恋と魔法とライバルと その5
「僕は君が考えているよりずっと計算高い人間だよ」
ケイン王子はわたしの手を握ったまま言った。
若い男性に手を握られているのだからもっとドキドキしてもよさそうなものだけれど、なぜかあまり気にならないのはケイン王子の態度がいまひとつ熱を感じないものだからだろうか。
やはりわたしはリス扱いだから?
例えば、弟と手を握っているような感じ、だろうか。
「僕はエルスタンの第一王子だから、レンドールと同じく次期国王なんだ。でも、まだ婚約者はいない。王妃候補はこれから見つけるんだ。だから、ミレーヌの存在はすごいと思う。王妃になるための英才教育を幼い頃から受けているんだからね」
「そう、ですね。レンドール様との婚約は本当に幼い頃にわたしがお願いしたものですから、きちんと王妃としての務めができるくらいの力が欲しかったのです」
「うん、すごい女の子だよね。なのに、レンドールは君の価値に気がついていない」
わたしの価値?
確かに、勉強はがんばってきたとは思うけど。
メイリィのようにレンドール王子を癒す優しい女の子ではないし、リリアーナ様のような女性の魅力もない。
おまけに魔法の劣等生だ。
「わたしは、そんなに価値のある人間では……」
「客観的に見て、価値があると僕は思うし、ミレーヌ自身がそう思えないならそれはレンドールが悪いんだよ」
「レンドール様は悪くなど……」
「じゃあなんで、泣かせるようなことばかりするの? 君たちが思いあって幸せならば、僕は横やりを入れるつもりはなかったよ。だけどミレーヌが幸せじゃあないのなら、君を貰いたい。僕のためにも、国のためにもね」
ケイン様は淡々と言ったけれど、わたしは自分のことをそんなに認めてもらえていたんだと思って、ようやくここで胸がドキドキした。
いらない子じゃなかったんだ。
「混乱に乗じてさらってしまおうかと思ったけど、嫌われたら嫌だからやめておこうかな。だから焦って決めなくていいよ。ただ、ミレーヌの人生にはいろんな選択肢があるんだから、レンドールに振り回される必要はないって事を覚えておいて」
「はい、ありがとうございます、ケイン様」
どうやら単なるリス好きなだけではなく、ケイン様はいろいろ考えていたようだ。さすがは王子様である。
ケイン王子はわたしの事を好きなわけではないという事もわかった。
でも、握った手を離してくれないのはなぜかしら?
そして、すりすりと撫でながら「きもちい……」とか呟いているのも気になるところだ。
「ケイン様のお気持ちは、とてもありがたいと思います。でも、わたくしはまだ、レンドール様の事をあきらめたくないのです。もしかして、今日の事で呆れられてしまって、わたくしの事を切り捨ててしまわれるかもしれません。でも、わたくしはレンドール様の事が好きなのです」
他人が見ている前で、あんなにヒステリックな振る舞いをして……。
腹を立てて嫌われてしまったと思うと胸の中に石ころが詰まったようにギュッと痛くなってしまうけど。
リリアーナ様とお付き合いをされていたと思うと、胸をえぐられるように苦しくなってしまうけど。
理屈ではなく、わたしはレンドール王子の事が好きなのだ。
ばかみたいって思うけど、こればかりは仕方がない。
「ミレーヌ」
ケイン様が急に大きな声を出したので、驚いて顔を上げた。
見ると、いつもは無表情なケイン様の顔が、痛みを堪えるような苦しそうなものになっていた。
「そんな顔をするな。そんな顔をしたら、僕は……レンドールを憎んでしまうよ」
最後の方は弱々しく言って、わたしの頬を撫でた。
顔に似合わず、大きくて節ばった指を持つ手のひらで優しく触れられる。
「わたくしは、そんなに酷い顔をしていますか」
「うん。見ている方が辛くなってしまうような顔だよ。女の子にこんな顔をさせるなんて……」
「えっ?」
ケイン様はわたしをふわっと抱きしめて、背中を優しく撫でた。
中性的で美しいケイン様も身体はしっかりと男の人で、不意をつかれたわたしの鼓動が速まってしまう。
「わ……抱きしめると余計に可愛い。いい匂いがするし……」
まあ、リスだと小さすぎて抱きしめられないからね!
でもこれは、婚約者がいる身としてはまずいのではないかしら。
離れたところで立って見ているライディに目で合図をしたら、
口の前に指を立てて『黙っていれば』
両手を広げてニヤリと笑い『ばれない』
いやいやいや、ばれなきゃいいってもんじゃないでしょ!
わたしは両手でケイン様の胸をそっと押して身体を離した。
「……やっぱり、レンドールから取り上げてしまおうかな」
銀髪に水色の瞳の王子様は不穏な言葉と美しい笑みを残して、去っていった。
「エルスタンの王子は、意外に積極的にきましたね」
部屋に戻ると、すべてを見ていたライディが言った。
「見ていないで助けなさいよ」
「押し倒したらさすがに止めようかとは思いましたけど。それにしても、思いの外お嬢様の事を気に入られたようですね。どうしますか?」
どうって言われても、わたしはレンドール様の事が好きだから、どうしようもないんだけど。
「うちの殿下はあのこじれた状態をなんとかする気はないんですかね」
「大慌てで飛んで来ると思ったんですけどね」
エルダがお茶を出しながら首をひねった。
ふたりが予想したレンドール王子ではなくケイン王子がわたしを訪ねて来た、というわけらしい。
「殿下は想像以上のヘタレだったということなのでしょうか」
「俺が様子を探ってきます」
ライディが部屋を出て行った。
探るのはいいのだけれど、余計に物事を引っかき回さないで欲しいわ。
「大丈夫ですよ。あの殿下が他に女性を作るなんてことはありませんよ」
「どうして?」
「ちゃんと大切なものがあるからですよ。あの地位であの見た目で、派手な女性関係があってもおかしくない殿下が、今まで浮いた噂ひとつもなかったではありませんか。それはなぜだと思いますか?」
そういえば、レンドール王子はいつも女性に囲まれて人気絶大だけど、女の子をつまみ食いしたなんて噂を聞いたことがないわ。
レンドール様の大切なものってなんなのかしらね。
いつかわたしも大切なもののひとつになれるといいのだけれど。
エルダの言葉で少し気持ちが落ち着いたわたしはカップを両手で抱えるようにして持ち、温かいお茶を飲んだ。
「お嬢様、学園長から呼び出しが来ています」
戻ったライディにそう告げられ、わたしは慌てて制服に着替え、ライディを連れて学園長室のある管理校舎に向かった。
やはり、さっきの騒ぎの事でお叱りがあるのだろう。
こんなことは、もちろん初めてだ。
わたしは震える手で扉をノックした。
「ミレーヌ・イェルバンです」
「お入りなさい」
わたしはいかにも学園長室らしい重厚な扉を開け、中に入った。
ライディは部屋の外に待たせておく。
「呼び出された訳はわかりますね」
椅子に座った初老の女性である学園長が、眉をハの字にしてため息混じりに言った。
わたしはその前に立ち「はい」と答えてうつむく。
「ミレーヌさん、あなたの学習態度は素晴らしいと思うわ。第一王子の婚約者という特殊な立ち位置でがんばっていると思います。けれど、あなたにはもっと高いものを要求されているの。王妃候補として、皆の規範となる人物であるようにと期待されているのよ」
「はい。この度は騒ぎを起こして申し訳ありませんでした」
「人目のあるところで少し軽率でしたね。もう解決したようですけれど、メイリィ・フォードさんとのトラブルについても耳に入っています。あなたは何がいけなかったのか自分で見出だせるはずです。自室での三日間の謹慎を申し付けます」
「はい、わかりました」
「それから、一週間、レンドール殿下との接近を禁止します。これは殿下にも伝えてあるわ。少し離れて、じっくりと考えてみなさい。お家の方には特に連絡するつもりはありません」
そんな、一週間もレンドール王子に会えないなんて!
「ミレーヌさん、何を泣きそうな顔をしているのですか?」
「だって、レンドール様に会えないと、その間に他の女性が近寄ってきてしまうではありませんか」
レンドール様と不仲な今、愛妾候補が増えてしまったらどうするの?
「取られちゃう……」
涙目になって口をへの字に曲げたわたしを見て、学園長はまたため息をついた。




