言い、わたしを解放した。
最後に親指でわたしの唇をひと撫でしてから、その顔に魅惑的な笑みを浮かべて言った。
「ちゃんと着飾って来い。俺の隣にふさわしいようにな。楽しみにしているぞ」
腰を抜かしてその場にへたり込んだわたしを置いて、レンドール王子は自分の教室へと戻って行った。
「な、舐めた……顔、舐められた……」
なに、なんなの?
あの王子様、人の顔を舐めていったわよ?!
「あーあ、言わんこっちゃない」
そのわたしを思い切り上から目線で見る従者って、どうかと思うよ!
「お嬢様、男を力いっぱい煽って怒らせるもんじゃありませんよ、これでよくわかったでしょう?」
「……わかんないわよ! わたし、怒らせたつもりなんてないのに」
「まったく、これですからお嬢様は始末に負えない。それでは、どうして王子が怒ったのかを宿題にしますから、よく考えてみてください」
そういうと、ライディはわたしの腕を引っ張りあげて立たせた。
わたしはひとりで立つのがやっとで、ライディにすがってしまう。
「……怖かった。まだ脚ががくがくするわ」
さすが王子だけあって、オーラとか威圧感とか、半端なかった。
「それだけ王子も本気だったってことですよ。むしろあの程度で抑えたのは立派なもんです、さすがは王子、たいした精神力」
「なんでレンドール様の肩を持つの! ライディはわたしの従者でしょう?」
「……お嬢様があまりに無自覚なので、少し王子が気の毒になったからですよ」
そんなの変よ、気の毒なのはわたしの方だと思うわ。
わたしは精神的疲労でよろよろしながら教室に戻ろうとする。
「ああもう、真っ赤な顔して涙目になって。そんな顔で戻ったらまた余計な虫がつくっていう事をまったくわかっていませんね。落ち着くまで救護室に行ってください」
「きゃあっ」
「こんなところをあの王子に見られたら、またうるさいですからね、さっさと行きますから首に手を回してしっかりと掴まってください」
「……はい」
ライディは、わたしを抱き上げて救護室に連れて行くと、無理矢理顔を洗わせて、しばらく教室に帰してくれなかった。