美味しいコーヒーは恋の味 セルフリメイク版
商店街のはずれにあるこじんまりとした喫茶店、「カフェ・ミラージュ」。
年老いたマスターとその孫が2人できりもりしてる地元に根付いた憩いの場。
私は週に二度はここに足を運ぶ。なんでかって?それは……
「お待たせいたしました、当店特製のブレンドコーヒーです」
ことりと小さな音を立て、私の目の前に置かれる白いコーヒーカップに淹れられた黒い液体。この白と黒の対比はいつみても美しくて惚れ惚れとしてしまう。
ほあほあとコーヒーから立ち上る湯気を吸い込めば身体中に広がる良い香り。両手で熱を包み込めば掌から全身に心地よい熱が巡り肩の力が抜けていく。
ほう…と息を吐き出せばそれを合図に頭上から落ち着いたバリトンの声が降ってきた。
「どうぞごゆっくりなさってくださいね高坂さん」
心地の良いバリトンに顔を上げればギャルソン姿の
男性が穏やかに微笑みながら佇んでいる。
きっちりとセットされた黒髪に洗練された立ち姿にはいつも惚れ惚れする。
彼はここのマスターの孫でギャルソンをしている有定さん。実をいうと私がここに足繁く通う理由で、私が片思いしている相手だ。
「ありがとうございます、有定さん。今日も良い香り…」
「ふふ、ここだけの話高坂さんにお出しするコーヒーにはちょっと手を加えているんですよ?」
「またまたぁ……私はただの常連客じゃないですか」
「なにを仰います、常連さんだからこそですよ」
「もう、有定さんって本当にお上手ですよね?」
「…それより、今日はなんのスケッチですか?」
「秘密、です」
手のひらサイズの小さなスケッチブックを覗き込もうとする有定さんに、スケッチブックを胸に抱いて隠す。ぎゅっと抱きしめて見えないように全力で隠す私に彼はくすくすと笑って仕事に戻った。
これは、遊ばれたかな?
有定さんの後ろ姿がキッチンに消えたのをみて一息ついて、そろそろとスケッチブックをテーブルに戻して、自嘲する。
見せられるわけないじゃない。小さな画面一杯に有定さんの姿が描き写されてるのなんて。見られたら羞恥で死んでしまうかもしれないなぁ。
そんなことをぼんやりと思いながらコーヒーに口をつける。
私は今の関係性に満足している。こうやって言葉遊びともつかないおしゃべりをして、年下故にからかわれて少しふてくされて、でも美味しいコーヒーで機嫌が直る。
こんな些細な事がこの上ない幸せなんだ。
でも少しだけ、ほんの少しだけ欲を言えばこの些細な触れ合いで有定さんが私になにかしらの感情を抱いて欲しい。なんて、私の我が儘なんだろうな。
彼からしたら常連客の一人なんだろうから。今はこの関係を壊さないようにこの気持ちに蓋をして、溢れないようにしないと。
よし、考えるのは終わり。有定さんが淹れてくれたコーヒーを冷める前に飲んでしまおう。
一口、口に含めば広がる良い香りと苦い味。そして、ほんのりとした甘み。
何故かいつも有定さんが淹れてくれるコーヒーはほんのりと甘い、気がする。正直他のコーヒーを飲んだことがないから比べようがないんだけど。
ここだけの話、ブラックは苦すぎて飲めないのだ。
なのに、何故頼んでしまうのかというとなんてことない。有定さんが勧めてくれた飲み方だからに他ならない。
そもそも、この喫茶店に入ってみようと思ったのもウィンドウ越しにみた有定さんに惹かれたからだ。一目惚れというやつをしてしまった。
それから店の前を通るときに有定さんを目で追っていたある日彼と目があって手招かれるまま入店したのがきっかけ。
成り行きで入ってしまった私に彼はブレンドコーヒーのブラックを勧めてくれた。
それからずるずるとブラックを頼んでいるわけだけど…今更砂糖やミルクを入れるのも格好が悪い。
でも、ここのブラックはほんのり甘いからまだ飲めてる。
まぁ、私が頑なにブラックを飲む理由なんて有定さんは知る由もないだろうなぁ。
さて、コーヒーも飲んだしスケッチ再開といきますか。
夢中でスケッチをしていたらいつの間にかコーヒーカップは空に。
んー、どうしようかまだスケッチしてたいけどもう一杯飲むのはなぁ…
「おや、高坂さんコーヒー空ですね」
「ええ、次頼もうか迷ってまして」
「そういえば、最近ラテアートというのが流行りなんでしょう?」
「あーそうみたいですね?」
「実は私、最近ラテアートの練習をしてまして…漸く人に見せれるものになったんです。良かったら見ていただけますか?あ、もちろんサービスで」
「そういうことでしたら断る理由がありませんよ。柄はお任せします」
「かしこまりました」
キッチンに消えていく後ろ姿に口元が緩むのがわかる。
新たな一面がみれた優越感に浸りつつ、有定さんはどんなラテアートを描くのだろうか、案外パンダとかだとギャップがあるなとか思いを馳せた。
暫くしてラテの入ったコーヒーカップを持って有定さんが戻ってくる。
少しだけ緊張しているように見えるのは初めて人に出すからなのかな。緊張した有定さんはなんだか新鮮で胸が高鳴る。
いつもよりほんの少しだけ大きな音を立てて置かれたコーヒーカップに描かれた絵柄に瞬き一つ。
そこに描かれていたのは可愛らしいハートにLoveの文字。
呆けながら有定さんを見上げれば耳が赤く染まって居心地が悪そうに、だけど真っ直ぐ私を射抜く彼と目があった。その視線はとても熱がこもってて、私の知らない表情に困惑する。
「お返事お聞かせください。私はずっと貴女を見ていました。ブラック飲めないのに泣きそうになりながら飲んでいる姿を見て可愛い人だと思いました。あまりに泣きそうなものだから内緒で砂糖を入れて出していました。勝手なことをしてすみません。でも、貴女が頑なにブラックを頼むのは、私が勧めたからだとわかっていて、凄く嬉しかったんです。そして一番心惹かれたのは夢中で絵を描いている姿です。とても綺麗で目を奪われていました」
珍しく饒舌に語る有定さんにこれは夢じゃないのかなと疑いたくなるけど、強く握った拳に食い込む爪の痛みが現実と告げる。
答えなんて、決まってるじゃないか。
妙に乾く喉をラテで潤して、ついでに心も落ち着けて私は口を開く。
「こんな美味しい愛の告白は初めてです。こういう告白の仕方も素敵ですが、私は有定さんの口から告白の言葉を聞きたいです。答えはその後ということでいかがです?」
有定さんを見上げて微笑みながら告げれば彼が息を飲んだのがわかった。数度口元が動き、喉が上下する。
目線がさ迷って少し困ったような様子の彼に悪いけど、可愛らしいと思ってしまった。
私だけ口で愛を告白させるなんて、ずるい大人だと思う。私だってそのバリトンが紡ぐ愛を聞きたいんだから。
覚悟が決まったのか有定さんが口を開いた。
「高坂珠希さん、私は貴女が好きですお付き合いさせてください」
少し声が震えているけど、真摯な眼差しで告げられた言葉に泣きそうになる。
視線を絡めたまま私は唇を開く。
「私も有定さんが大好きです。一目惚れでした。私で良ければお付き合いします」
有定さんの淹れてくれるコーヒーが甘いのは砂糖だけじゃなくて、愛という隠し味があるからだと私は思ってる。