新たなる登場人物
一通りの説明を終えた桃園は「塩を贈るのもここまでよ」と言い、俺の部屋から立ち去っていった。
……彼女はあのまま学校に登校するのだろうか。俺はとてもじゃないがそんな気分にはなれない。ベッドに寝ころび、ダラダラと時間を潰す。
たった一日で甚振られて殺されそうになって、勝手にアルカナゲームなんて殺し合いに巻き込まれて、挙句の果てにはとっとと負けようにも俺だけが途中退場ができないクソ能力を御提供だ? 本当にいい加減にしてくれって感じだ。なんでせっかくの親切が地獄への片道切符になってるんだっての。
ああ、鬱屈とする。なんだか本当に腹が立ってきた。俺のスマートフォンが壊れたのも、殺されるかもしれない未来が怖いのも全部あのワインレッドのスマートフォンのせいだ。こうなったら適当に電話しまくって料金を跳ね上げてやろうか。さっき試して無理だったわクソ。
イラつきながら、あの爺さんへの当てつけのように少しだけアルカナフォンを触る。しかし、どれだけ調べてもアルカナフォンには電話機能などは全くついていないようだった。あくまで桃園の炎のような異能を発揮するためのデバイスでしかないのだろう。
そういえば、俺のスマートフォンはぐちゃぐちゃでとてもじゃないがデータを個人でサルベージできる状態じゃなかった。
学校もサボってるし、せっかくだし店舗に行って買い替えよう。気分転換にもなる。
思い立ったが吉日、ベッドから起き上がって靴下を履く。昨日の騒動でズタズタになってしまっているお気に入りのバッシュを玄関脇に避け、下駄箱の中から使い古したスニーカーを取り出す。
高かったバッシュも買い直しか、限定品だったのにな。なんて思いつつ玄関のドアを押し開ける。
すると、突如ガンッとなにかにぶつかった音がドアから鳴り、男性の声で「おっと」という言葉が聞こえた。どうやら通りがかっている人にドアがぶつかってしまったらしい。俺は慌てて「すみません」と謝り、ドアを内側に引き戻そうとした。
だが、そのドアの縁に五つの指がかけられて動きが止められてしまった。
すわヤバい人にぶつけてしまったのかと戦々恐々とする。しかし、ゆっくりとドアと枠の隙間から見えたのは、クタクタの背広を着た長身の男性だった。
「こんにちは、君が出雲宗一君かな?」
「……そうですけど」
どこかぎこちない笑顔の男性が何故か俺の名前を呼ぶ。
見知らぬ男からの突然の名前呼びに俺の警戒心がビンビンに反応する。少なくとも俺はこの男性を全く知らない。誰だコイツは。
「お兄さんさ、こういうもんなんだけど」
そういって、ドアを通路側へ開いた男性は二つ折りの手帳を器用に中指だけで開いて俺に見せた。
それはドラマなどで見知った警察官の三種の神器の一つである警察手帳。思わず、俺はゴクリと生唾を飲んだ。
「警察の方ですか」
裏返りそうになる声を必死に抑え、あくまで平常心を保って応対する。
そんな俺の胸の内を知ってか知らずか、刑事であろう男性は物腰柔らかく言葉を続ける。
「そうそう、俺は刑事さんなのさ。だから、ちょっと訊きたいんだけどね」
彼は笑顔のまま、スッと目だけを細める。
「君、昨日大橋のところにある交番に行かなかった?」
刑事さんの問いで、俺の心臓がドキリと跳ねた。冷や汗が背中を伝う。わざわざ現場から遠く離れた俺の家までやってきている時点で、彼は疑問ではなく確信をもっているに違いない。
果たしてどうやってこの場を切り抜けたものかと一瞬だけ悩み、俺はストレートに訊き返す選択をした。
「どうして、そう思うんです?」
「それが簡単な話なんだよね」
刑事さんの視線が玄関にある一足の靴に向かう。俺が例の一件で履いていたバッシュだ。
「現場に残った下足痕が限定品のバッシュと一致してね。照会した結果、その持ち主が近くにいるってわかったもんだからさ」
それにしたって、交番が倒壊する事件が起こったのは日付が変わる前である。どう考えたって捜査が早すぎる。あまりにも不自然な状況に俺の警戒は頂点に達しようとしている。
しかし、俺が訝し気な表情で刑事さんをジッと見つめていると、彼は困った笑顔で一つの提案をした。
「ちょっと、お兄さんに付き合ってくれるかい? コーヒー奢るよ」
猜疑心を抱いている様子に気づいたであろう彼は、俺をまず家の外に連れ出す選択をしたようだった。
ただの学生である俺がバッジを持った公権力に逆らえるわけもなく、了承の意を伝えてから改めて準備をし直すことにした。
どうやら、スマートフォンを買い直しへいくのは先になりそうだった。
◇
「いやぁ、お出かけしそうなところを付き合ってもらっちゃって悪いね」
「いえ……」
半ば強制だっただろうがと言ってやりたい気持ちを抑える。
俺たちは詳しい話をするため、場所を家の近くにある個人経営の喫茶店に移した。そして、席へ着くなり刑事さんは一杯五〇〇円のブレンドコーヒーを二人分注文する。オーナーさんがサイフォンを使い、カウンターで丁寧にコーヒーを淹れてくれるのを横目で観察しながら、俺は刑事さんの出方を待つことにした。
それにしても、この刑事さんは常にニコニコとしており、どうにも顔色が探りにくい。なんともやりにくい相手だ。
「コーヒーが来るまでの間に少し訊きたいんだけどね」
「はい、答えられることでしたらなんでも」
「君、あの交番で殺されかけなかった?」
例えば、カブトムシとクワガタを合体させたみたいな鎧をまとった不審者に。
刑事さんの発言を聞いた瞬間、俺は反射的に勢いよく椅子を後ろに吹き飛ばしながら立ち上がってしまった。鏡を見なくてもわかる、俺の顔色は今、真っ青だ。
「どうかされましたか?」
「いえ、申し訳ない。少しばかり彼を驚かせてしまったようでして」
目の前にいる刑事さんは俺の行動に顔色一つ変えず、心配して近寄ってきたオーナーさんに対して冷静な態度で言葉を返した。
「左様でしたか」
「どうもすみませんね。ほら、宗一君も座り直しなよ」
ニッコリと笑う彼の表情が酷く恐ろしい。
俺は無言のままオーナーさんに頭を下げ、刑事さんの対面に座り直す。オーナーさんが離れて行ったのを確認すると、刑事さんは再び口を開く。
「驚かせちゃったね、ごめんごめん。突然こんなことを訊いて信用できないとは思うけど、今この場で君を害するつもりは一切ない。だから話だけ聞いてもらえるかな」
仕切り直した彼の口から手始めに聞かされたのは謝罪だった。
俺は彼の言葉に、大きく深呼吸をしてからこくりと頷く。すると、彼はホッとしたように右腕をテーブルにのせ、ズイッと身を乗り出した。
「これは秘匿事項なんだけど、被害者であろう君には先に伝えておくよ。」
そう言って刑事さんは四つ折りにしたB四サイズの芽木戸市内地図をテーブルの上に広げた。サイズがサイズだけに文字が細かいが、大まかなランドマーク程度ならわかる地図である。その地図には赤丸で七か所の場所がチェックされていた。
「君が出会ったであろう人間は、芽木戸の警察内部でビートルと呼ばれる異常犯罪者だ。
被害者はこの一月で七人。単独で行動している人間を無理矢理引き裂いたようにして殺害している」
この丸印が犯行現場だよと、彼はため息交じりに言った。
ジッとその地図を眺め、場所を確認する。犯行現場は芽木戸の北にある寺や新市街でも外れにある住宅など、一貫性を感じさせるものではなかった。強いて言えば、深夜には人がいなさそうな場所であるぐらいか。
俺はお待たせしましたとダンディな声色でマスターが提供してくれたホットコーヒーをお礼を言って受け取り、小さなポットに詰められた角砂糖を二つ入れてからティースプーンでゆらゆらと混ぜながら刑事さんに訊く。
「どうして、俺にそんな話を? 聞いた限りでは外部に漏らしてはいけない情報なのではないですか」
「うん、本当だったら上司にこっぴどく雷を落とされる行為だ。
しかし、君が昨夜ビートルと接触して生き残ったのなら話は別だよ。奴に関しての情報が得られるからね」
白い陶器製の小さなミルクピッチャーの中身を注ぎ入れた刑事さんが、俺の質問に答えつつ、俺と同じような動きでコーヒーを揺り混ぜる。どうやら砂糖は入れないらしい。
お互いに飲みたいコーヒーが完成したので、どちらともなく同タイミングで一口コーヒーを味わう。初めての店だが、とても美味しい。酸味も強くなく、俺の好きなブレンドの味だった。
美味しいコーヒーで一息つき、俺は真っすぐと刑事さんを見つめた。彼も同じように見つめ返してくる。
そして、ゆっくりと懇願するようなニュアンスを含んだ声で彼は俺に頼みを告げる。
「宗一君、君がビートルに遭遇したのなら教えて欲しい。奴の情報ならなんでもいいんだ」
そういって目の前の刑事さんは、ただの高校生である俺に深く頭を下げる。大の大人がここまで真摯にお願いをしてくるのだから、ちょっとくらいは協力してもいいかなと思った。
「そうですね……身長は俺と目線が近かったので一八〇センチ前後、声はしゃがれおり、年齢を感じさせる特徴はありませんでした。
加えて、言動の端々からは弱者に対して一方的な暴力を振るうことへの快感を滲ませており、積極的に危機を楽しむような性格はしていないと思います。
個人の総評としては、弱い者いじめだけをして憂さを晴らすクズ。印象としてはそんな感じですかね」
俺は顎に手を当て、つらつらと昨日の記憶を掘り起こす。そして、被害者フィルターを通したビートルの評価を彼に伝えた。
淀みなくしゃべる俺の姿にあっけを取られたのか、刑事さんは口を半開きでポカンとしている。うん、面白い顔だ。
「あー……よく、覚えていたね?」
「やられた恨みは数倍にして返す主義なので」
刑事さんにそう言い切り、ズズズとコーヒーを啜る。
いつの間にか、刑事さんの表情は苦笑へと変わっていた。
「そうかい、ありがとう。参考になったよ」
「どういたしまして。早く奴を逮捕していただけると助かります」
俺の言葉に刑事さんは困った顔で頭を掻いた。それができれば苦労しないと言いたげな風に口もへの字に曲がっている。
それもそうか。死人を七人も出してるのに高校生に手がかりを訊かなければいけないほどに情報がないんだもんな。アルカナフォンのことを知らなければ、どうやって重機も使わずにコンクリの壁をメッタメタに打ち崩したかさえ見当がつかないだろう。
「全力を尽くすよ。ところで、君はどうやってビートルから逃げ切ったんだい?」
「不意に飛んできた炎が奴を包み込んで隙を作ってくれたので、それに乗じて」
正直に起こったことをそのまま伝える。嘘は何ひとつ混じっていない、純度一〇〇パーセントの真実だ。炎を放って庇ってくれた人物が後で判明しただけだからな。
暗闇だったことも運が良かったですと付け加えて逃げ切れた理由の信憑性をあげておく。まぁ、突然炎が飛んできたなどという与太話は信じてはもらえないだろうが……
「なるほど、突火に助けられたのか」
「突火? なんですか、それは」
またしても耳馴染みのない言葉を刑事さんが呟いた。訊き返せば、彼はなんともいえない表情でコッソリと教えてくれる。
「深夜帯限定でわかりやすい犯罪行為を行っている者が、突如として炎に包まれるという事件……いや、本部では事故として扱っているが、それがビートルの出現と同時期に発生している。
頻度でいえば突火のほうが上だけど、ビートルとは違って命にかかわるような被害は出ていない不思議な現象ってところかな」
なるほど。桃園がアルカナフォンの持ち主を炙りだすために夜中に暴れ回っていたと見える。アイツも無茶をするなぁ……
しかし、ビートルは無差別のようだが、桃園は軽犯罪込みの犯罪者を狙っているのか。大枠で考えればどちらも危ない奴だ。やはり、関わり合いになりたくない。
「それにしても、突火とビートルの両方に一日で出会ったのか……君はなかなかについてないね」
カップを傾け、コーヒーを飲み終えた刑事さんが言う。
「俺もそう思いますよ」
刑事さんに初めて見せる引きつった笑みで、俺は吐き捨てるように言った。




