戦イユカイ 05
ちょっと、尻込みするな。
そんな感想をよそに、藤堂先輩はガラガラと扉を開けて入っていく。
「失礼します~」
慌てて俺も部屋に入る。
「同じく失礼します」
中は静かだった。
薙刀部の人がいるのかと思ったが、カーテンに閉ざされたベットが一つと、主である女医さんが居るだけだった。
カーテンの向こうには、件の人が寝ているとして、誰も付き添っていないのか?
「ここに、薙刀部の人が搬送されたと聞いてやってきました」
「なんだ?中島がらみなのか」
「絡みというか絡まれたというか…」
「彼女なら寝ているよ。だから煩くするな」
隣に人がいるからだろうか、馴れ馴れしい口調ではなく、事務的なものだった。
というか、つっけんどんだね。
「君、そんなに保健室に入り浸っているの?」
ひそひと藤堂先輩が聞いてきた。
なんという勘違いっ。不審な目で俺を見ている。
彼女の脳内で俺は保健室で何をしているのか、気になるところではあるが……どうせ噂と混じってろくなことしてないと思われているんだろうか。
「運動部の人ほどお世話になっていつ積もりはありませんよ?」
「ふむ、では、何故先生は君のことを知っているのだ?」
「体質的な問題です……」
だからじろじろ見ないでっ。
「ついでだ、診ていくか?」
「先生っ何がついでですか、私はいたって健康体です」
「そう思っているだけかもしれんぞ」
なぜそこで手をワキワキとさせているんですかっ。
ほらっ隣で状況が飲み込めていない藤堂先輩が困惑してますよ。目線を送るが意に介した様子はない。
「冗談だ」
冗談でやらないで。素が出てきてますよ素がっ。
今、微妙な立場なんだから、変な噂を立てられたらどうするのですかっ。ってもう立っているのか??気持ちが沈むぜ。
「ともかく、彼女は大丈夫なんですね」
本題に強引に戻す。
「大丈夫だろう。目覚めたら……ん、起きたか」
女医は立ち上がって、ベッドのあるカーテンの向こうへと歩いていく。
なにやら診断しているようで、取り敢えず今いる位置から俺たちは動かないでいた。
「いいぞ、こちらへきても」
女医の許可がおり、二人してカーテンの向こうへと移動した。
「二人が心配して見舞いにきてくれたぞ」
女医が改めて俺らを紹介した。
「体調はどうだ?」
藤堂先輩が気づかわしげに問いかける。
「……か……ま」
なにかぼそぼそと下を向いて呟いている。
再度、藤堂先輩が声をかけるも上の空というか、聞いちゃいない。
「ナカジママサムネー」
絶叫と共にいきなり立ち上がって、俺に掴みかかってきた。
反射的に俺は、石動先輩の手首を取り、捻って受け流した。咄嗟に合気道の技がでたが、相手の勢いがありすぎて抑えることはできなかった。合気道やってて良かった。
床に受け身も取れずに叩きつけられ、転がって壁に激突する彼女。
「おいっ一体なんのまねだ」
烈しく藤堂先輩は怒鳴り、いいよろうとするのを、俺は止める。
「待って様子がおかしい」
奇妙な鳴き声。それに、体格が一回り大きくなっている。
「石動っ、おいっ」
藤堂先輩が叫ぶが、その呼び掛けに返事はない。
その相手は、四つんばいになり、烈しく痙攣を起こしだした。
「これはっまずい。お前たち逃げろ」
女医が慌ただしく怒鳴り、俺たちの前に立つ。
「逃げろって行っても、出口は彼女の後ろですよ」
「ぬぅ」
俺の指摘に、女医は唸る。
見る見る間に姿が変わっていく。
更に一回り体格が大きくなる。当然着ている服が裂け、肌が露出する。
うわっと思ったが、その下は地肌ではなく毛深い体毛であった。更に腕や顔まで覆われてくる。
「こんなところで獣変を見るとはな。思いも寄らなかったよ」
女医が感嘆の声を上げる。
石動先輩が吠えた。口が突きでて、耳が立ち上がる。犬?いや狼か?その姿が人で無い者に変わり果ててしまった。
藤堂先輩は呆然としてつっ立っている。
声ではない叫びが再度轟き。こちらを見据える。こちらって俺にだよっ。
どこまで恨まれてんだっ。一体全体どういうことなんだってばさっ。
視線が合う。やばいっ。
一瞬身を縮めたかと思うと、跳躍してきた。
「危ないっ」
女医が俺たち二人を突き飛ばす。
そのせいで、女医は体当たりをモロに受けてしまい、身が宙を舞う。
ベッドにどすんと落ちて跳ね、床に転がる。
「先生ッ」
「逃げろ…」
逃げろと言われても、おそらく逃げれない。
傍らには顔面蒼白になった藤堂先輩がいる。幾ら武術部だといっても人外を相手にするのは話が違う。
俺?俺はまぁ、もっと凶悪なのと対峙したことがあるせいか、何故か冷静だった。
死への恐怖はある。このままでは少々どころでは無い危険も感じる。というか、彼女の狙いは俺ただ一人だろう。
態勢を整え、こちらを睨む狼。
あぁくそっ、ド畜生め。
目標を定めた狼は俺目掛けて突進してくる。組み付いて倒すつもりか。
傍らには藤堂先輩がいる。俺が避ければ、後ろにいる藤堂先輩が替わりに突進の餌食になる。
俺は藤堂先輩を突き飛ばし、その反動で反対側へと跳ぶ。
勢い壁に激突する狼。
だが、そのなものはものともせず、直ぐさま向きを変え、俺にかかってる。
咄嗟に腕をクロスに構え、ガードしつつ躱す。
ざっくりと左腕に爪の疵が走った。その衝撃は凄まじい痛みだ。目がチカチカする。
血が腕を伝う。意外に深そうだが、動脈まではいってない。まだ大丈夫だ。
狼は勢い机にぶち当たり、上に乗っていたものが宙を舞い、派手な音と共に辺りにばらまかれた。
が、そんなものをものともせず、狼は立ち上がり、こちらを見据える。
くそったれ。
何か武器はないのか?視線を狼は外さず、辺りに目ぼしいものがないか探るが見つからない。保健室に狼撃退用の武器がある方がおかしいちゃーおかしいが。
「正気に戻ってください、石動先輩」
声を掛けるが問答無用で、また突撃してくる。
正気を失い狂気に犯され、がむしゃらに俺に向かって飛び掛かる。
単純な飛び掛かりのお蔭で、俺はなんとか躱すことが出来ているが、いつまでも続くわけがない。何か手は無いのか?目まぐるしく思考が働くが、解決策は出てこない。
何度目かの攻防で、俺は失策をやらかした。
床に転がっている、机にあったもので脚を滑らせた。
バランスを崩し、狼に覆い被さらされた。
やばいっやばすぎる。
咄嗟に首根っこを掴みあがらう。
狼の前脚が暴れ、俺の肩や腕に爪で引っかかれ血が流れ出る。
そこへ、白い布が舞い降りた。
それは狼の首にまとわりつき、絞め出した。
「中島、大丈夫か?」
藤堂先輩であった。
狼に馬乗りになり、シーツを使って首を絞めている。
「助かりました」
ほうほうの体で、下から抜け出し、立ち上がる。
「くっこの、大人しくしろ」
藤堂先輩は叫びながら、狼の首を絞め続ける。
だが、駄目だ。抑えきれていない。
くそっ何か、何か手はないのか。
つっ、引っかかれた腕に痛みがはしる。左腕をみると、ジャージは破れ、血で赤黒く染まっていた。
気の弱い子がみたら卒倒するなこれは…。
もしかしたら、これは…。
俺はジャージを脱ぎ、左腕に巻き付ける。かなり賭けだが、やるしかない。
「先輩、危なくなったら手を放してください」
「いや、しかし」
「そのままでは先輩が危険です。俺が……俺がなんとかします」
暴れ、のたうち回る狼相手にいつまでもロデオさせて置くわけにはいかない。
「わかった、本当はもう限界だったのだ。済まん」
「先生を診てやってください」
藤堂先輩は云うなり、狼から振り落とされた。
自分から落ちることで、綺麗に受け身をとって、彼女は離れた。
拘束が解かれた途端に狼はこちらを向いて、突進してくる。
俺は、ジャージを巻いた左腕で牽制する。
突き出された左腕を狼は反射的に、狙いを定めて噛みつこうとする。
それに合せておれは、腕を差し込んだ。
口の奥へと腕がすっぽり嵌まり込む。もちろん狼は噛み千切ろうと後退しつつ頭を振ろうとする。
掛かった。
狼の動きに合せ、俺は前にでる。ここで、逆に引っ張ろうものなら、腕は最悪な結果を迎えるだろう。
そのまま、飛び掛かり、馬乗りに背に跨がる。脚を狼の腹にしっかり絡めて、右腕を首に廻して絞めつける。
慌てたか狼は叫ぶ。それは左腕の拘束が外れることになる。
俺は、左腕を右腕にクロスするように掛けて締め付けを強化する。変速的だが、チキンロックウイングの完成だ。咲華にかけられ続けた技がこんなところで役に立つなんて、人生なにが起こるか解らないものである。
相手はチキンでなくドッグ……いやウルフだけどなっ。
気道・動脈・整脈を絞めつぶす。
もちろん、のたうち回る狼。だが、そんなことでは俺は振り払えない。なんの因果か咲華に日頃色々痛めつけられていたせいで耐性がある。ヤツの技に比べたら蚊程の痛みもないっ。無いんだってば!はい、やせ我慢大会です。
背中に壁や椅子やら転がっている何かがバンバン当たる。痛みに耐えながらもチキンロックウイングは外さない。
狼が吠えようとするが、気道を塞いでいるため声にならない。
段々と狼の力が抜けていく。痙攣するように動きが微弱になっていく。大人しくなってきたようだが、これどこまで絞めていればいいのだろうか?
逡巡していると、視界に白衣が映った。
「先生っ」
「あぁ大丈夫だ、なんとかな」
声が返ってきた。とりあえず二人の安全は確保できているようだ。
「これ、いつまでやっていればいいかな。手加減解らない」
「解ったちょっと待て」
戸棚からなにやら道具一式を漁りだす。
「藤堂先輩も大丈夫?怪我はないですか」
「私もなんとかな、大丈夫だ。あとで先生に診てもらうよ」
「藤堂君、シーツをこっちに」
なにやら作業をしている。シーツを切り裂いている擦れた音がした。
狼っ子の方は依然として力が抜けてきているが、ときおり抜け出そうと暴れる。全くしつこいったらありゃしない。
「中島、拘束は外すなよ」
ここでしくじる訳にはいかない。必死に押さえ続ける。
うっ足が生暖かい……。アンモニアの匂いが……うわわわんわん失禁かよ。狼姿で漏らされてもなんの感慨も沸かないどころか嫌悪感のほうが先に立つ。まてまて俺は変態じゃない、そんなプレイは御免被る。
女医が小瓶と注射器を手に持ってやってくる。
近づいてきて、恐る々る狼の前脚をとる。
「いけそうだな」
小瓶に注射器を刺し、中の液体を注射器に注入する。
ぴゅっと針から液体が飛び出し、空気を抜いたのを確認して前脚の付け根辺りに刺した。
液体が注射器から狼へと移っていく。
「これで大丈夫だろう。っとまだ手を離すなよ。藤堂君いいかい?」
シーツを紐状に切り裂いて束ねたものを持ってきた。
女医と二人して脚を縛っていく。
最後に掃除道具のモップの柄を間に通して拘束が完成した。
「これでよし。中島ご苦労さん」
俺は狼から恐る々る力を抜きつつ、チキンロックウイングを外し離れた。
「気絶しているようね」
女医は診断する。瞳孔確認、呼吸確認、てきぱきと医者みたいに……って医者でした。
「ところで、何故獣変なんてものがおこったのですか?」
何がおこっても不思議ではない世界だが、流石に唐突すぎる。
「考えうるに、君への憎悪が閾値を超えたとか?」
藤堂先輩が推測を述べる。
「いくら、望めば叶う世界になってしまったといっても、それは流石に……」
「だよねぇ」
そんな力があるのはAAランク以上だってのは皆知っている常識である。
でも……もしかしたら、それだけではないのかもしれない。所謂一般常識で話されているようなものではない本当のことが…。
「今回の原因は、これだな。腹に異物がある。飲まされたか、自分で飲んだかわからんが、異常なフォースパワーを感じる」
女医が診断から断言した。
「どういうことですか?」
「話は後だ、先ずは吐かせよう」
云うなり、白衣のポケットからゴム手袋を取り出し手にはめる。
「押さえててくれ」
言われるまま二人して狼の身体を押さえる。
徐に狼の口を開け、手を突っ込んだ。
痙攣したように狼の身体が暴れる。二人しておさえていても凄い暴れっぷりだ。腕が痛むって、俺怪我してんだった。先に治療してもらえばよかったと今更ながらに後悔した。
「ちっ、えづくのに吐かないな」
女医は一端突っ込んでいた手を抜き、片隅にある冷蔵庫からペットボトルを取り出した。スポーツ飲料のようだ。
「ちょっと起こしてくれ。飲ませる」
二人して狼の胸部をえっちらおっちら支え座らせた格好に体勢を整えた。
「いくぞ、支えててくれ」
開いた口に、勢いよくペットボトルの口を突っ込んだ。喉元を押さえ飲ませるというよりも流し込んでいる。
シュールな光景だった。
1リットルのボトル半分くらいが無くなっていた。
「こんなところか。もう一度やるぞ。いいな」
二人して頷く。