第2話『恋の嵐』
咲からの告白。
その真剣な表情と眼差しは、唯と重なる部分がある。そう思うのは、唯と同じく俺のことを「直人」と呼んでいるからかもしれない。それもあってか、咲が告白しているのに唯が告白しているように思えて。
俺は咲の気持ちに返事をしなければならない。
けれど、2年前のトラウマがここで露骨に現れる。唯の悲しげな表情が頭をよぎり、その直後、段々と息苦しくなる。
咲と付き合ったら彩花と渚が傷付いてしまう。
咲を振ったら咲が傷付いてしまう。
ただ、ここではっきりを答えを出さないとどうなってしまうのか。とても怖くて想像したくなかった。
いずれにせよ、咲からの告白でGWの帰省から保ち続けていた平穏な空気が、一気に吹き飛んでしまった気がした。
どうする。
どうすればいい。
答えを出さなければいけないのか。
みんなが俺のことを見ている。
逃げたい。
遠くに逃げてしまいたい。
もしかして、咲は俺を決断させる状況へ追い込むために、みんなの前で告白したのか? そう考えると、咲のことが悪魔や堕天使のように見えた。いや、そう見えるように思い込んだ。自分の責任を咲に押しつけたいがために。
ああ、俺は最低だ。
一言も声を発しない俺のことを、咲はなぜか優しく微笑みながら見ていた。
「いきなり告白されても答えられないよね、直人」
「……ごめん」
今できるせめてもの償いとして、俺はそう詫びの言葉を言った。
「あたしは分かってるよ、直人のこと。きっと、唯のことがトラウマになっているんだよね。振った直後に亡くなっちゃったから」
見事に当たってしまい、思わず涙が出そうになってしまう。ただ、彩花や渚の前では見せられないと思い、俺は必死に堪える。
北川から聞いた話だけで、咲にはそこまで分かってしまうのか。
「宮原さんと吉岡さんは直人の苦しみが分からないの? 直人が好きならそのくらいは分かってあげてもいいと思うけど。2人が直人のことを好きでいるから、直人はこんなに苦しんでいるだって分かってあげられないの?」
鋭い目つきをした咲は、彩花と渚に対して攻撃的な口調でそう言った。
「私達は直人先輩の苦しみをちゃんと分かっています。だからこそ、直人先輩の判断を急かすことはせずに、待つことを選んだんです」
「広瀬さんこそ直人を苦しめているよ。告白されたときの直人の戸惑った表情を見て、何も思わなかったのかな」
とても強気な態度を見せる咲を目の前にして、彩花と渚はしっかりと反論する。そこはさすがだなと思う。
彩花や渚と咲の間に大きな溝が生じてしまっている。
俺のせいだ。全ては何も判断できない俺のせいだ。
彩花や渚に反論されても、咲はどこか余裕がありそうな雰囲気だった。彼女は真剣な表情で俺達のことを見てくる。
「分かってるよ。あたしが告白したことで、直人を苦しませてしまっているって。でもね、あたしは直人に何をすべきなのか分かってる。それは直人の判断を待つことじゃない。直人のことを自分から引っ張っていくことなの。直人はきっと、決断することによって生じる変化が怖くて、自分で決められない。だったら、直人が安心できるように自分から引っ張っていくしかない。それができるのはあたしだけだと思ってる」
咲に俺の心が見透かされている。
決断することによって生じる傷がどんなものなのかが怖くて、誰か1人と付き合うことも、誰とも付き合わないとも決められない。父さんは誰も傷付かない決断なんてないって言っていたけれど。俺だってそれは分かっている。けれど、俺は結局、周りに甘えて決断しないままここまで来てしまった。
「2人は直人を苦しめているだけだよ。2人が待っているだけだから、直人はずっと苦しむことになるの。それが2人に抱くあたしの憎悪感だよ」
きっと、北川は洲崎に帰った俺の姿を見て、俺の様子がおかしいと思ったんだ。おそらく、その原因が彩花や渚が絡んでいると気付き、そのことを咲に伝えた。
そのことを聞いた咲は彩花や渚に憎悪感を抱いたんだ。
「憎悪感を抱いた瞬間、あたしは宮原彩花と吉岡渚に直人を苦しませている現実を思い知らせて、それを周りの人間にも知らしめてやろうと決めた。そして、直人に告白してあたしが直人を引っ張っていく気持ちを伝えることも。今日までなかなか勇気が出なかったけど。でも、運命を感じた。私の好きなバスケをする場所で、2人同時にこのことを話せるんだから」
咲は相当な覚悟を決めて、月原高校にやってきたというわけか。
きっと、俺のことを考えて、彩花や渚に諦めてほしいと思ったんだ。そのために2人のせいで苦しんでいることを伝え、それを周りの人間にも知ってもらう。2人がすぐに俺のことを諦めなくても、周りも知っていれば罪悪感が芽生え、いずれは俺から離れていくと咲は考えているのだろう。
だけど、彩花や渚はそんなことで俺のことを諦めるような人達じゃない。2人だって俺のことを考えて、覚悟を決めて、俺のことを待つと決断したんだ。その証拠に、咲から色々言われても、彩花と渚の表情は勇ましいままだ。
「桐明さん。今の話を聞いても、あなたは宮原さんや吉岡さんは何も悪くないと言えるのかしら? この場にいる他の人も、今の話を聞いてどう思う?」
咲は2人の様子を見て只者じゃないと判断したそうで、周りから固めていこうとしているのかな。
話を振られた香奈さんはいつもの元気そうな笑みを浮かべて、
「なぁんだ、そんなことですか。藍沢先輩のことについては彩花ちゃんから相談を受けてますよ。詳しい理由は知りませんが、藍沢先輩にはトラウマがあって、なかなか判断が下せないことくらいは分かっています」
快活な口調でそう言った。
これには咲も予想外だったようで、目を見開いている。
そうか、彩花は香奈さんに俺のことを相談していたのか。それは知らなかった。おそらく、このことは一ノ瀬さんなども知っているだろうな。
「渚先輩にも相談されましたしね。女バスのほとんどのメンバーはそこら辺の事情は知っていると思いますよ。何かいい案が出るまでは、急かさずに待ち続けるのが一番だっていう話になっていたのに。まったく、余計なことをしてくれますね、広瀬さん」
「なるほどね。だから、あたしが色々と言っても、宮原さんと吉岡さんはあまり動じなかったんだ」
洲崎から帰ってくる電車の中で、2人は俺の決断を待ち続けるからとしながらも、アプローチをすると言っていた。
でも、俺と彩花が女子バスケの練習のサポートを始めてからは、2人からのアプローチは全くなくなっていた。もしかしたら、香奈さん達と話し合って、そういうことも俺に決断を急かしてしまっているだけだと考え、止めたのかもしれない。
気付けば、女バスの部員が彩花達の後ろに立っていた。彩花と渚を支えるように。
「……あたしの考えが甘かったってことか」
「直人先輩のことを考えたり、みんなに相談したりして最終的に直人先輩の決断を待つという選択をしたんです。直人先輩の気持ちを萎縮しないために」
「だから、広瀬さんも直人の判断を待ってくれないかな。お願いします」
渚と彩花は咲に向かって頭を下げた。全ては何もできない俺が悪いのに、どうして2人が頭を下げているんだよ。
けれど、今の俺に頭を下げるのを止めてくれと言うことはできなかった。俺はまだ何も決断できていないから。
「……それでも、あたしは待つという行為が直人を苦しめているだけだと思ってる」
咲は自分の考えを変えようとしない。あくまでも、俺を引っ張っていくことが最良の選択だと考えているようだ。
「あたしには分かるよ。直人には道を定めて、そこに引っ張ってくれる存在が必要なんだって。あたしにはそれができる自信がある。それに、待つって言うけど、決断するまでの間……直人はずっと苦しまなきゃいけない。それなら、できるだけ早くそんな状況を断ち切って、直人を引っ張っていく方がいいと思うの。その考えは変わらないから」
彩花や渚と咲の考えは平行線を辿ったままで、今後、交わりそうな気配は全く感じられない。
このまま待ってもらう方がいいのか。それとも、多少強引にでも誰かに俺を引っ張ってもらった方がいいのか。当の本人である俺も、どちらがいいのかよく分からなかった。
「ねえ、直人」
咲は何かを決めたような様子で俺に声をかける。
「6月15日になる瞬間までに決めて。恋人として誰と付き合うのかを。それか、誰とも付き合わないって」
意地でも自分の考えを貫きたいのか、俺に決断のリミットを設けてきた。咲は一刻も早くこの状況を打破したいようだ。
「もちろん、それまでの間のアプローチはOKよ。あたしもするつもり」
「どうして広瀬さんがそんなことを決めるんだ!」
「何も決められていないのが、逆に直人を不安な気持ちを膨らませるだけだから」
「でも、リミットを決めたら直人先輩を変に焦らせてしまうだけです!」
「リミットを設けることで、直人に何かあったときにはあたしが責任を取る。もし直人が決断できなかったら、強引にでもあたしが彼を引っ張っていく。あたしはそういう覚悟を決めてリミットを設けているの。それとも、自分達には直人を自分の恋人にする自信がないのかしら?」
そう言って嘲笑う咲には相当な自信があることが伺える。俺のことが好きな気持ちを抱き続けたのは彼女が一番長いからだろうか。
挑発をすることで、彩花や渚を自分のペースに持っていこうとしているんだ。
「……分かりました。でも、私は私なりに直人先輩と接していくつもりです」
「直人の気持ちを考えた上でね。でも、広瀬さんには絶対に負けたくない」
応戦する姿勢を示した彩花と渚を見て、咲は不敵な笑みを浮かべた。こうなるのも彼女の作戦のうちってことなのか。
「じゃあ、話は成立ね。直人、よく考えて……までは言わないわ。ただ、純粋にこの人が一番いいと思ったら、恋人として付き合うことを選んだ人とあたしに伝えて。選んでくれるのがあたしだったら嬉しいけど」
「……ああ、分かった」
俺が素直にそう返事をするのは、多少なりとも咲の提案がいいと思ってしまったからだ。いつまでも悩み続けるなら、リミットを設けてくれた方がいいと。それで苦しみから少しでも解放されるなら、と。
まさか、咲はそのような感情までも見抜いたというのか。咲とは3年も離れていたのに。俺のことが好きだからこそできることなのかな。
「じゃあ、そういうことで今日はもう帰るわ。3年ぶりに直人と再会して、告白できて嬉しかった。酷い印象を持ったと思うけど、あたしは直人を救って幸せにしたい気持ちでいっぱいだから。そうだ、金崎に引っ越した後にメアドも変えたし、SNSも始めたから連絡先また交換しよう?」
「ああ、分かった」
咲と連絡先を交換すると、彼女は嬉しそうな様子に。
「ありがとう、直人。じゃあ、またね」
咲は満面の笑みを浮かべ、俺に手を振って体育館を去っていった。
まるで嵐が去っていったかのように、咲がいなくなるとすぐに普段通りの空気に戻った。まあ、それは女子バス部員のほとんどが、今の俺達の状況を理解してくれていたおかげだろう。
「……予定よりも多く休憩時間を取っちゃったね。そろそろミニゲームでもしようか」
渚はいつもの爽やかな笑みを浮かべてそう言った。
「すまないな。俺のせいで彩花と渚に迷惑をかけちまって」
「気にしないでください。今のことでより強く、直人先輩と一緒にいたいと思えるようになりましたから」
「私も彩花ちゃんと同じ。あと、向こうがアプローチを仕掛けるみたいだから、私達も何かするかもしれないってことは覚えておいてね」
「……ああ」
あんなことがあったのに、彩花と渚は今までと変わらず俺に接してくれる。それは自分に自信があるからなのか。それとも、とても優しい心を持っているからなのか。はたまた、咲に対する強がりなのか。
決断するリミットとなっている6月15日の午前0時まで、あと4日あまり。
彩花の言うとおり、制限が設けられてしまったことでさっそく焦りが出始める。そのせいか、今日は考えが少しも纏まらなかったのであった。




