異変と魔女 その2
ちょっと長くなりました、すみません。
「魔女、魔女魔女、うーん」
放課後の寮の部屋で、わたしは頭を抱えていた。
今日ばかりは魔法の資料探しも手につかなくて、早く切り上げさせてもらった。
ああ、自分の事にかまけている間にレンドール王子に何かがあったのだと思うと悔やまれる。両想いになって油断していたのと、魔法探しに夢中になってしまったせいだわ。
ひとつのことに集中してしまうと他の事が目に入らなくなるのはわたしの悪い癖ね。反省しよう。
食事が終わったのでソファに移って必死で記憶を探っていると、エルダがテーブルに夕食後のお茶の用意をし始めた。
ちなみに、夕食は寮の各部屋で食べるのが一般的である。
「どっかで魔女の情報を頭に入れたのよね、なんだったっけ?」
「魔法の歴史に関する文献からではありませんか? ずっと調べていらっしゃるのでしょう」
こぽこぽこぽ。エルダの白い指先がポットに絡み、澄んだ赤い色のお茶を入れる。
「やっぱりそこしかないわよね。あの山のような資料の中に魔女についての記述があったのかしら。あー、あまりにも膨大すぎておぼえていないの。明日メイリィに聞いてみよう、彼女は記憶力がいいからわかるかもしれないわ。それより」
わたしは珍しく無口なライディに向かって言った。
「お茶を飲んだら、レンドール様のところに行くわよ」
「わかりました」
「あら、止めないの? こんな夜遅くに出歩くな、とか言われるかと思ったわ」
消灯とまではいかないけれど、もう日も沈みよそのお宅を訪問するにはいささか遅い時間である。
わざわざこんな時間にしたのは、リリアーナ様がレンドール王子に接触することによって何らかの影響を与えているのだとしたら、放課後になって彼女が離れていた時間を長くした後の方がいくらかでも影響が薄まっているのではないか、と考えたからだ。
「まあ、止められても行くけどね! 学園ではリリアーナ様がいて、まともに喋れないんですもの」
陰から観察していたのだけれど、リリアーナ様はレンドール王子をぴったりマークしていた。バスケで言うならマンツーマンのディフェンスである。
彼の気を引くためというより、接近することを必要としているのではないかと思う。
「……お嬢様、すごく嫌な予感がするから気をつけてください」
「それはわたしの行動が?」
「それならばいつもの事だからいいんだが……」
さりげなく失礼である。
いつもより歯切れの悪い話し方をするライディにもサンディル様と同様に脳天チョップをお見舞いしたが、期待したような反応がない。なんだか悪いことをしたような気持ちになって、そろそろと手を引っ込める。
「身軽な格好をしていってください。さすがに武器は持っていけませんが」
「わかったわ」
身軽といえばこれですよ、白い耳付きローブ。素早さが約2倍になる優れもの。
お茶を飲み干した後、わたしは乗馬用のズボンとシャツを身に付けて、その上にこの前のデートでレンドール様に買ってもらったローブを羽織った。
「じゃあ、行きましょう」
そしてただいま、わたしはレンドール王子の暮らす独立した寮の壁にクモのように張り付いている。
最初はちゃんと玄関から行こうとしたのよ。けれど、王子の従者が「本日は殿下のご気分が優れないのでご遠慮ください」と言って通してくれなかったの。おそらくまだリリアーナ様の悪しき技の影響下にあって、わたしと会わせないようにというリリアーナ様の思惑通りになっているのだろう。
今日よりも明日のほうが状況が好転するとは思えない。
だから、レンドール王子をお助けするためには、どうしても会っておきたかった。
そこで、こういう事が得意なライディに相談して、2階にあるレンドール王子の部屋のベランダから忍び込むことにしたのだ。
今は国の状態が落ち着いているため、レンドール王子の身に特別な危険が迫っていないとして寮の建物の外には特に警備の者は配置されていない。だいたいこの学園自体が不審者が入り込めないように結界も張られて護られているし、外部の人間の出入りもチェックされているから安全なのだ。
身軽なライディが先に壁を伝ってベランダに登り、彼が落とした細いロープを命綱代わりに腰に結びつける。彼が使った手がかりや足がかりをしっかりと記憶しておいたわたしは、スピードこそゆっくりだけれど確実に2階へと登っていく。
運動能力には自信がないけれど、教育の一環としてわたしも基本的な自衛方法や剣の扱い、そしてボルダリングの真似事もできるくらいの訓練を小さな時からこつこつと積み重ねてきているのだ。貴族の令嬢だからといって、毎日刺繍やレース編みをして、お茶を飲んで殿方の噂をしながらアハハウフフと笑いさざめいて暮らしているわけではないのだ。辺境を護る令嬢などは、男勝りの剣の腕を持って魔物に突っ込み、今晩のおかずを狩って来るくらいのたくましさがあるそうな。
命綱のお世話になることもなく無事にレンドール王子の部屋にたどり着いたわたしは、窓から中を覗き込んだ。
王子は椅子に腰をかけて、額に手を当てて動かない。何か考え事をしているのだろうか。それとも、意識がはっきりしないのだろうか。
気分がすぐれないと断わられたけれど、ベッドに横になっていないところを見ると病気というわけでもなさそうだ。
「どうしますか、お嬢様?」
「窓には鍵がかかっているわよね。ノックしてみるわ。鍵を開けて部屋に入り込んだらびっくりされてしまうもの。人を呼ばれたら困るしね。わたしがノックして手を振ってみる。窓の外にいるならいきなり警備の者を呼んだりしないと思うから」
「わかりました。いざとなったらお嬢様を抱えて何食わぬ顔で撤収する自信がありますので、どうぞお好きになさってください」
きゃあ、イケメン!
こういうときに頼りになる男ね、普段は失礼だけど許してあげるわ。
わたしは窓をこんこんとノックした。レンドール王子はやっぱり少しぼんやりしているみたいで、なかなかわたしに気づいてくれなかったけど、しつこくしつこくノックして合図をしたらようやく窓に近づいてきてくれた。心配したように人を呼ぶこともなく、鍵を開けてくれる。
「ミレーヌ、いったいどうしてこんなところから」
「夜分遅く申し訳ございませんわ、お部屋に失礼いたします。あ、おもてなしは結構ですわよ、こっそりお話させていただきたいので」
はいはい失礼いたします、とライディとふたりで部屋に入り込む。
「レンドール様、お顔に覇気がありませんわよ? ご自分でもわかっていらっしゃいます?」
「ああ、なんだか……頭がぼんやりすることがあって。お前に会うのは久しぶりだな」
「今日学園で会ったではありませんか」
「そうだったか?」
嫌だわ、記憶が混乱しているのかしら。
「レンドール様、しっかりしてくださいませ。そうだわ、脳を活性化するには指先を動かすと良いのです。何か指先を動かすことをいたしましょう。そして、少し頭がはっきりしましたら、大事なお話をいたしましょう。ええと……」
何か指を動かすもの……プラスチックのぷちぷちとかいいのだけれど、そんなものはこの世界にはないし……折り紙、もやらないし。うーん。王子が楽しく指を動かすには。
「そうだわ、レンドール様はこのローブの耳がお気に入りでしたわよね」
わたしは頭を突き出し、王子の両手を持ってフードに付いた白い丸い耳に導いた。
「この耳を揉んでくださいませ。指全体を使って」
「お前の耳を?」
「手触りがよろしいのでしょう? どうぞ、ご遠慮なく揉み揉みと」
「……」
レンドール王子は言われたとおりに耳を揉み始めた。頭の上でもしょもしょと音がしてこそばゆい。
「いかがですか?」
王子の青い瞳に光が戻ってきた。彼は思わずうっとりしてしまうような笑みを見せて、わたしに言った。
「お前は耳を付けると一段と可愛さが増すな」
「いっ、いえ、そうではなくてですね」
突然甘ったるいことを言われたわたしが少々うろたえていると、耳を揉んで調子が戻ってきたらしい王子に抱き寄せられてしまった。ライディがわざとらしく咳払いをすると、ちらっとそちらを見て、あてつけるように抱いた腕に力を込めた。
「そんなに睨まなくても、不埒な真似はしないぞ、従者」
「それは失礼いたしました」
すごいわ、この耳。あっという間に王子の様子が変わったわ。いつものレンドール王子になっている。
やっぱり指を動かすのって効くのね。
「それで、話とはなんだ?」
「あの……近いですわ」
おでことおでこをくっつけるようにしてわたしの目を覗き込むので、わたしは顔がかっかと火照ってきた。やめてー、ライディが見てるのよ。
「最近ミレーヌが不足しているようなのだ」
「それはわたくしも、レンドール王子が足りないなとは思っておりましたけれど……」
だからね、ギャラリーがいるんだからね、ちょっと離れようよ。
「申し訳ありませんが、いちゃついている場合ではありません。とっとと本題に入ってもらえませんかね」
ほーら、怒られちゃったじゃん!
まあ、冗談はともかく、今は話し合っておかなければならないことがある。
「殿下、リリアーナ様のことですけど」
「リリアーナ……」
レンドール様が妙な顔をした。
「そうだな、最近やたらと俺に近寄ってきて……ううん、なんだかよく思い出せない」
「リリアーナ様は、レンドール様に何か食べさせたり飲ませたり、そういう事はされていませんか?」
「いや、ないな。基本的に、俺は他人から貰ったものをそのまま口にはしない」
毒を盛られることを防ぐために、王族として当然の事である。
「今日リリアーナ様はわたくしに、レンドール様がわたしとの婚約を解消する意思があるようなことをおっしゃっていましたけれど、おぼえていらっしゃいますか?」
「俺がお前と婚約解消? いや、ありえないな。部外者がそんなことを軽々しく口にするなどとは許されないことだが……リリアーナが言ったのか? 俺の目の前で?」
「そうですわ」
「……まったく記憶がない。いったい俺はどうしたんだ」
それはわたしが知りたい。
「レンドール様、お願いがございます」
「なんだ?」
「誰か来ます」
不意にライディが言ったので、わたしたちは顔を見合わせ、隣の部屋へと隠れさせてもらった。
やがてドアをノックする音がした。
「殿下、よろしいでしょうか」
「入れ」
ドアが開く音がした。従者が来たようだ。
「リリアーナ・ヴィレット様が殿下にお目通り願いたいと玄関にいらっしゃっています」
「リリアーナが?」
ダメダメ、今彼女を近づけちゃダメよ!
わたしはドアの影から両腕でばってんをして王子に合図をした。それをちろっと横目で見た王子は従者に言った。
「今日は気分がすぐれないから断わってくれ」
「それが、殿下は絶対に自分に会うはずだと言い張っていらっしゃって……」
「いや、会わない。絶対に中には入れるな。引き取ってもらえ」
「わかりました」
よかったー。
ドアが閉まって従者が去ってから、わたしたちは姿をあらわした。
「リリアーナ様が今夜何かをたくらんでいたのは間違いありませんわね。……ライディ」
「はい」
「リリアーナ様を尾行することはできる? 絶対に気づかれないようにして、何か怪しい振る舞いはないかを探って欲しいの」
「わかりました」
そういうと、ライディは窓から外に出て、姿を消した。
「というわけで、ライディが戻るまでしばらくお邪魔してもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん構わんぞ。なんなら隣の部屋で休んでいくか?」
「……わたくし、レンドール様のことは信じておりますわ。ですが……」
こんな夜更けにふたりっきりで、寝室で休むのはどうかと思うの。
隣、ベッドが置いてあったもの!
「そうだな、ついうっかりふたりで寝てしまったら大変だからな」
いやいや、違うことを考えていますよね。ちょっと笑顔が『爽やか』よりも『いやらしい』寄りになっていますよ。
「こっちのソファで待つとしようか。来い、ミレーヌ」
王子がソファに座り、なぜかわたしは彼の膝に乗せられた。
「こうすると、小動物を飼っているようでなかなかいいものだ。頭をはっきりさせたいから、また耳を揉ませてもらうぞ」
王子はわたしを横抱きにして、時々頭を撫でながらフードの耳を揉み揉みした。
「楽しいですか?」
「ああ、とても楽しい」
わたしは王子の優しい笑顔を見つめながら、こんな時だというのになんだかとても満たされた気持ちになって頭を彼の胸にもたせかけた。




