Memories 1
2年前の3月19日、土曜日。
あの日は曇っていて肌寒かった。
午前11時。
唯と合う場所である灯岬近くのベンチには、俺が先に到着した。
2人きりで話したいことって何だろう。唯が来るまでの間、俺はずっとそのことばかり考えていた。みんなの前でも、唯とは一緒にいることが当たり前だった。そんな彼女がわざわざ2人きりで話したいなんて。
「待たせちゃってごめんね、直人」
唯はやけに呼吸を乱していて、額には汗が滲んでいた。
「別にいいよ。俺もついさっき来たところだから。座れよ、疲れているようだから」
「あっ、うん……」
今すぐに話したいことって何なのかを訊きたかったけれど、まずは彼女を落ち着かせた方がいいだろうと思って。
俺の隣で呼吸を整える唯。そんな彼女の吐く息はやけに白かった。
唯と座っていたベンチからは穏やかな海が見える。曇っているから、綺麗な海じゃないけれど、曇りの日の海も悪くない。
1週間ほど前、東北沖を震源とする大地震による震災があり、津波によって多くの人が亡くなった。この洲崎町にも津波警報が発令されて、高台にあった中学に非難した。幸いなことに、津波は押し寄せたけれど海の近くの建物が浸水しただけで、人的被害は全くなかったので良かった。
唯の呼吸が落ち着いてきたのを確認して、俺の方から話を切り出した。
「わざわざ2人きりで、俺に話したいことって何なんだ?」
そう言うと、唯の頬が少しずつ赤くなっていった。
「……みんなの前だと話せないことなんだ」
そう言う声は、いつも元気で活発的な唯からは想像できない、弱々しい小さな声だった。
手袋をした唯の左手が、俺の右手と重なる。
「直人のことが好き」
そう告白したときの唯はとても真っ直ぐな瞳で俺のことを見つめていた。俺の手をぎゅっと握り締めながら。
俺は小学校のときからずっと、唯を幼なじみとしてしか見ていなかった。友達という関係ではなくて、幼なじみという一つの大切な関係。
「……やっぱり、美緒の方が好きなの? 美緒と一番長くいるもんね」
「唯も美緒も大切な幼なじみだよ。一緒にいる時間の長さなんて関係ない。だけど、恋人になるとか付き合うとかよく分からないんだ」
唯と恋人として付き合っている未来が、俺には想像できなかったのだ。幼なじみとして付き合っている未来は簡単に頭に思い浮かぶけれど。
唯は悪い子じゃない。好きか嫌いかと言えば好きだとすぐに言える。
それよりも俺は恐うのだ。俺と唯が付き合い始めたら、周りがどのように変わってしまうのか。それまで当然のようにあったことがこぼれ落ちてしまうのではないかと。それが不安で。ただ、そんな想いが顔に出てしまっていたのだろう。
「ごめんね、悩ませちゃって」
「……気にしないでいいよ。唯の気持ちに応えられなくてごめん」
俺がそう謝ると、唯はベンチから立ち上がって俺の前に立つ。
「気にしないで。だって、これからも幼なじみとして一緒にいられるんでしょう?」
口元は笑っているけれど、眼は潤んでいて今にも泣きそうだ。
「もちろんだ。春休みも一緒に遊べるし、3年生になったらまた一緒に剣道をやろう。それで、みんなで同じ高校を目指して頑張ろう。そうしたら、この町でみんなとも、唯とも一緒にいられるよ」
慰めというか、元気にさせるというか。できるだけ柔らかい言葉で、唯の心をこれ以上傷つけないように。
「……うん。約束だよ」
そう言う唯の声は震えていた。
「じゃあ、あたし……ちょっとそこら辺を散歩してから家に帰るよ。直人、時間を取らせちゃってごめんね」
「別にいいさ」
「……月曜日はお休みだから、また火曜日にね」
俺は自宅の方へ歩いて行くけど、唯は俺と逆方向……灯岬の方へ歩いて行った。
それが、俺が最後に見た唯の姿だった。
それから2時間ほど経ってからだった。唯が灯岬の下の岩場で亡くなっていたことを知らされたのは。
その瞬間、俺は色々なことを頭によぎった。
唯と一緒に灯岬に行っていれば。
唯の手を引いてでも、一緒に俺の家の方に向かっていれば。
そもそも、俺が唯の告白を断らなければ。
事故かもしれないと大人達から言われても、灯岬に行った直前に唯は俺に告白している。俺にフラれたことを苦に自殺をした可能性も当然考えた。
唯を振ったからこそ、俺は今まで当然にあった大切な存在を失ったのだ。唯という大切な幼なじみがこぼれ落ちてしまった。
それから、俺は唯との約束を次々と破った。
大好きだった剣道を辞めた。
この町にいることが怖くなって、美緒達と同じ洲崎高校に進学しなかった。
そして、この町とこの町に住むみんなと離れた。
唯、どうか教えてください。
もし、俺が唯と付き合うことになって、そのことで何か大切なものを失ったとしても。それは唯を失うことよりも辛いことでしたか。それを唯と一緒なら乗り越えることができましたか。
2年経った今も、唯は元気に俺に笑顔を見せてくれていましたか。




