12 悪夢
夢をみた。
嫌な夢。
何故だろうそうハッキリ断言できるのに
夢の内容が皆目思い出せない。
まさに最悪な気分だ。
その日は二条の通夜で、
夜伽するという七嗣に付き合い
俺も二条の家に泊まることになった。
数時間前までは棺に号泣する母親。
親戚の人達の静かなざわめきがあったが
それすら遠い昔に思えるほどに、
この時間ともなると屋敷の中は静まり返っていた。
おそらく今この広い屋敷で
起きているのは俺達だけだろう。
今夜はこの時期には珍しいくらいに
虫の声すら聞こえなかった。
”ボーン・ボーン”
暫くして静寂を掻き消すように
屋敷に似合った古めかしい柱時計が深夜を告げる。
(……そろそろ交代か)
「俺もう少し此処にいるからお前は先に休め」
俺が少し腰を浮かせると七嗣は
座ったまま俺にそう言う。
俺は”じゃ自分も”と言う筈が躊躇してしまった。
七嗣の背中が、雰囲気が、このまま二人にさせておいてくれと
いっているような気がしたからだ。
「そうだな、じゃ俺は寝る。
……お前も交代が来たらちゃんと休めよ」
「ああ」
そう答えると七嗣は再び蔡壇の方へと視線を戻した。
それからどれ位たったのだろうか、ふと目を覚まして
俺は隣に用意されてある布団をみた。
まだ薄暗く何処からか差し込むぼんやりと
した光を頼りに目を凝らすと案の定
七嗣の姿はそこに無かった。
おそらく寝た形跡すら無い様で。
俺はため息を低く漏らした。
トイレに行くついでに蔡壇のある部屋を
覗こうとして足を止める。
やはりというか予測どおり七嗣はまだそこにいた。
おそらくアイツは二条の両親が仮眠を取っている間中
二条の傍らに寄り添っていたんだろう。
目を凝らすと棺の窓を開け、
何か話しかけているようにも見えた。
それは、あの時の様にやはり表情は見えず、
微かにではあるが口元だけが笑っているように見えたのは
気のせいだろうか。
まるでそれはとても幸せそうにも見えて、オレは居たたまれず
視線を逸らし、その場を離れてしまった。
瞬間、俺は奇妙な感覚に襲われてた。
“あの時のように”?
何だこの感覚は。
――――デジャブ?
一気に眩暈を起こしたように意識がダイブする。
これだからこんなに気怠い日の電話を
取るのは嫌だったんだ。
出なきゃ良かった。
俺はケータイの向こうから聞こえる声に
心で悪態を付く。
油断した。
予感はあったのに。
窓の外に目を向けると昼間だというのに空は濁り。
鬱陶しい雨が朝から降り続いていた。
イライラする
お陰で、夢を思い出してしまったじゃないか。
(ここはどこだ?)
暗闇。
いや正確に言うと漆黒の闇ではない。
不思議なことに見上げると、そこには
曇がたちこめているのか何とも形容しがたい色の
月が一つ浮かんでいた。
しかしソレに照らすという行為は期待できず
ただあるというだけの存在でしかなかった。
暗がりで辺りを見回してると
ぼんやり人影があるのに気が付いた。
あれは……
その人物の上着が風にあおられて
はためいているのが微かに見える。
訝しく思い尚も、目を細めてみるとおぼろげに姿を
確認できる程度。
見覚えがある……あれは
「……七嗣?」
俺の声に気づいたようでその顔を上げた。
だが、確かに顔を上げた筈なのに
周りが暗い所為か、その顔は酷く曖昧で表情までは
読み取れない。
『…………』
「……何?」
どうしてだか相変わらず顔だけがはっきりしない。
なのに、口元だけが微かに見える。
いや正確に言うと感覚的にそう思えるのかもしれないが。
……笑ってるのか?
どこかで見た微笑。
胸がザラつく。
何だかとても嫌な感じだ。
『十朱……』
「何だ?何をしてる?こんなとこで」
俺は無意識に手を伸ばして
奴を捕まえようとしていた。
だけど七嗣は首をゆっくりと
横に振った。
『十朱、今までありがとう』
「なっ……」
唐突に言われた言葉に五感が弾かれた。
『も……行か……と……待っ……る……』
七嗣は誰かに呼ばれたかのように、首だけ後ろを振り向いたまま
なにか呟くが言葉が闇に溶けて微かにしか聞こえない。
焦燥感に駆られ胸の辺りがバクバクと音を立てる。
「聞こえない!……何言ってるんだ」
口がやけに渇く。
俺の問いかけは耳に届いていないのか、その返事は無く
それどころか俺に背を向けてゆっくり歩き始めた。
「……何処に行くってんだよ」
七嗣のその手にはフェンスらしきものが見える。
「そっちに……行くな……」
大声を出してるつもりが言葉が喉に絡んで上手く発せない。
慌てて追いかけようとするのにその意思は
足を動かす動力とは結び付かず、
まるで見えない力でその場に
押しとめられているかの様だった
もう一度見た時アイツは
既にフェンスの向こう側に立っていた。
『……さようなら』
「なっ……」
「よせーー!!
オレをオレを置いて行くな!!七嗣っっ!!」
一瞬、アイツの口が弧を描いたように見え
そして、その姿は闇へと消えていった。
闇はどこまでも深く、全てを飲み込む
やっと出た俺の絶叫さえも
その闇に溶け込んでしまうかのように。
フラッシュバックが俺を全身汗だくで目覚めさせた。
俺はベットから飛び起き、すぐさま七嗣に電話をかける。
ケータイ越しの声は穏やかで
“こんな朝早くにどうしたんだ?”
と少し驚いている感じだった。
俺は今日の通夜の時間の確認だと
苦し紛れの嘘で誤魔化し、
そして震える指先でどうにか電源を切ることに成功した。
ケータイを握り締めたまま、ベットに突っ伏して
ギュッと目を瞑る。
「よかった……夢で」
本当に夢で。
その時、どれだけ夢であった事に感謝していたか
お前は知らないのか?
フライングだ、こんなのって。
流石に用意周到だよな、わざわざ前もって
知らせてくるなんて。
実に最後までお前らしい。
オレはまんまと騙されたって訳か。
そうだよ俺は馬鹿だ。
だって考えてみればそうだよな。
二条の身体が未だこの世にあるのに
おいて行ける筈ないよな。
全部終わってからこうするつもりだったんだ?
オレに先に顛末見せといて
どういう了見だよ、お前。
夢と現実が無秩序に交錯している説明の付かない時間のズレ。
生きている思念がそうさせていたのか、
それは今を持っても分からないままだ。
”夢を見た”
今にして思えばそれが予兆だったのだ。
全てが終わったその深夜、
アイツは二条が生前入院していた病院で夢を再現してみせた。
現場検証や何やらで入れなかった屋上に
やっと足を踏み入れた時、
オレは漸く全てを理解した。
何故ならその光景が
ソ(夢)レと全く同じだったから。




