104 チュートリアル 1
解説内容「レイスはどうして天敵なのか?」
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ある日の昼休み。ミコトが在籍するクラスの教室。
昼休みになると同時に教室の扉が開いた。開けたのは外から来た修司。彼は脇に担いだモノをポイッと教室の中に投げ捨てた。
べちゃ。
床に放り出されて這い蹲るのは頭に大きなたんこぶをつけた、ショートカットの女子生徒。
「ミコちゃん!?」
「うっ、うぅ……」
どよめく生徒たちの中でミコトに慌てて駆け寄るのは、ミコトの友達である姫島沙柚さん。頬のげっそりと扱けたミコトの顔を見て顔を青褪める。
「黒田先輩! 一体ミコちゃんに何が」
「ただの知恵熱だ」
「はい?」
「あ、あたまが……」
「ミコちゃん?」
破裂するぅ。
唸るミコトに呆れる修司。姫島さんは訳がわからない。
ミコトは今、修司以下第1小隊の面々による特別集中訓練を受けているのだ。
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第1章 チュートリアル
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月陽高校は地上都市の未来を担う学生たちの学舎、その1つだ。ここで生徒たちは一般教養の他、地上で生きる為の知識と技術を学ぶことになる。
在校生は300~400人程。数が曖昧なのは防衛科の生徒の損耗による欠員と地下都市からの『転校生』の増員で流動的に変化する為である。
校風は生徒の自主性を重んじている。と言えば聞こえが良いが、教師をはじめとする職員事務員の数が絶対的に不足しているのが現状。今日では学校を維持する為、清掃、食事はもちろん厚生(流石に医療は限度がある)、自警(学内に限らず近隣のパトロールも務める)、渉外(地上地下各都市の団体、自衛軍との意見交換と調整)、校内の設備管理に至るまで生徒会長を中心とした生徒(ここに卒業生を含む)が率先して学校の運営に関わっている。授業形式も半分が自習で先輩から後輩へ指導というかたちが多い。
これらのことがあって生徒たちは強固なコミュニティを形成している。最高責任者こそ校長や理事長、つまり大人ではあるが月陽高校は地上都市における少年少女たちの拠点、城であった。
当校は3つの学部がある。1つは一般生徒と呼べる『生産科』。人が生きて行く為に必要な食糧やエネルギーの生産、管理を専門とする生徒たちのことで緑のブレザーが特徴。
生産科の生徒は合成食糧プラントの管理の他、畑や養殖場で大豆や家畜を育て今では貴重な天然の食糧の生産にも関わっている。農業科と言っても良い。また、フォトンを使った発電施設で生産するエネルギーの管理も生産科が担っている。
2つ目は技術科。制服は生産科と同型の燈のブレザー。こちらはフォトンマテリアルを使う資材開発と地上都市の開発に携わるいわゆる工業科。他にも《ガード》の装備関係の開発も自衛軍とは別個で担当しており、防衛科とは密接な関係にある。
エレメンタル及びスピリットのカスタマイズ、または戦闘データ分析も彼らの専門だ。防衛科でなくとも《ガード》に所属する『黒服』の生徒も僅かながら存在する。
最後に防衛科。地上都市を守る自衛軍、その自衛官を養成する。防衛科の生徒はいわば訓練生である。レイスの誕生により軍の主力がスピリットに移行したことで、一昔前の軍学校の生徒と比べ随分と様変わりしている。
防衛科の生徒は3年間の訓練課程を経て、試験に合格することで自衛軍に配属される。しかし。戦況は3年も悠長に自衛官を育てることを許さなかった。度重なる戦闘で損耗の激しい自衛軍は、地上都市の防衛と治安維持に訓練生を戦場に送り出すことを余儀なくされていた。現在の防衛科は自衛軍の予備兵力として学生義勇部隊の運営と実際に『スピリット』を扱った訓練生の育成を行っている。
制服は男子は軍属を思わせる白の詰襟。女子は他の2学部の無個性なデザインとは違うスリムなブレザー。ただし《ガード》の正規隊員は制服の色が黒となる。
『黒服』と呼ばれる《ガード》の隊員は防衛科の卒業生、あるいはエリートである。
彼らは個人でエレメンタル、あるいはスピリットを所持することが許可されていて自衛軍の要請に応じて地上都市を守る任務に就く。一般生徒や民間人からはヒーローのように扱われている。
ただしこれは一種のプロパガンダであり自衛軍の下働きといった扱いを受けることも少なくはない。『黒服』でも自衛軍でも、本当にヒーローと呼ばれるような実力者は《黒騎士》のような僅かな者だけである。
ミコトは色々とあってこの『黒服』となる為、《ガード》の編入試験を受けることとなるのだが。
その日の午後。空き教室にて。
姫島さんの甲斐甲斐しい介抱のおかげで復活したミコト。彼女は教室のど真ん中に座りノートを広げペンを握り締めている。
ノートの中身は真っ白。
「ううっ。勉強なのに午前中は何も書けなかった」
「無理してノートに書く必要はないよ。あれだけの内容を書き留めるのは大変でしょ?」
しょんぼりしているミコトに優しく声をかけるのは、見るからに人のよさそうな『黒服』の少年。ミコトの先輩で今日の特別訓練官だ。
「森重さん」
「大丈夫。午前中に話した内容は試験に出るのは2、3問といったところだから」
「じゃあ、なんでやるんですか」
「いつか役に立つと思うよ」
試験にすぐ役立つとは答えなかった。
彼の名は森重貴史。修司が率いる第1小隊の隊員でスピリット《鷲雨》を駆る数少ない《ライダー》の1人でもある。
中肉中背。性格は基本的に善人で普通の少年。しかし柔和な雰囲気とは裏腹に芯が強く、修司に真っ向から意見することもできる稀有な人物である。第1小隊の良心でもあるミコトにとっても彼は優しい、とてもありがたい先輩だ。
森重がミコトの特訓で担当するのは座学。筆記試験対策だった。
「レイス誕生以前のフォトンの運用、あとフォトンマテリアルの特性に関してはおさらいしておくといいよ。プリントがあるからよかったらあとで目を通して」
「うえぇ」
ミコトはそれを見て思わず呻き声をあげる。森重から手渡されるのは百ページを超える量のプリント。グラフや写真もあるが何より文字がぎっしりで頭に詰め込んだらパンクしそうだ。
プリントは森重の自作でわざわざ用意したものだ。昔の論文から引用した理解の難しい、けれど知っていればどこかで役立つかもしれないという際どい内容が混ざっている。すべて後輩思いな彼の配慮だった。
森重の短所はその生真面目すぎるところか。ミコトも流石に彼の善意には修司相手みたいに文句は言えない。
「そういえば森重さん。シュウジさんは?」
「午後1番にレイスの襲撃があったんだ。《ガード》にも応援の要請があって黒田君は火澄さんと一緒に出撃してる」
「ええっ!? じゃあ森重さんは」
「僕は待機だよ。だから安心して。君の勉強はちゃんと面倒見るから」
「そんな!」
自分の為に待機しているのかと思い、ミコトは非難するように声を荒げる。それから申し訳なくて俯いてしまった。
1人でも多くのエレメンタルの使い手がいればそれだけ多くの人が助かるというのに。
そんなミコトに森重は安心するように笑みを浮かべる。
「襲撃といってもゴブリン200体相手の小競り合いだからね。僕が待機なのは『偵察と運搬』に特化した僕の《鷲雨》が乱戦に向いてないからだよ。レベルもDくらいだし全力出撃するほどでもない」
「200!? 大丈夫なんですか」
「大丈夫。他の小隊もついてるし自衛軍だっているんだから」
ミコトは先日、ソルディアナでゴブリンを2体倒すのが精一杯だった。それを考えるとゴブリン200体はとんでもない数で森重の「大丈夫」がどこか信じることができなかった。
森重は気にせず講義用の資料(これも自作だ)を取り出した。
「そろそろはじめようか。真崎さん気持ちを切り替えて。黒田君が監視していないからってまた居眠りしたら駄目だよ。今度は僕がげんこつするからね」
「うっ。わかりました」
こうして午後の座学がはじまった。
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人類の天敵レイス。その1番の驚異とは現実世界において『ゲームシステムに守られている』というものである。これに気付くのが遅かったために人類は多大な犠牲を払ってしまった。
レイスは既存の兵器が通じない。あらゆる物理攻撃が『命中率0%』扱いですり抜けてしまう。
それは戦術核でも同じ事だった。かつて大陸で都市1つ儀性にして大小合わせ数万ものレイスをおびき寄せ、核ミサイルを使うという決死の殲滅作戦が実施されたのだがその戦果はゼロ。陽動に国連軍の大部隊が動員されたにも関わらず地上を汚染して終わりという悲惨な結末を迎えた。
核さえも通じないことで次に着目したのは、レイスがフォトンマテリアルの体を持つこと。同じフォトンエネルギーならばどうかというわけだ。
人類に未来をもたらしたフォトンは平和目的の為に使う。
ここで初めて世界各国が禁じていたフォトンの兵器運用が計画、実施されたのだ。その第1号として誕生したのが、大型の『フォトンビーム・キャノン』を搭載した高火力重装甲の対レイス駆逐戦車『グランツ・ティーガー』。これが所謂初代《虎砲》である。世界初のフォトン兵器であり、最後のフォトン兵器であった。
結果から言えばレイスにフォトン兵器さえも通じなかったのだ。フォトンビームはゴブリン1匹焼き払うことなくすり抜けてしまった。
同時期に開発されたフォトンマテリアルを使った実体弾や盾などの装備も役に立たず、その後何度か対抗策を講じるもののレイスの襲撃に有効な手段を人類は打つことができなかった。当時の軍の兵士たちにできることといえば、民間人の避難誘導に体と命を張って盾になることだけだったという。
レイスに対する情報があまりにも少なかった。多くの犠牲を払ってわかったことが『フォトンマテリアルのない場所ではレイスは活動できない』ということだけだ。そんな場所今の地上にはまず存在しない。
ゲームのモンスターを真似た未知の侵略者。人類はただ生き残るため、次第に地上をレイスに明け渡して地下に移り住むことを考えるようになった。
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「こうなるとレイスが現実世界に実体化した怪物ではなく、現実世界に『実現したゲーム』の怪物だったと僕らが気付くことができたのは奇跡だったんだよ」
「?」
「つまりね、レイスは作られた生き物やロボットじゃない。『ゲームそのもの』なんだ。レイスは彼らの基となったゲームシステム、あるいはそのルールに則って人を殺す。あくまでゲームの一環としての行為でね」
「そんな」
「対して人類がこれまでレイス相手にやってきたことはミサイルだったりビームだったり。ゲームじゃなくて人相手にするような戦争、殺し合いだったんだ。ここに僕らとレイスの間で食い違いが生じる」
「……?」
「真崎さん。『今の僕らの常識』で考えてみて。レイスがエレメンタルやスピリットでしか倒せないのはどうして?」
ミコトはよくわからず、なんとなくで答えた。
「ディアナやジオウの攻撃はレイスに当たるから?」
「そうだね。例えば黒田君がゴブリンをパンチしてもゴブリンの体をすり抜けてしまう。だけど黒田君のエレメンタル、ジオウのパンチならゴブリンを殴り飛ばすことだってできる。じゃあ次なんだけど真崎さんはサッカーって知ってる? 野球は?」
ミコトは「知っている」と頷いた。
彼女はついひと月前まで地下都市暮らしの『おのぼりさん』だったので、広い場所で遊ぶ球技といったものをあまりよく知らない。その2つの球技は割と有名で地上に来て初めて覚えた。
ミコトは身振り手振り加えて森重に答える。野球のジェスチャーはバットを振っているのかゴルフクラブを振っているのかよくわからないけど。
「こう……ボールを蹴ってゴールに入れるのがサッカーで、投げられたボールをバットで打つのが野球ですよね」
「概ねは。ここで問題。サッカーのボールを手で投げてゴールに入れたら得点になるのかな?」
「森重さん。いくら私がまだ地上に疎くてもそれくらいわかりますよぉ」
ミコトは頬を膨らませちょぴり怒って答える。
「得点になりません。反則です反則。ルール違反です」
「そう。ルール違反だ。そして黒田君がゴブリンを殴るのも、レイス相手に核兵器をぶつけるのだってルール違反だったんだ。レイスにとってはね」
「……へ? シュウジさん?」
「これまでの人類の抵抗はゲーム上の『ルール違反』でレイスは『攻撃行為と認識してなかった』。だから拳銃でもバズーカでも、人類はゴブリンのたった1しかないLPを削り切ることさえできなかったんだ」
「……」
実に反則くさい話だ。
極端な話レイスが『人を殺すことができる』とルールが決まっているに対して、人は『レイスを殺すことができる』と決まっていないからゴブリン1匹も殺せないというのだ。
フォトンによって実現化し、現実世界の理を壊したゲームシステムによって。
「……ずるいですね。それ」
「僕もそう思うよ。人類は存亡をかけて訳がわからないままに彼らの土俵で戦わなければならなかった。僕らはレイスと戦う際のルールを知らなかったから『反則負け』で次々と殺されていった。だからといってレイスが『反則勝ち』というわけではなかったんだけどね」
「どういうことです?」
「レイスもレイスの基となるゲームも、作ったのは人間だ。僕らはそのことを失念していた」
レイスは人の作ったルールに則って人を殺している。ゲームのモンスターが実体化して人を襲うという非現実がその事実を隠してしまっていた。
レイスはあくまでゲームだった。プレイヤーのエレメンタルに倒されるエネミー。そんな設定の。
「レイスに対抗できるものは実は最初からあったって話だよ。だけど《フォトンハザード》の原因となった《EWG》に関するデータはすべて凍結。封印してしまっていたせいでエレメンタルの研究は後回しになってしまっていた。レイスとほぼ同質データを持つエレメンタルをもっと早く調べてさえいれば現在はまた違う世界になっていたのかもしれない」
「森重さん……」
「エレメンタルとレイス。この2つの基となる《EWG》というゲームも最初は人を殺せるような『機能』はなかったんだと思う。VR2(仮想現実化)系のゲームに未知のエネルギーであるフォトンを使ったことできっと何か致命的なバグがあったんだ」
「……」
「安直な発想だけど、オリジナルのゲームシステムに介入してシステムを改善できればレイスだって無力化できると僕は思うんだけど」
「駄目なんですか?」
「残念だけどね。レイスのマスターデータに唯一介入できたとされるオリジナルの《EWG》は《フォトンハザード》の際に消失しているんだ。僕達のエレメンタルやスピリットだって凍結されていたバックアップデータを基に復元した『コピーゲーム』に過ぎない。解析されていないデータも多くて僕らは今も手探りで『これ』を扱っている」
森重は教壇の上に置いた自分のガントレット・ギアをミコトに見せてそう言った。
同一のゲームシステムで作られレイスに唯一対抗できるPC、エレメンタル。
しかしそれは模倣品であって操作マニュアルも穴だらけ。エレメンタルに秘められた性能と能力を完全に引き出すにはデータが足りない。
「コピーである僕らの《EWG》はレイスとエレメンタルの戦闘、運用データを集めることで何度もアップデートを繰り返し性能を向上させている。いつかこれがオリジナルに匹敵するものとなってシステムが完成すれば僕らは……」
「あれ? 森重さんそのガントレット、かたちが違いません? なんだかスリム」
「……新型だよ。新機能もいくつか追加して既存のものと比べると300グラムくらい軽いね。こうやって僕らはソフトとハード両方を少しずつ改善している」
「へぇ。いいなー。あれ私には重いんですよ」
「そうだね。僕でもそうだから女の子にはちょっと……時間も丁度いいから休憩にしよう。後半はエレメンタルの特性に関して話をするよ。実戦に直接関わるから試験の問題はここから8割出るね」
「え? じゃあさっきまでの話は?」
「……。試験に出て1、2問かな?」
「えー!」
ミコトの不満の声に森重は申し訳なく「脱線してごめん」と謝った。
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