第20話『コーヒーブレイク』
坂井さんと連絡をして、彩花と遥香さんが入れ替わったことには、20年前に1人の少女が自殺した事件が関わっていると考える方向に纏まった。
連絡をした後は休憩ということで、遥香さんが淹れてくれたホットコーヒーを飲んでいる。俺が淹れたコーヒーよりも美味しい気がする。
「遥香さんは紅茶を飲んでいますけど、コーヒーと紅茶ならやっぱり紅茶派なんですか?」
「そうですね。コーヒーはカフェオレがやっとです」
「俺もコーヒーを飲み始めるときはそんな感じでしたね」
カフェオレを飲んでコーヒーの苦味に慣れてきたところで、微糖コーヒーを飲んだときの苦味の衝撃といったら。きっと、ブラックコーヒーなんて想像を絶するような苦さだろうと当時は思っていた。しかし、何年か経って、今はブラックコーヒーの方がむしろ好きになっている。
「彩花さんはどちらの方をよく飲まれるんですか?」
「彩花も紅茶の方を飲みますね。たまに、俺のコーヒーを一口飲んでみるんですけど、苦すぎるみたいなのか、毎度眉間に皺を寄せてますよ」
「ふふっ、そうなんですか」
「俺が口を付けたコーヒーなら飲めるかもしれない、って」
「へえ……」
すると、遥香さんは俺の顔とコーヒーの入ったマグカップをチラチラと見て、
「直人さんが口を付けたコーヒーなら飲めるかもしれません」
ちょっと頬を赤くしながらそんなことを言ってきたのだ。これも彩花の体に入っている影響なのかな。
「じゃあ、一口飲んでみますか? ただ、遥香さんが淹れてくれたので分かっていると思いますが、砂糖やミルクは全く入っていませんよ」
「分かっています。でも、直人さんの唾液は入っているでしょう?」
「……そ、そうですね。俺、何回か口を付けていますからね」
俺の唾液が入っているから飲めるかも、とは彩花に言われたことはないな。もしかして、遥香さんは彩花以上にエロかったりするのか?
「じゃあ、一口いただきますね」
「どうぞ」
そして、遥香さんは俺のホットコーヒーを飲む。すると、程なくして眉間に皺を寄せるという見慣れた光景が。
「苦い……です」
「ははっ、ブラックですからね。彩花もそういう反応をいつも見せていたんですよ」
「そうなんですか。コーヒーを飲めるなんて大人ですね。兄も好きですが……」
ということは、坂井さんもコーヒー派なのかな。もしかしたら、彼と一緒にコーヒーを飲むときが来るかもしれないな。
「はぁ、アップルティーは甘くて美味しいです」
「そうですか」
俺は再びホットコーヒーを飲む。甘いのもいいけど、やっぱりコーヒーのこの苦味が好きだな。
「……間接キス、しちゃいましたね」
と、遥香さんはうっとりとした表情をして言った。しかし、自分の言ったことがどういうことなのか気付いたようで、すぐに慌てた表情になり、
「そ、そういうつもりで直人さんのホットコーヒーを飲ませてほしいと言ったわけじゃないですよ!」
「分かってますって」
と言ってしまった。けれど、俺の唾液が入っていれば飲めるかも、と言っている以上、間接キスを意識して遥香さんは言ったような気もする。まあ、それは訊かないでおこう。
「遥香さん。彩花の体には少しずつ慣れてきましたか?」
「はい。声もちょっとずつ慣れてきましたし。でも、ちょっとだけ体が重いですかね。えっと、その……胸のあたりがちょっと」
「そ、そうですか」
彩花の方が……大きいってことか。このことを彩花が聞いたら、俺が胸を揉んでいるからだと胸を張って言いそうだ。
「あと、お腹が痛くないのっていいですね。寒気もなくなりましたし」
「そういえば、今朝になってから遥香さんはお腹が痛かったんですもんね」
ということは、今頃、彩花がお腹の痛みと戦っているかもしれないのか。
「ちょっと彩花にメッセージを送ってみますね」
俺はLINEで、
『お腹の調子はどう?』
と、彩花にメッセージを送る。
すると、すぐに『既読』となって、
『不安はありますけど、痛みはないです。温かい紅茶を飲んでます』
というメッセージが帰ってきた。お腹は回復へ向かっているんだな、安心した。あと、やっぱり紅茶を飲んでいるのか。
「彩花の方は大丈夫ですね。遥香さんと同じように温かい紅茶を飲んでいるって」
「そうですか。良かった……」
遥香さんは安心したのか笑みを浮かべている。こういう優しいところは彩花と似ているかな。
「じゃあ、そろそろ20年前の事件について詳しく調べてみましょうか」
「そうですね」
俺と遥香さんは20年前の事件について更に詳しく調べてみる。
けれど、あまり情報が出てこないな。未成年ということもあってか、自殺した少女の名前は公表されていない。もちろん、クラスメイトの女の子の名前も。せいぜい分かったことといえば、2人の通っていた高校が私立斑目高等学校であったことくらいだ。
「あまり新しい情報が見つかりませんね、直人さん」
「そうですね……」
おそらく、事件が発生したのが20年前であること。自殺であること。自殺した少女が未成年であることがネット上に詳しい情報がない理由なんだろうな。マニアの間でこのホテルが心霊スポットとして人気が出ていなければ、20年前の事件の存在さえも知ることはなかったかもしれない。
「動画サイトに当時のニュースがアップされているかどうか見てみましたけど、20年前の事件だからなのか1件もありませんでしたね……」
「そうですか。心霊系が好きな方がアップしていそうな気がしますけどね」
このホテルが心霊スポットとなった原因となった事件、ということで。当時のニュース映像があれば、何か新しい情報が掴めるかと思ったんだけど。
「直人さんと私でこれ以上調べることは無理なのかな……」
「ネットで調べることは難しいかもしれませんが、事件は20年前に起こったことです。このホテルで働いている人の中では、事件当時も働いている人がいるかもしれません」
「聞き込み調査をするんですね」
「そうですね。ただ……時刻も正午を過ぎているので、まずはお昼ご飯を食べに行きましょうか」
お腹も空いてきたし。ご飯を食べてから、聞き込み調査をしていくか。当時のことを知るホテル関係者がいるかどうか分からないけど。
「分かりました」
「絢さん達も誘いますか? それとも2人で行きます?」
「……さっき、私が直人さんと2人きりがいいと言ってしまったので。ちょっと、気まずいっていうか。もちろん、直人さんと2人きりでお昼ご飯が食べたいっていうのが一番の理由ですけど」
「分かりました。じゃあ、2人で食べに行きましょうか」
飯代は……俺が持つか。彩花の父親である浩樹さんがこのホテルを予約してくれたのだから、その感謝という意味でも食事代は全て俺が持とうと決めていた。まあ、実際は入れ替わりが起きてしまって、遥香さんと一緒に行くことになるけど。
「きゃっ」
部屋を出ようと椅子から立ち上がったとき、突然、遥香さんが俺の方によろめいてきたのだ。
「おっと」
俺は遥香さんが怪我をしないように、彼女のことを抱き留める。
その甲斐あってか、昨日のようにベッドに倒れずに済んだ。あと、抱き留めたときに香った甘い匂いは彩花そのものだった。
「大丈夫ですか、遥香さん」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」
「良かった」
「でも、もうちょっとだけ……こうしてもらってもいいですか? 彩花さんの体だからですかね。今、気持ちがとても落ち着いているんです。直人さんの温もりと匂いが感じられて」
遥香さんは俺のことを見ながらにこりと笑って俺の背中に両手を回した。もはや、彩花に抱きしめられているようにしか思えなかったのであった。




