恋と魔法とライバルと その7
ようやくレンドール王子との接近禁止処分が解けた。
大好きな人に会えないのは辛かったけれど、この一週間があったからわたしは自分の事を客観的に見つめ直す事ができたと思う。
学園長の処分は正直厳しすぎると思っていたけれど、冷静になって考えてみるとわたしに必要な事だったと思えるのだから、やはり長の地位に着くだけの判断力があるのだなと感じる。
今日は遥か遠くから豆粒のような彼の姿を見るのではなく、直に会って話ができると思うと嬉しかった。
でも一方で、先日の失態についてまだ王子に謝罪も何もしていないため、彼から責められる事も考えられるし、もしかしてひどく嫌われてもう見放されていたりしたらと思うと気が重い。
気が重いどころか、恐怖まで感じる。
わたしはどれだけレンドール王子の事が好きなんだ?
でも、だからといって逃げていたら何の解決にもならないのだから、わたしは何度もため息をつきながら緑に囲まれた寮の建物を出て学園に足を進めた。
「ミレーヌ様、殿下から伝言よ」
一年生の教室につくと、早速メイリィが近寄ってきてにこにこしながら言った。彼女は寮ではなく、近所にある親戚の家に下宿しているのだ。
ふわふわの金髪にピンクの瞳をしているメイリィは、今日も柔らかな雰囲気でヒロインに相応しくとても可愛らしい。
黒目黒髪ちょっぴりつり目の悪役仕様のわたしは、こんな外見だったらよかったのにと羨ましくなってしまう。
同じ事をしても、メイリィだと可愛らしくわたしだと小生意気にみえちゃうんだろうなあ。
「あのね、今日の放課後に話をしたいから、殿下の寮に来て欲しいんですって」
「わかったわ、わざわざ聞いてきてくださってありがとう」
下を向いてため息をつくわたしの肩を、メイリィがパンと音をたててはたいた。
結構痛いんですけど。
思わず上目遣いでじとっと見上げる。
将来の王妃であるわたしをためらわずに勢い良くはたくことからもわかるように、庶民派のメイリィは、身分の上下とか立場とかをあまり気にしないのだ。
しかも、歳の離れた妹と弟の面倒をみてきたという彼女は、見た目と裏腹に中身はおかんな性格なのである。
そんな彼女はわたしの恋を全面的に応援してくれるそうで、今日も朝からせっせとわたしとレンドール様のことを取り持ってくれている。もはや仲人さんなのである。
メイリィが恋をしたら、全力でくっつけてあげようと心に誓うわたしであった。
「そんな顔をしないで! 大丈夫よ、殿下はミレーヌ様の事を怒ってないわ」
痛む肩をさするわたしを、満面の笑顔で元気づけてくれる。
「……だといいんですけれど」
「ミレーヌ様らしくないわよ。ほら、もっと上から目線でこう偉そうに」
ちょっとそれはわたしの物真似?
そんなに偉そうにそっくり返っていないわよ。
「メイリィがわたくしをどう思っているかはよーくわかりましたけど、今日はそんな気分になれませんわ」
「まあ、弱気ねえ。リリアーナ様を追い払った時の勢いはどうしたの?」
愛妾希望のリリアーナ・ヴィレットを体よくお引取り願った時の話をしたら、メイリィはお腹を抱えて豪快に大笑いしていた。
散々わたしから上から目線で意地悪をされていたから、リリアーナがどんな状況だったのかがリアルに想像できたらしい。
「あー、めちゃめちゃすっきりした!」と涙を拭きながら言うメイリィは、わたしがいないのをいいことにレンドール王子にまとわりついては自分を売り込むリリアーナの姿をかなり鬱陶しく思っていたという。
自分の恋愛には一切興味がないというメイリィは、わたしとレンドール王子の観察者として日々を楽しむことにしたらしく、ふんわりした見た目とは違ってスパイスの効いた視点でわたしたちの騒ぎを見守っているようだ。ギャップ萌えというやつなのか? メイリィは意外にさっぱりした性格なのである。
さて、そんな訳でわたしは授業が終わると侍従のライディを連れてレンドール王子の寮に行った。
便宜上寮と言っているが、ここは王族専用の離れである。
と言っても、一般の建物(貴族の子女が住むので、質の良いしっかりした造りだ。家具などは生徒の持ち込みも許されているしかなり広いので、使う学生の好みで自由なカスタマイズが可能である)と比べて特に豪華だというわけではなく、いざというときに警備を手厚くしやすいからという理由で別の建物に住まわされているのだ。
ちなみに今は国も安定しているということなので、特別に兵士が立っていたりはしない。
ドアをノックするとわたしの訪問はすでに知らされていたらしく、すぐに中へと通された。
「ミレーヌ・イェルバン様がいらっしゃいました」
王子の従者に案内され彼の待つ部屋に通されたわたしは、不安と緊張で身体がガチガチになっていた。
唇をきゅっと噛み締め、ひとり入室する。
ああもう、こわいこわい。
すでにちょっと涙目である。
部屋の中央に立っているレンドール王子の足先を見つめていると(こわくて視線が上げられないのよ)背後でドアが閉まる音がした。
レンドール王子が履いているのは、茶色の革靴である。
おそらく王室御用達の靴屋で作られたそれは、上質の革に腕の良い職人が施したステッチがアクセントになり……。
いやいや、逃避してはだめだ、革靴を穴が開くほど観察している場合ではない。
ああ、この沈黙は何?
やっぱり怒っているの?
こわくて顔が見れない。
ほんの数週間前には、子犬のようにレンドール王子に好き好き言いながらまとわり付いていたというのに、一週間会わなかっただけですごく遠い人の様に感じてしまう。
「ミレーヌ」
名前を呼ばれ、肩をビクッと震わせた。
その声は静かで、怒りはこもっていないようだ。
「こっちに来て、ソファにかけろ。お茶が入っているから」
「……失礼いたします」
招かれた客が立ちつくすというのも無作法な話なので、わたしは視線を落としたままソファへと進み、そっと腰を下ろした。
目の前のテーブルにはティーセットと摘んで口に入れられる小さな焼き菓子が用意されていた。
わたしの訪問のために入れられた琥珀色の上質なお茶が、薄いカップの中で湯気をたてている。
わたしのために。
……そんなに怒っていないのかもしれない。
びくびくしながら、ひとつずつレンドール王子の気持ちを探す。
「……そんなに緊張するな。ほら、飲んで落ち着け」
「い、いただきます」
震える指でカップを持ったが、カタカタとソーサーに当たって中身をこぼしてしまう。
「あっ、申し訳ありません」
「大丈夫か? やけどしなかったか?」
カチャリとカップを戻すと、レンドール王子がわたしに近寄り、絨毯に膝をついてわたしの手を取った。
「かかっていないようだな」
至近距離にある金髪の髪がさらりと揺れる。
そして、深いブルーの瞳がわたしを見上げた。
「ミレーヌ」
申し分なく整ったその顔の、その美しい唇が動き、わたしの名を呼んだ。
一週間顔を合わせていないだけなのに、少し大人っぽくなったように見えるのはなぜだろう。
「ご迷惑をおかけしました、ごめんなさい」
わたしはなんとかかすれた声を出し、謝罪した。
緊張して、申し訳ありません、というべきところが子どものようにごめんなさいになってしまったけど。
「レンドール様、わたしは……」
俯いて、何か言わなくちゃと思うのに、言葉が出てこない。
ごめんなさい、ごめんなさい、わがままを言わないから嫌わないで。
感情のままに言ってしまうわけにはいかないということを、わたしは学んだのだ。
「ミレーヌ、もういい」
王子はわたしの指を握る手に力を込めた。
「もう謝るな」
そう言うと、わたしの隣に座った。脚と脚が触れ合って、温かさが伝わって来る。
「レンドール様?」
見上げると、彼は眉根を寄せて、わたしを見つめて言った。
「ミレーヌを動揺させたのは俺の振る舞いのせいだ。だから、お前が謝る必要はない。俺が追い詰めてあんなことを言わせた……すまん」
「な、何を」
レンドール王子がわたしに頭を下げた!
「おやめください、わたくしに頭を下げるなんて」
「小さい頃から散々下げてきたではないか、お前に悪さをして」
「それとこれとは違います! 蛇の抜け殻を背中に入れたりカエルのたまごを握らせたりして謝るのとは訳が違いますわ!」
ええ、なんども酷い目にあって、レンドール王子の頭を国王陛下がぐりぐりと押さえつけて謝罪されたこともありましたわ。
でも、それはあくまで子どもの頃のこと。
「王家の者がどうこう言う前に、まずは男としてお前に謝る必要があると俺は思った。……ケインやサンディルや、メイリィにまで叱られたし」
「ええっ?」
ケイン様やサンディル様はともかくとして、おかんのメイリィは、先輩であり王子であるレンドール様を、叱っちゃったの?
「学園長にも釘を刺された。自分の振る舞いがミレーヌをどう追い詰めたのか胸に手を当てて考えてみろ、それがわからないならお前に近づくなと」
わたしはレンドール王子の顔をまじまじと見て、そして気がついた。
大人っぽく見えたのは、彼の少し表情に陰りがあるから、そしてほんの少しやつれたからだ。
「俺はお前に甘えて言葉が足りなかった。お前に好かれているから、なんでも許されると思って、お前の気持ちを蔑ろにしていた。背中に蛇の皮を突っ込んでいた頃から成長してなかったんだ」
レンドール王子はわたしの指をそっと撫でた。
「メイリィの事だってお前がどんな気持ちで俺に縋り付いてきたのか考えずに突き放して叱り付けるだけだったし、お前が欲しがる言葉もかけてやらなかった。リリアーナのことも、あれの振る舞いを見たお前がどんなに傷つくかを考えずにいた。それでいて、俺はお前の目に俺以外のものが映ることを許せなくて……酷いものだな」
「……」
「女たらしのサンディルには、釣った魚に餌をやらない最低な奴だと言われ、ケインには、婚約者ひとり幸せにできない男が国王になるならこの国は滅びるだろうから、もう付き合いたくないと言われた。メイリィには……」
言いかけて、彼は遠い目をした。
いったい何を言ったの、メイリィ!
口に出せないような事を王子に叩きつけるとは、さすがおかんヒロインね!
「まあ、いろいろと言われて腹もたったが、冷静に考えてみると皆の言う意味がわかってきて、お前の気持ちを考えられるようになった。これからはこのような事がないように努力するから、俺の謝罪を受け入れてくれないか?」
「レンドール様、そんな」
「リリアーナや他の令嬢が思惑を持って俺に擦り寄って来るが、家との関係があるため無碍にもできない。だが、俺は愛妾を迎えるつもりは全くないし、特別な関係になった女性もいない。信じて欲しい」
レンドール王子はそう言うと、わたしの頬をそっと撫でた。
「俺の隣に置くのはお前だけだぞ?」
「はい」
わたしが答えると、彼はふっと笑い、それが滅多に見ない優しさに溢れたものだったので、わたしは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
「俺はお前が気に入っているのだ。つまり……」
「?」
「ちゃんと言えと言われたからな」
「はい?」
「たから、俺は……ミレーヌ」
突然、レンドール王子はわたしを抱き寄せたかと思うと、ぐいっと顔を胸に押し付けた。
思わず「ふぐう」と変な声が漏れてしまう。
「ああもう! ミレーヌの事が好きなんだ」
「えっ?」
「俺はお前が好きだ、可愛い、だから誰にもやらないし、ずっとお前だけを俺の側に置いておくと言っているんだ」
えええええええええっ?
わたしはレンドール王子の胸の中で全力でもがき、ぷはあっと顔を上げた。
びっくりして見上げたその顔は真っ赤に染まり、視線はそっぽを向いている。
「……好き、っておっしゃったのですか?」
「もう言わないぞ! 言わないからな!」
「レンドール様が、わたくしの事を、好きって……」
「繰り返す必要はない! お前の心にしまっておけ!」
「レンド……さま……う……」
「本当にもう言わない……ミレーヌ?」
「ふえええええん……」
「ミレーヌ、おい、泣くなって、ばか」
わたしはレンドール王子の上着を握りしめて、昔々に彼に意地悪をされた時よりも大きな声をあげて泣きじゃくった。
「ばか、ミレーヌ、嘘だ、その……だから、好きだ」
「うわあああああああん」
「好きだと言っているんだ、ちゃんと聞け! ばかミレーヌ! お前だけを好きなんだから、もう泣くな」
わたしは顔をぐちゃぐちゃにしながら号泣し、二度と言わないはずの『好き』という言葉が降り注ぐ中をいつまでも泣き止めずにいた。




