異変と魔女 その4
魔物の群れは思ったより近くまで来ていた。空を飛ぶもの、地を這うもの、ありとあらゆる異形のモノたちが集まってくる。
先輩やクラスメイトたちが剣を持って戦っている中を縫うように、わたしを担いだ魔女は走り抜けるが、リリアーナ様に取り憑いた魔女がこの騒ぎの黒幕だと知らない彼らはいぶかしげな顔をするだけだった。
貴族の子女として高度な訓練を受けてきて、そこそこの実践も授業内で行ってきた学園の生徒たちだが、これほど本格的な戦いをするのはもちろん初めてだ。
先陣を切っているのは、剣技の先生や護衛の騎士たち、レンドール王子、サンディル・オーケンスを始めとする腕利きの先輩たちだ。ライディもいて、淡々と魔物を切り裂いていく。わたしを見て驚いたような顔をしたが、なぜか魔物たちが彼に集中して襲い掛かり、団子状にされている。
彼らは確かな実力で次々と魔物を屠っていくが、なにしろ数が多いのできりがない。
後方に回復役たちが待機して、魔法をかけて彼らの負った傷を治している。ここではメイリィが活躍しているようだ。
「ミレーヌ!」
レンドール王子の声がしたけれど、わたしは揺れる魔女の肩の上なので、舌を噛まないように口を引き結んでいて返事ができない。
「待て、リリアーナ! ミレーヌを離せ!」
レンドール王子が追いかけて来る。
危ないから隊列から離れないで欲しいのに。
わたしは囮に使われているのだ。こっちへ来るなと身振りをしても、ゆっさゆっさと揺られているため今ひとつ通じない。
かなり奥まで来ると、魔女は立ち止まって追いかけて来た王子の方を振り向いた。魔女の足元からは不定形な黒いゲル状の物がぼこりぼこりと盛り上がり、やがて小さな家くらいの大きさまで巨大化した。
これが魔女の正体なのだろうか。なかなかグロい化け物である。
わたしは魔女の背から下ろされ、逃げられないように髪を掴まれた。
「レンドール様、お逃げください!」
わたしは後を追ってきた王子に向かって叫ぶ。
「お前を置いて逃げる訳ないだろう!」
「わたくしの代わりは他にもおりますが、王子の代わりはいないのですよ」
たかが婚約者のために、将来の国王を危険にさらすわけにはいかないのだ。
わたしはいくらでも替えが効くのだから。
だが、レンドール王子は引く気がない。
「ミレーヌの代わりもいないぞ」
そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、レンドール王子は彼だけの身体ではないのだ。
「ラブロマンスの時間は終わったのです、今、成すべきことをお考えくださいませ! ああもう、頼むから、早く逃げてっ!」
「ほほほほほ、甘いわね。さあ殿下、そんなにこの小娘を助けたいのならば、光の指輪を外して捨てなさい」
「ダメよ、そんなことをしたら意識を乗っ取られてしまうわ、そうしたらどうせわたくしも殺されっ」
魔女に思い切りひっぱたかれて、わたしは一瞬気が遠くなった。
「お黙り、小娘。さあ殿下、早くその指輪を捨てないと、小娘の喉を引き裂くよ」
ダメよ、冷静に考えて。
指輪を捨てずに戦えば、わたしの命がなくなってもレンドール王子は助かる可能性がある。
魔物を追い払って、この国を守れるかもしれない。
惑わされないで、レンドール様!
喉に魔女の爪先が食い込む。
「うああああっ!」
リリアーナ様ったら、こんなに爪を磨かなくてもいいじゃない! これはもはや立派な凶器だよ!
鋭い爪はわたしの皮膚を突き破って、そこからだらだら血が流れ出てくるのがわかる。
痛い。爪をぐりぐりと差し込まれるこの痛みは注射どころじゃない、注射器をシリンジごとねじ込まれるくらいの激痛だ。涙がぶわっと吹き出す。
わたしの顔は痛みをこらえきれずに歪んでいるのだろう、レンドール王子が「やめろーっ!」と叫ぶ声が聞こえた。
「指輪は外す、だからミレーヌを離せ!」
「さっさと外しなさい、確認したらこの小娘を返してやるわ」
「や、ダメ、」
外したらこの国は滅亡へ一直線よ!
誰か来て、レンドール様を止めて!
わたしは必死に祈ったけれど、助けは来なかった。
レンドール様が指輪を抜こうと手をかけた。
だから、ダメだってば!
「とりゃーっ!」
わたしは魔女の意識が指輪に向かったのを見て、握った拳を顎の下から叩きつけた。
アッパーカットっていうやつね。
ここを狙うと一時的に脳震盪を起こして、相手の攻撃を封じられると習ったのだ。
わたしは非力なのでたいした効果はなかったけれど魔女の手が緩み爪が喉から抜けたので、その場でしゃがむと魔女の腕から抜けることができた。
そのままハイハイ状態でレンドール王子に向かって全速前進する。
さすが魔法の防具の効果、素早さが二倍になったわたしのハイハイは、小走りくらいのスピードである。
「サンダーブレード!」
入れ替わりに、剣に雷撃の魔法を付与したレンドール王子がリリアーナ様に取り憑いた魔女に斬りかかった。
しかし、魔女はそのまま後方に身体を移動させ、家の大きさに膨らんで蠢いている化け物の中に取り込まれた。
「か弱く愚かな人間のくせに、このわたしに勝てるとでも思っているの? 望みどおり、ふたりとも人の形を成さない肉塊に変えてくれるわ」
「ミレーヌ、隠れていろ」
わたしは木の陰に身を隠し、巨大な化け物と戦う王子を見た。
レンドール王子は強い。とても強い。雷光をまとった剣は、化け物の身体をチーズを切るようにさくさく切り裂いてゆく。
けれども、膨大な魔力を持った化け物は、斬っても斬ってもその傷跡を治癒していく。
反対に、治癒魔法を使えない王子の身体には戦うにつれて少しずつ傷が増えて疲れもたまっていった。魔力も尽きてきたのか、剣のまわりに輝く雷光もその量を減らしている。
「くっ!」
レンドール王子に化け物の攻撃がヒットし、地に打ち倒された。
「レンドール様!」
わたしは木の陰から飛び出して、泥まみれの王子に駆け寄った。
「ミレーヌ、逃げろ。ここは俺が何とかくい止める。じきに他のやつらも来てくれるはずだ」
「でも、こんなに傷ついて……」
「冷静になれ。今お前がここにいて、何ができる? 大丈夫だ、俺はまだ戦える」
戦えるですって? こんなにぼろぼろになっているのに。
「あら、もうおしまい? いいわ、最後のチャンスをあげる。光の指輪を外しなさい。そして、わたしのものになるのよ。そうしたら、ミレーヌの命だけは助けてあげるわ」
黒いぶよぶよした塊の中からリリアーナ様が顔を出して言った。
「レンドール殿下、わたくしと末永く幸せに暮らしましょうね? ふふふふ」
どうしてわたしには何の力もないの? 魔力はたっぷりと持っているのに。
わたしの魔力をレンドール様にあげられたらいいのに!
「レンドール様……」
わたしはレンドール王子の手を握り、祈りながら彼の手に口づけた。
神様お願い、この人を護る力をください!
『守護発動』
頭の中にそんな声が響き、わたしの魔力が渦巻いた。
「何これ……魔法が発動したの? わたしの魔法?」
わたしとレンドール王子の身体は淡く発光していた。
「なんだこれは。身体が軽いし、魔力の量もほぼ回復している」
立ち上がったレンドール王子は、わたしと光のリボンで繋がっていた。サンダーブレードを唱えると、今度はやけに大きな雷光が剣を覆う。まるで身長よりも大きい稲光をその手に持っているようだ。
「これはいけそうだな」
にやりと笑ったレンドール王子は、巨大な化け物に斬りかかった。
ものすごい音がして、黒いぶよぶよが斬られた。
さっきまではバリバリのザクッ、だったのが、今度はバキバキのザシューッ、という感じだ。
あ、わからない?
とにかく、攻撃力が10倍くらいになったと思って欲しい。そして、さっきと違うのは、レンドール王子が切り裂いた断面はじゅうじゅうと煙をあげて、もう元通りに治癒されることがなくなった点だ。
「ははっ、怖いくらいに効き目があるな」
「おのれ、生意気な!」
わたしに向かってきた黒い触手が王子の剣で切断され、煙を上げながら小さくなった。
「詰んだな、魔女。さっきのお返しをさせてもらうぞ」
きゃー、レンドール様、かっこいいです!
般若の面のような顔をしたリリアーナ様の姿の魔女は、黒いぶよぶよをどんどん削られていく。
最後に残ったのは、黒い魔核、つまり魔物の魂のようなものを抱いた魔女だった。
「それがお前の本体か。もらった!」
王子の剣が魔核に突き刺さり、ばちんと弾けて消えた。
ぎゃああああああ、という末期の絶叫をあげた魔女は、今度こそリリアーナ様の身体から消え去ったようだ。
「さあ、皆のところに戻るぞ」
剣を地面に突き刺して、雷撃を逃してから鞘に納めたレンドール王子は、さっきわたしがされたようにリリアーナを担ぐと、わたしの手を引いて学園の方に向かった。




