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1 プロローグ

 綿雲の色で染めたように真っ白な家の列を、奇麗に手入れされた緑色の街路樹が彩る。太陽は真南を通り過ぎて久しく、町全体に淡い日差しを落としている。眺めの良い、これまた真っ白なベンチに座って、首をひねって三十度ほど上を向いて眺めると、それは子供向けに優しくデフォルメされた、絵本の挿絵のようだ。若しくは、無言のうちに高貴さを主張する、油絵の絵画のようでもある。

 その景色のずっとずっと後ろに、海と陸地の切れ目が、小さな波音と一緒に凪いでいる。漁が済んだ時間帯なので、海に浮かぶものは何もなく、陸地との距離に比例して濃くなっていく青のグラデーションが、太陽の光を反射してきらきらと輝くだけだ。

 その海のずっと手前を、定規で引いたように真っ直ぐな人工河川が、澄んだ青色で町と浜辺を切り分けていた。



 三日月形をした絶海の孤島。島の頂点から頂点までで、約八十キロメートル。その島の、小さな海辺の町。そこに、少女は一人で住んでいる。

 嘗て、家族とこの島に移住したということは辛うじて覚えている。けれど、それ以上の記憶は霞がかかったように曖昧だ。

 この島は大陸と離れており、貿易や文化交流などはない。小型の船はあるものの、あくまで住民が食料となる魚を捕るためのもので、どこかへ行くことを目的としたものではなかった。そもそも、この島の住民は、海の向こうに誰かが住んでいることを知らないし、興味もないようだ。



 少女は暇を持て余したように、身体ごとで振り向いて、ベンチの後ろ側の家並を眺める。夕暮れの数歩手前の中途半端な時間。人の往来も疎らで、これと言って面白いことはない。けれど、手元の本に緩んだ意識を向けるよりかは、いくらかましだった。小さな両手で本を弄び、いたずらにページをめくりながら、彼女は眺める。

 泥汚れを拒絶したように真っ白な家並。これは、町を掃除する人が維持しているものだ。無駄に伸びた枝の一本も残らず、寸分狂わず形を整えられた街路樹。これは、樹を手入れする人が維持しているものだ。

 目を閉じても開いても変わらない平凡な景色に飽きたのか、彼女はベンチの構造に対して素直に向き直る。長い緑色の髪の毛が、動きに合わせてふわりと揺れた。少女は白いスカートを被った細い膝に本を置いて、うーんと伸びをする。眠気や気だるさやその他諸々を頭から振り払って、しぶしぶといった様子で本を開く。

 ぐぅ、と小さく腹が鳴る。少女は、周りに誰もいないので、その音を黙殺して本を読む。読むことをやめたら、空腹を余計に自覚しなくてはいけない。嫌々本を読むよりは退屈に任せて景色を眺めている方がいいが、空腹に苛まされてじりじりと時間を過ごすよりは、嫌々本を読む方がましだった。

 仕事を割り振られた大人達が食材を配るまでは、まだ早い。勝手に食べることが出来るようなものはなく、今何か食べようと思ったら食材を盗まなければいけない。それに、そんなことをするまでもなく、定められた時間になれば美味しい食材が配られる。

 彼女はじっと待つ。今は読書の時間なのだ。そう定められているのだ。


 この島では、町の人々にはそれぞれ仕事が割り振られている。農作業をする人、魚を捕る人、町を掃除する人、服を縫う人、必要な物を運ぶ人。誰もが、定められた仕事を定められたままにこなす。人々は不満を言わない。言う必要がない。定められた仕事は町の人々のためにあるから、それをこなせば感謝される。

 少女はまだ幼いから、大人達がしているような仕事は任せられていない。代わりに、彼女は勉強をする。読み書きを覚え、本を読み、計算を覚え、大人の仕事を見る。

 朝は決まった時間に起き、配られた食材で朝食を作り、食べる。日が昇れば、大人達はそれぞれの仕事に取り組み、子供達は勉強に勤しむ。太陽が真南に昇りきると、いっせいに昼食を食べ、しばらく休んでからまた各々の作業に打ち込む。労働時間が終わると、絵を描いた歌を歌ったり本を読んだりして時間を過ごす。そして、夕食。入浴を済ませてから、定められた時間に眠りにつく。

 無駄のない決まりごと。誰もが皆のために過ごすので、誰もが皆に必要とされている。

 だから、この島では、誰もが皆幸せだ。


 そうして少女は本を読む。傍らには、赤い熊の縫い包み。



…………………………………………………



「…ここは、理想郷なんかじゃない」


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