恋と魔法とライバルと その3
レンドール王子の手で救護室に運ばれたわたしがぐっすりと眠ってから目を覚ましたのは、もうお昼休みもとっくに過ぎた頃だった。
「ふああ」
ベッドの上で伸びをしてから、そっと起き上がってみる。
うん、大丈夫。めまいもしないし、気分も上々だ。
睡眠不足は解消されたみたい。
なんだかいい夢を見たな。
夢の中ではレンドール王子と手を握ってお話して、とても幸せな気分だった。
普段からあんな風にお喋りしたり、手を繋いで歩いたりしてみたいわ。
そう、いわゆるデートだよね。
前世でもしたことがないなあ。
「ミレーヌさん、失礼するわよ」
ベッドに座ったままぼんやりしていたら、わたしが起きたことに気づいた先生がやってきた。
「手を貸してね」
先生はわたしの手首に触れ、魔力で身体の状態をチェックした。
貴族の子女が集まる王立学園の医師として常駐するこのメアリ・フィーロ先生は、医学も魔法学も修めた才女なんだけど、どんな生徒も平等に扱うフランクな女性で皆に信頼されている。
学園の授業には剣術や体術、攻撃魔法の訓練もあるから結構怪我人も出るんだけど、顔色ひとつ変えずに骨を繋ぎ回復魔法をかけて、大抵の事態もなんとかしてくれる頼もしいドクターだ。
「うん、魔力の流れもすっかり正常に戻ってるわね。あとは普通に過ごしてOKよ」
「ありがとうございます」
わたしはお礼を言うと服装を整えてベッドから立ち上がった。
「今侍従に連絡するから、少しこっちの椅子に座って待っていてね。それから……レンドール殿下に顔を見せた方がいいと思うわ。彼、すごく心配していたから」
「レンドール様が、わたしのことを?」
「魔力酔いで朦朧としていたから覚えていないかしら。ミレーヌさんが眠ってからもしばらくベッドの側で見守っていたわ。わたしにくれぐれもよろしくって頭を下げて頼んだりして。ふふ、仲が良くて何よりだわね」
そう言うと、先生は魔導具を使って寮で待機するライディに連絡をしてくれた。
レンドール王子が心配したのは、わたしが王妃候補だからかな。
それとも、……わたしをミレーヌとして見てくれて、ちょっとは女の子として好き、だからかな?
そうだといいな。
わたしは期待でドキドキした。
ライディが迎えに来てくれたので、メアリ先生にお礼を言って救護室を後にした。
「お嬢様、無事でしたか?」
「いつもの魔力酔いだから、大丈夫よ。ぐっすり眠れたからかえって調子がいいくらいなの」
不遜な侍従だけど、ちゃんと主の心配はしていたのね、感心感心。
「そっちはともかく、あっちは大丈夫でしたか? 釘を刺したものの、殿下も目を離すと何をするかわからない青春真っ盛りの17歳ですから」
「え? 何のこと?」
「酔っぱらって朦朧としている女の子に不埒ないたずらのひとつやふたつ、うっかりしちゃうかもしれませんからねえ」
「なっ、ばっ、ばかな事を言わないで! レンドール様は汚れた大人のライディとは違うわ!」
「俺は涎を垂らして寝こける酔っぱらいに手を出す趣味はありませんよ、そんなものまったくそそられませんからね」
「涎なんか垂らしてないわよ!」
そう言いながら、そっと口元に手を触れて確認してみる。
大丈夫、カピカピしていないわ。
レンドール王子にみっともない姿を見せたくない。
「まあ、見たところ赤い跡も噛まれた跡もないから大丈夫ですかね」
赤い跡? 噛まれた跡?
レンドール王子がなんで噛みつくの? 犬じゃあるまいし。
ライディの言ってる事はまったくわからないわ。
「どうしますか? 午後の授業はもう終わってしまいますから、担当の先生に今日の分の課題をもらってくる必要がありますよ」
「そうね。でもその前に、レンドール様にお会いしてお礼を申し上げなくちゃ。3年生の教室に行くわ」
わたしは首をひねりつつ、ライディを連れてレンドール王子のいる場所に向かった。
教室の前に着くと、もう授業が終わったらしく生徒がざわめいていた。
レンドール王子の姿を探すまでもなく、教室の外に立っているのが目に入り、駆け寄ろうとして立ち止まる。
おっと、淑女らしくふるまわなくてはね……ん?
レンドール王子はひとりではなかった。
廊下で同学年の女生徒と何やら楽しげに話している。
あれは……確か美しいと評判の伯爵令嬢、リリアーナ・ヴィレットだ。
サラサラしたプラチナブロンドに淡いブルーの瞳をして、背はスラリと高く、女性らしいバランスのとれた身体つきをしている。
いわゆるボン、キュ、ボンである、まことにけしからん。
2歳年上ともなると、明らかに大人っぽさが違う。
どうしてもお子様くさくなりがちなわたしと違って、しっとりとした落ち着きがある。
そして、彼女と並んで談笑するレンドール王子もとても大人に見えて、わたしは内心ひるんだ。
わたしがじっと見ているのに気づかないふたりは楽しそうに笑い、事もあろうにリリアーナ・ヴィレットは親しげにレンドール王子の腕に触れた。
ふっくらした胸が寄せられ、今にも王子の腕にくっつきそうだ。
やだやだやだ、わたしのレンドール様に触らないで!
そう叫びながらふたりの間に割って入りたかったけど、なんだか足がすくんで動けない。
それは、ふたりがお似合いに見えてしまったから。
わたしと同い年で、かわいいけど庶民的で親しみやすいメイリィ・フォードと王子の間にはぐいぐい割って入れたのに、大人の雰囲気を醸し出す先輩たちの間にわたしは立てない。
わたしは15、先輩たちは17。
ライディとエルダに言われた時にはさほど真剣に考えられなかったわたしの幼さが、今、痛いほど身に染みる。
いつの間にか青年になってしまったレンドール王子には、ああいう人が似合うんだ。
ものすごい疎外感に襲われて立ち尽くすわたしに、声がかけられた。
「お、勘違い女のミレーヌじゃん」
オレンジ頭のモテ男、サンディル・オーケンスだった。
「先輩の教室に何しに来たんだ? またレンドールにまとわりつきにきたのか、そうか。うっとうしい女は嫌われるぞ」
背が高い失礼な男は、片手でわたしの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「おや、ぴーぴー騒がねーな。腹でも痛いのか?」
サンディル様は予想通りの反応がなかったのが不満のようで、わたしの顔を覗き込んで、その視線の行方を追った。
「ああ、リリアーナ嬢か。あいつもお上品そうだけどレンドールを狙っているくちだからな」
「……どういう事ですの?」
「確かに王妃の座にはお前さんが一番近い。けどな、結構な令嬢が狙っているぜ、愛妾の位置をね」
「愛妾?」
「そう。レンドールの愛人だ。寵愛を受けて子どもでも産んで、もしもお前に子ができなきゃ国母になってあっという間に下克上だ」
そういえば、ライディが言っていた。
王妃の勤めの中で最も大切なのは、世継ぎを産むこと。
もしもそれができなかったら。
愛妾に子どもを産ませて、その子を世継ぎにする。
「レンドール様は、あの方を愛妾になさるおつもりなの? もうお付き合いなさっているの?」
わたしはサンディル様の腕をきつく握りしめて言った。
「おい、痛いって。結婚する前に愛妾を作るような奴とは思わないけど、俺はレンドールじゃないからわからん」
わたしが唇を噛み締めていると、レンドール王子がこっちに気づいた。
それまで笑顔だったのに、みるみる険しい表情になる。
「ミレーヌ!」
リリアーナ嬢の手を振り切りこちらに近づいてくると、彼女はわたしを睨みつけた。邪魔者を見る目だ。
「サンディルと何をしている?」
「レンドール、名誉にかけて何もしてねーからな。ってゆーか、こんな生意気女と関わりがあると思われたくないから」
「俺はサンディルと喋るなと言ったはずだが。それに、なぜ腕に触れている?」
「話を聞けっつーの」
「ちょっとこっちにこい」
「痛いっ」
サンディル様の腕にかけていた手を引きはがし、引っ張る。
「レンドール、聞けったら! お前が怒るようなことしてないからな! 女の子に暴力を振るうなよ!」
フェミニストのサンディル様が、レンドール王子の剣幕に慌てて釘を刺す。
わたしはレンドール王子にされるがままずるずると引きずられて、その後を侍従のライディが呑気についてくる。
「おい、お前は来るな」
「お嬢様の身を護るのがわたしの役目ですから」
そう簡単には追い払われない。
王子にさえ言い返す、さすが鋼のメンタルだ。
「さあ言え、サンディルと親しげに何を話していた?」
なんで怒るの?
自分だってリリアーナ・ヴィレットと仲良く話していたじゃない。
愛妾の座を狙っている女性と。
「ミレーヌ! 言い訳ができないことか?」
レンドール王子はわたしの両肩を掴み、揺すぶった。
「ミレーヌ?!」
わたしは泣きそうになるのを堪え、怒りで光る深いブルーの瞳を見上げた。




