1 プロローグ
「ほんと、不器量な女だこと」
「はたして、女と言えるのかしら?この足の短い生き物は。おしめも取れてないかもしれないわよ」
ここに来てたぶん半年とちょっと。最近やっと言葉を覚えてきた私は、よく聞く言葉から理解してきた。だから、この周りに居る西洋人の綺麗なお姉様方がその外見からは想像できない程口にしてきた下品な言葉から覚えてきたのだ。まったく、私が日本人で外国の人からは子供に見えるとはいえもう20歳を超えている女によく恥かしげもなくこんな言葉を言えたものだ。まぁ、私の年齢なんて教えてあげないけど!
でもまぁ、こうやって他人を見下すような言葉を放つことでストレスを発散しているのは解らなくもないとも思う。なにせ、ここは女しかおらず一人の男を奪いあう、言うなれば大奥みたいなものなのだから。かの人たちも、こうやって他人を妬んだり貶したりしてストレスを発散していたのだろうか。権力を握りたい気持ちも解るけれど、もうちょっと穏やかに生きていきたいと思ったりしないのかな、と大奥をモチーフにしたドラマや映画を見る度に思ったことは一度や二度ではない。だって私、女のそういう嫉妬とか面倒で疲れると思う性質だし。そもそも、そんな施設が無ければみんな穏やかに過ごせると思うのよ。
つまりは、今私がいるらしい後宮という施設の存在自体に疑問を持っている。気づいたら此処に居て三食付きの部屋を無料で借りている私が言えたことではないのだけれど……。だって、やっぱりみんな笑って過ごせた方がいいと思うのよ。この私を囲んでいる綺麗なお姉様方も、笑っていた方が綺麗だし。
だけど、どうして彼女たちは私にこんなに構ってくるのだろう。一度も彼女たちが訪れを望んでいる男が私の部屋に訪れたことはないし、こんな彼女たちと比べたらちんちくりんな私に彼女たちが奪い合っている男が振り向くはずもないというのに。
「なにをしている」
不意に後ろから声を掛けられた。目の前にいるお姉様方は先程までの表情とは一変して、頬を赤く染めすました態度になった。そして、この声が男のものだと解れば、その声の主は想像するのに難しくは無い。この施設の主だ。
「ごきげんよう陛下。庭で花を愛でてましたの。それにしてもこんな明るいうちにお目にかかれるなんて光栄ですわ」
「今夜は私のところへ。貴重な葡萄酒を取り寄せましたの」
私への構い方とは異なり、媚びるような声色でお姉様方は主に向かっていく。ふう、やっと解放されたわ。やっと目的だった庭の花の観察ができる。この国の花は日本には無いものばかりなので興味があるのよね。私は失礼のないように男に向かってお辞儀をし、その場を離れて庭の片隅にある花壇へと足を向けた。
暫く日に当たるだろうし帽子を被って来てよかった。この暑さだと、日射病になってたかもしれない。動きやすいように丈の長いドレスではなく、汚れてもいいようにパンツスタイルなので、主からは男のように見えているだろう。まぁ、もともとドレスとかスカートとかあまり好きじゃないのよね、自転車に乗れないし、運動には邪魔だし。私はここの主に好かれようとは思ってないから着飾る必要ないしね。そうして完全に主とお姉様方に背中を向けた時だった。
「待て」
男の声が私の足を止めた。流石に早くこの場を離れたいからと言って背を受けたのは失礼だったかな。私は振り向いて、そのまま片足を付けてテレビとかで見たことのある臣下の礼を取る。臣下ではないけれど。顔は見られるのが嫌なので地面に目を向ける。
「私はお前に問うたのだ」
問うた?……ええと、何をしている、ってやつかな。でも、なんで私?止めてほしい。両隣に居るお姉様方の顔を見てよ、きっとすごい顔してるから!
「……庭の花を愛でようと参りました。」
あまり話せないので、それだけ言って私は再びお辞儀をしてその場を去ろうとする。
「待て」
また呼び止められた。なんで私に構うのよ、もう。ちらりと見たお姉様方の顔はやっぱり想像通りだった。怖いね!
「帽子をとれ」
高圧的な声に少し怯む。『帽子』と『とれ』って聞こえたから、帽子をとるように言っているのよね。帽子を取るのは気が進まない。だって私の髪色はこの国の人たちにとって珍しいものらしくて、珍獣を見るような目で見られるんだもん、いい気はしない。だけど、私はここに曲がりなりにもお世話になっている身だ、しぶしぶと従う。
帽子を取ると、隠していた髪が肩に落ちてきた。そのまま私は再び地面を見る。視界に入るのは、男の足元だけだ。履いている靴が高そうな革でできている。この人はやっぱり身分が高い人なんだろうな。
そんなことを考えていると、男は再び声をかけてきた。
「名はなんという」
『名』ってことは名前を尋ねられてるのかな。なんと、後宮の主である男が私の名前を知らないとは。大丈夫なのかな。身元とか調べないのかな。あ、でも私、今まで名前尋ねられたことなかったかも。私付きらしい女官も’黒髪の乙女’とか呼んでるし。言葉が解らなかったから、私名乗ってないのかも。
「陛下、この者は‘黒髪の乙女‘と呼ばれていますわ。」
男の後ろに控えていた後宮の女官長がそう答えた。やっぱり私、名前名乗ってなかったのか。だけど、素直に教えるのもなぁ、だって得体のしれないことに利用されるの嫌だし。
そんなことを考えていると、男は納得したように
「そうだった。お前はこの前地方の貴族から献上された貢物だったな。横になっていて動かなかったから人形だと思っていたが人間だったことに驚いた覚えがある。まだ拙いが、言葉も話せるようになったのか。」
そう言って繁々と私を眺めているようだ。視線を感じる。
それにしても、『献上』と『貢物』って単語が聞こえた。これは昨日呼んだ幼児向けの本に書いてあったわ。意味も女官に聞いて覚えたばかりだった。
もしかして私、献上された貢物だったの?衝撃の事実だわ。そんなに黒い髪は珍しいものなのかしら。
「面を上げよ」
男がそう言うが、私は何を言われたのか分からずに首を傾げた。すると、男は強引に私の顎を掴んで男の方へ顔を向けさせられた。い、痛い……。
「面白い。俺がお前に言葉を教えてやろう。どれくらいで上達するのか楽しみだな」
そう言っておもちゃでも見つけたような喜々とした顔で男は去って行った。私は何を言われたのか解らず首を傾げた。……『教え』と『上達』ってどういう意味なんだろう。まだまだ勉強が必要なようだった。
それにしても、名前は答えなくても良かったのだろうか。そんなことを考えながら私は残されたお姉様方の表情を見て、再びうんざりするのだった。