18 十六夜
目が覚めたとき教室には誰もいなかった。
辺りは暗く薄っすらと月夜の光が射し込み、
空中の塵があたかも煌く粒子のソレに見えた。
それは幻想的にすら感じられるほど美しかった。
窓から月が見える。
それは、あの夢のように濁ったものでは無く
澄み切ったとても綺麗なものだった。
十六夜……か
起き上がろうとして身体の軋む痛みと共に
自分の置かれている状況を思い出す。
ガラ……
戸の開く音に反射的に顔を向けた。
「目、覚めた?」
声の主は一之瀬だった。
「……帰ったと思ってた」
「まさか、そんな状態の先生残して帰るはず無いよ」
成程、キチンと後始末もされ服も着せられていて
尚且つ俺の頭や腰にはコイツの制服が敷いてあった。
「ネクタイは苦しいかと思ってそこに外してる」
一之瀬は此方に背を向けた椅子に
両肘を付いて真正面に腰掛けた。
それは丁度、俺を見下ろす角度になっていた。
「一之……瀬」
「俺、謝らないよ」
目が慣れてくるにつれ、一之瀬がどんな表情を
しているのかよく分かる。
「そんな必要ない」
今回の事でどれだけお前を傷つけ
どんなにか俺の事を思っているのか
改めて思い知らされた。
「ホントは薄々気が付いてた、
誰かの代わりなんだろうなって。
でも、無意識に俺の思い込みだと
思おうとしていたのかもな」
一之瀬がポツリと呟いた
それはどこか独り言めいていて。
「やっぱり俺は本気で先生の事好きだ。
相手が男でも女でも今更誰にも渡したくない
勿論、九方って人にもね。
あの人先生の事が好きだよ」
「…………」
「俺じゃダメ?」
「一之瀬」
暫く俺の様子を伺うようにしていたが
少し俯き加減で言われた言葉に耳を疑った。
「俺、身代わりとしても役割果たせてなかった?」
「な……なに言って?」
「それでも、いいよ、俺。
例え誰かの代わりだとしても」
「!!!」
向けられた表情に言葉が詰まる。
そんなカオするな。
今にも泣き出しそうにしてるくせに何故笑う?
今まで見たこともない大人びて微笑む顔で
バカみたい固まった俺の唇にソレを掠めた。
それは劣情とは違う温かさ。
感情が伝わるのには充分な数秒の接吻。
今の今になって漸く自分の罪の重さに気が付いた。
コイツにこんな想いをさせていたのだと。
俺は……
一之瀬を一之瀬と認めるのが怖かった。
七嗣が死んだのを認めるのが怖くて
コイツの好意につけ込んでいた。
一度も一之瀬自身を見たことはなかった
……ただの一度も。
どんなに辛かっただろう。
自分を省みない人を思い続けるのが
どんなにキツイか俺は嫌というほど
味わってきたんじゃなかったか?
自分だけが辛いと思い上がっていた。
どうしてこんなにもコイツの痛みに
鈍感でいられたんだ?
「……俺はお前に、なんて酷い事を」
だが、それすら一之瀬は小さくかぶりを払う。
「先生も苦しそうに見えた」
この期に及んでさえまだそんな俺を甘やかす。
「オレを許すな」
「俺が同じ立場だったらきっと同じ事をしたと思う。
少なくとも俺は先生を責めないよ」
それでも、と前置きをして一之瀬は言った。
「一番になりたかった。
俺だけを見て欲しかった……愛してたんだ」
最後にゆっくり膝まづき、俺の手の甲にキスした後
もう一度俺を見た。
「でも俺じゃダメなんでしょ?」
その表情に胸が締め付けられた。
「…………ッ」
今の俺に何が言える?
返事をしない俺に一之瀬は僅かに微笑んで
立ち上がった。
教室を出て行くアイツを俺は追えなかった。
これ以上コイツを引き止めてはいけない
その資格は俺にはないんだ。
例え、
そこに、どんな気持ちがあったとしても。
「……い……のせ……」
追ってはいけない、これは俺の罪だ。
俺は長い時間頬を伝う感覚が
涙だと気が付かなかった。
程なくして2-Cの副担の先生が復帰し
俺は又このAA専属に戻った。
いつもの静かな教室、真面目な生徒達。
前と同じなんら変わりない
日常がそこにはあった。
一つの空席を除いて。
(また、か)
一之瀬はまたサボり始め、
滅多に授業にも出なくなった。
成績も目に見えて落ち始めている。
自分に原因があると分かってるが故に
手を出せないと思う反面、
教師という立場上指導しなければ
いけないという葛藤がつきまとう。
特クラスの主任が昨日、指導をしたと
報告を受けたが、今日は姿すら見ていない。
HR担当が今日は俺だと知っての事だろう。
……あれ以来、あからさまに避けられていた。




