恋と魔法とライバルと その1
読んでくださって、ありがとうございます!
「なんだか……レンドール様とわたしの間に食い違いのようなものがあるような気がするの」
寮の自室で寝る準備を終えたわたしは夜着にガウンを羽織り、侍女のエルダが入れてくれた香りの良いお酒をちょっぴり落としたミルクのカップを持って言った。
「学園に入学して、レンドール様にお会いできる機会が増えたから、婚約者としてもっとお近づきになれると思ったんだけど」
そう、ここに入る前は、たまに王宮でお会いしたり、うちの屋敷にレンドール王子がお茶に来てくれることがあるくらいだったので、そうそう会えなかった。
でも、今は同じ校舎にいるわけだから、レンドール王子を見かけることもあるし、運がよければ剣術の授業で剣を振るっているかっこいいところを目にすることすらできるのだ。
そしてもちろんレンドール王子会いたさに、わたしはしょっちゅう上級生の教室に行って迷惑がられていた。
あ、今は控えているわよ。
「近づいているじゃないですか。いろいろ手を出されて」
ライディがあっさりと言った。
「口づけされたりとか舐められたりとかキスマーク付け」
「わあああああああっ、ライディ、そういうことはもっと婉曲に表現なさい、はしたないっ!」
「これ以上余計なことをされないでくださいよ、いくら婚約しているからといって嫁入り前の令嬢が卑猥なイチャコラをしたら不名誉でどうしようもない」
「されたくてしているわけじゃないわ」
卑猥なイチャコラってなに?って聞きたかったけど、ライディにずばり言われたら大事な何かが失くすような予感がして聞けない。
この侍従は主に対して遠慮というものがないからね!
「俺は殿下を煽るような真似は控えろって言ってるんですよ。お嬢様はお子さま思考にも程がある」
んもう、お子さま思考って言うけどね、それは仕方がないと思うの。
だって、ミレーヌとしては、レンドール王子の婚約者に決まってから当然のことながら他の若い男性との接触なんて許されない箱入り娘として育ったわけだし、転生前の日本でも彼氏なんていなかったんだもん。
もちろんイケてる女子高生には中学から彼氏がいて大人の階段をのぼっちゃったりした子もいたかもしれないけれど、わたしもわたしの周りにいた友達もそんな進んだことはなくって、せいぜい誰かに恋してその姿を見ただけでときめいていたり、マンガや小説やゲームのキャラクターに萌えてドキドキしたりしている可愛らしいものだった。
ええ、フォークダンスの時くらいしか生身の男子に触ったことがありませんでしたが、何か?
それにね、マンガや小説は大好きで読んでいたけれどね。
それらによると、男女交際はまず告白してお付き合いするようになったら、デートしたり手を握ったりするところから始まるものでしょ?
しかも、最初のデートでは手をつなぐかつながないかっていうくらいの進行度でしょ?
確かにわたしとレンドール王子は婚約中でお付き合いしている期間は長いけど、今までふたりっきりになったことはないし、手も触れたことがなかったのよ。
せいぜい若干悪ガキモードが入っていた王子に頭をどつかれたことがあったくらいよ。
それが、いきなりちゅーですよ、ちゅー!
びっくり仰天ですよ!
「わたくし、レンドール様をお慕いしているけれど、お近づきになり方がなんだか違うと思うの。男女の交際というものはまずはふたりでデートして、手をつないで、そういうものじゃなくて?」
「14歳でデビューした夜会で王子に何度かエスコートされて、手をつないで踊っているじゃないですか。ダンスをする時なんて、下半身をぴったりと密着させてますしね」
「密着って、やだっ、あれは、別よ! 公式な場でのマナーでしょ? つなぎたくてつないでいる手ではないわ。そうじゃなくてこう、心の底から手をつなぎたいなーって思いがこみ上げて、ちょっと恥ずかしくてなかなか言い出せなくて、でも『はぐれそうだから』とか言ってさりげなくつないだりして、そういうことの積み重ねがまず必要だと思うのよ」
「……」
ライディとエルダが残念な子を見る目でわたしを見ている。
だがしかし、わたしは間違ったことを言っていないと思う。
「お子さま婚約者といろいろ真っ盛りの青年王子、か」
ライディは大きくため息をつき、エルダが冷静な口調で言った。
「お嬢様、王妃の務めの中で最も大事なものは何だかわかっておられますよね」
「え、えーと……国王を補佐すること?」
「違います。王妃にしかできないことです」
「?」
「お世継ぎを産むことですよ。補佐とか仕事とか、そんなのは他に振ることができますが、王の子どもを産むことは王妃にしかできないのです」
「まあ、それはそうね」
「結婚したら、すぐにご懐妊を待たれますよ。ちなみに、お嬢様が輿入れなさるのはいつだか、わかっておられますよね」
「ええと、レンドール様が卒業なさったら、だわ」
「そうです。お嬢様はまだ二年間この学園で学ばれますが、それは王太子妃としてです」
そうなのだ、学生結婚になってしまうわけだ。
「つまり、あと1年経たずに夫婦になって、せっせと子作りしなくちゃならないわけだけど、お嬢様、手をつないだだけじゃ子どもはできないって知ってますよね?」
「あたりまえよ」
それくらい知ってます!
小学生の時保健体育でやりましたからね。
わたしはライディを睨んだ。
「それはよかったです。レンドール王子は17歳、可愛い婚約者と子作りしたいお年頃なんですから、もうこれ以上煽るような真似はやめてくださいね。そして、手をつないでどうのこうの言っていないで、結婚したらがんばって励んでください」
「は、はげんで」
それはやっぱり、レンドール王子とあーゆーことやこーゆーことをするというわけで。
ちゅーから先? ちゅーから先に進むの?
そしてレンドール王子は、いつも麗しく文武両道の素敵な王子様は、いつも心の中でそんなことを考えているというの?
えーっ?!
わたしは顔に血が上るのを感じた。
「汚れた大人のライディならともかく、レンドール様がそんなことを考えているなんて……嘘よ、信じたくないわ」
「汚れてませんから、むしろお嬢様が異常に幼いだけですから。17歳の男は嫌がらせで女性を舐めたりしませんからね。ああそうですか、お嬢様はそこまで考えずに、幼児の憧れの延長で殿下にべたべたしていたんですね、あーカワイイ」
「ええ、本当にお嬢様はカワイイですわね。あざといくらいに天然でカワイイですわ」
「こんなにカワイイ婚約者を持って、殿下は幸せですが不憫ですね。男の事情にまったく気がつかないんですから。無意識にカワイク煽ったりして」
「ちょっとそのカワイイって全然意味が違ってるでしょ!」
わたしの中でカワイイがゲシュタルト崩壊しているよ!
「そういうことですから、お嬢様、もう少しいろいろ考えて行動してください。刺激しないか、もしくは殿下の情熱を受け止めつつ一線は死守するか」
「でも安心なさってくださいな、死守しそこなった万一の時にはすぐにわたくしにおっしゃっていただければ、用意しておりますので」
「何を?」
「避妊薬」
美人侍女ににっこり笑いながら言われたわたしは、更に顔を赤くすることになった。
なんだかぐったりしてしまったわたしは、醒めたミルクにお酒を追加してもらってぐいっと飲み干しそのままベッドに入ったけれど、興奮してしまったのか(いやらしい意味ではなくてよ!)なかなか眠れなくって、寝てもレンドール王子が魅惑の笑みで夢に現れて心臓に悪い一夜を過ごした。
寝不足のまま、着替えて朝食をとり、教室へと向かう。
今日の午前中は魔法の授業だ。
実はわたし、お勉強とかダンスとかお作法はそこそこいい線いっているんだけど、この魔法がどうにも苦手だった。
魔法は持って生まれた才能に左右されるところが大きい。
わたしは魔力を測定するとかなりの高値を示して、それだけを見ると上級魔術師クラスなんだけど、残念なことにうまく発動させることができない。
身体の中に魔力が渦巻いてしまって、外に出すことができないのだ。
そのため、小さな火をともしたりちょっぴり水を出したりといった生活魔法は使えるんだけど、攻撃魔法や回復魔法、魔力付加も結界作成もまったくできないのだ。
今日も先生の指導の下でなんとか魔力を放出できないものかとがんばってみたんだけど、結局身体を突き破りそうなほど体内の魔力が暴れて、とうとうぐったりと座り込んでしまった。
睡眠不足と疲労で身体に力が入らない。
「大丈夫か?」
「申し訳ありません、せっかくご指導いただいておりますのに、わたくし、今日はこれが限界のようですわ」
「失礼。お嬢様を医務室にお連れいたします」
練習場の隅に控えていたライディがやってきて、わたしを横抱きにかかえ上げた。
「お嬢様、落ちないようにしっかりとおつかまりください」
わたしはライディの首に手を回してつかまった。
「ああもう、みっともないわ」
「我慢なさってください。魔力が身体にダメージを与えていますからね、しっかりとお休みにならないと回復しませんよ。みっともないと思うのなら、立てなくなる前にやめてください」
「……はい」
わたしは荒い息をつきながら、ライディの肩にこてっと頭を預けて力を抜いた。
練習場から校舎に入ったところで、がやがやと騒がしい声が聞こえた。
どこかのクラスが早めに授業を終えたようだ。
「ミレーヌ!」
ライディの腕の中で目をつぶって揺られていたわたしは、聞き慣れた自分の名前を呼ぶ声にはっと目を開けた。
この、どこの声優かというくらいに素敵に響く麗しい声の持ち主は。
「お前は何をやっているんだ」
金髪をなびかせて足早にこちらに近づいてくるのは、我が婚約者のレンドール様だった。
その宝石の様な深いブルーの瞳には、何やら剣呑な光がたたえられている。
あ、これ、まずいパターンだ。
侍従にお姫様抱っこされているわたしは、嫌な予感で身を固くした。




