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アルカナゲーム  作者: 菅原暖簾屋


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3/16

自宅への来訪者

 時刻はとうに零時を過ぎていた。

 今持てる全力で昆虫野郎を振り切って逃げた俺は、そのまま帰宅するのも怖かったので交番と家の間にある住宅街の空き地の影に身を潜めていた。

 先ほどの騒動で取り落としてしまったままになってしまった自らのスマートフォンは手元になく、しかたなく代わりに使わせてもらっているお爺さんのスマートフォンで時刻を定期的に何度も確認する。お爺さんが契約していないのか、スマートフォンから一一〇番はできなかったので本当に時刻確認しか使えなかったのが残念だった。

 まぁ、カブトムシみたいな鎧を纏った大男が警官を殺し、俺も半殺しにされたので救助してくださいなんて言われても警察側も困るだろうがな。去り際に視界に入ったとき、あの虫野郎から着火して交番が燃えていたのでそれで騒ぎになってくれていると助かるのだが……。

 とにかく、今は夜が明けるまでおとなしくしておこう。昆虫男から身体へのダメージはアイツへのトラウマを抱かせるのには容易だった。時刻確認のときにわずかに漏れる光さえ恐ろしく、ビクビクとしながらジッと人間に踏まれないようにちょろちょろと地面を這いまわる蟻の気持ちでそっと息を殺し続ける。


 そのまま、祈りつづけながら緊張を保っていたら心のほうが持たなくなったらしく、気がつけばその場で眠っていた。いや、おそらくは恐怖のあまり気絶していたのではないかと推測できる。それほどまでに先程の状況は俺にとてつもないストレスを与えたのだ。


「……三時か」


 裂け目と出血で襤褸屑となったTシャツでワインレッドのスマートフォンを包み込み、なるべく光が漏れないようにしてから時刻を確認する。

 午前三時、間違いなく警察官が居たら補導される時間だ。その肝心の警官は先程容易く殺されていたのだが。

 ハハハッと不謹慎な自分のジョークに心の中で笑う。ブラックな軽口が叩ける程度には落ち着いてきたらしい。俺は小さくしていた身体をゆっくりと動かし、グッと背伸びをして多分に湿気を含んだ空気を口から取り込む。周りからほとんど音もしないし、流石にこれだけ時間が経過すればもう大丈夫だろうと判断した。

 そして、今の状況について冷静に考える。俺が取れる選択肢は二つ、警察への通報かすべてを忘れて帰宅の二択である。


 通報を選んだ際のメリットは間違いなく警察に保護してもらえるであろうこと。デメリットはあの昆虫野郎に拳銃を持った程度の警察が勝てるとは思えないこと。あの野郎は交番の壁をカッターで紙を裂くようにいとも簡単に破壊していた。あの様子では奴の纏っていた外殻の強度はおそらく銃弾程度では貫通できないだろう。警察官の持つ拳銃では一つしかない命を預けるには心もとない装備だ。

 しかし、対案である全てを忘れて帰宅という手段は、崩れかけた交番に置き去りにしてしまったスマートフォンのせいで取ることができない。ロックをかけているとはいえ、俺のスマートフォンのロックは四桁の番号打ち込み式だ。手当たり次第にやれば総当たりで突破されてしまう。


 俺はどうしたものかと悩み、悩み、悩み……結論が出ないので一度家に帰って眠ることにした。どうしたって睡眠不足は判断を鈍らせてしまうのだ。





 なるべく灯りのないほうへ身を移動しつつ、コソコソと自宅への道を時間をかけながら戻る。服はボロボロ、全身も擦り傷と切り傷まみれ。通行人がいれば間違いなく駆け寄ってきて心配されるであろう身なりだ。俺は昆虫野郎だけでなく、すれ違う通行人に対しても影のように身を隠して行動せざるをえない。万が一巻き込んでしまえば俺は一生後悔するからだ。


 そのまま周囲を警戒しつつ、新市街の新興住宅地を抜けると見慣れたバス停に到着する。ここまで来てしまえば自宅までは五分ほど、安心感からか疲労が一気にどっと身体を襲う。

 ……そして、不意に膝から力抜けて立てなくなった。おそらくアドレナリンが切れたのであろうか、隈なく全身に激痛が走る。俺は蹲りたくなる気持ちを抑え、バス停にある鄙びたクッションの椅子に腰を下ろした。


「ぐっ……いったいなぁ……」


 うめき声が漏れた。傷口のそれぞれが火傷のような熱を持っている。死にはしないだろうが、痛みでまったく動けない。

 弱った。ここまで来て身体が動かなくなるとは思わなかった。頭も重くなってきた。意識が薄れていく――――


『対象者が昏睡に陥ったためアルカナフォンの強制起動を開始。

 対象者:出雲宗一。対象アルカナ【愚者】。非戦闘状態確認。急速回復を実行』


 ――――頭の中に、透明感のある声が響く。そして、なんだか暖かい膜に包まれたかのような安心感が全身を覆う。ああ、気持ちがいい。


 ……不意にそう快感を感じて目が覚めた。俺の身体を襲っていた倦怠感はさっぱりと消え去っており、手のひらなどにあった切り傷がさっぱりと消え去っている。

 俺には事態がさっぱり呑み込めなかったが、そのような不思議体験は二の次だ。動くようになった身体を立ち上がらせ、俺は朝焼けが見え始めている空を眺めつつ家路を急いだ。





 帰宅した俺はボロ切れになった服を脱ぎ捨て、あっつあつのシャワーを浴びることにした。俺は全身の傷が癒えているおかげか、先程までの地獄は夢だったのではないかと思い始めてさえいた。

 流れ出る温水で身体の汚れを落とし、パンイチでベッドへ横になるといとも簡単に睡魔が俺を襲ってくる。昆虫野郎ではなく、睡魔君ならいくらでも襲ってきてくれて構わない。ウトウトとしながら俺はまどろみに身を任せる――


 そこで、ピンポーンというインターホンの音が俺を驚かせた。


 一瞬にして俺の心臓が早鐘のように脈打つ。大丈夫だ、部屋の電気は消している。居留守を使ってもバレやしない。そう、俺はここにいないのだ。

 バクバクと高鳴る心音を無意識に手で押さえつつ、玄関ドアを挟んだ向こう側の人物を睨む。すると、もう一度インターホンが鳴った。


「ねぇ、いるんでしょう?」


 女の声だった。甲高い、成長途中の子供じみた声質。間違いなく先程の昆虫野郎のものではない。

 俺はホッと一息ついてベッドから立ち上がる。あいつじゃないなら応対しても大丈夫だろう。こんな時間に来るなんて非常識だが、同じアパートの住人が何か問題を抱えてしまって手伝ってほしいだけかもしれないのだ。

 昆虫野郎でないなら誰でも一緒だろうという睡魔のせいで安全弁の外れた思考が、何故だか俺を着替えて玄関を開けるという愚かな行為へ走らせた。


「はーい、今開けます」


 ジーンズにTシャツの身軽なスタイルで俺は玄関ドアを無警戒に開ける。

 すると、そこには俺の通う芽木戸高校の制服を着用した女子高生が立っていた。


「おはよう」

「え? ああ、おはようございます。どなたですか――」


 刹那、万力で掴まれたのかと勘違いするほどの握力で眼前の女子高生は俺の首を握り、一気に部屋の中へ俺を押し込んで床に押し倒した。

 ズガンと盛大な音を立てて床に倒れ込む俺。下の階が空き部屋でよかったなんてくだらないことを考えてしまうのは、日に二度も理不尽な暴力に遭遇したことによる諦観からだろうか。とりあえず、床は冷たくて気持ちいい。


「質問に答えてくれる?」


 俺の生殺与奪を握っている目の前の女は、見る者を魅了する素敵な笑顔で言った。俺は首を完全に絞められている状態で僅かに上下へ動かす。

 その様子を見た女子高生は嬉しそうに「よかった」と呟き、ほんの少しだけ力を緩めてくれた。


「あの交番、居たわよね?」


 心臓がドキリと跳ねた。何故、それを? と、逆に訊き返したかったが、状況的にそれは叶いそうにない。俺は嘘をつくことなく再びゆっくりと頷く。

 その回答に満足したのか、女子高生は俺に馬乗りのままで舌なめずりをした。エッチな漫画なら喜ぶシーンだが、今の心情はサスペンスで事件が起こる五秒前の被害者の気分である。これを慣用句で風前の灯火といいます。勉強になったね宗一君。クソが。


「次。あの交番で警察官を殺したのはアナタ?」


 その発言で一気に頭へ血が上る。この女、俺があんな惨状を見せつけられてどんな気持ちだったか知りもしないくせに思い出させやがって。

 俺は怒りを込めて彼女をキッと睨む。すると、意外なことに俺の態度を確認した彼女は完全に首元から手をどけて立ち上がったのである。

 ゲホゲホとせき込みながら、俺は見下ろしてくる彼女を見上げた。互いの視線が交わった。


「……これ、落とし物よ」


 先に目を逸らしたのは彼女だった。彼女が差し出してきたのは俺のスマートフォン。画面はバキバキに割れ、ところどころから内部のパーツが露出している変わり果てた俺の相棒。こんなひどい姿になっちまってと嘆いていると、バツの悪そうに彼女が口を開く。


「アナタ、もしかしてなんだけど。別のスマートフォンを持ってない?」

「俺のはこれ一台だけだよ。こんな姿になっちまって……」


 オイオイと泣き真似をする。まだまだローンの残金が残ってたのに。

 ふざけだした俺の態度に馬鹿馬鹿しくなったのか、不法侵入女子高生は大きくため息を吐いて玄関に向けて移動し始めた。帰るつもりだ。ふざけるな、その前に俺の不安を解消してもらわねばならないぞ。


「ちょっと待ってくれ」

「なに? 夜通し動き回って私も眠いのだけれど」

「あの昆虫野郎はどうなった?」


 絶対に訊いておかねばならない質問を彼女にぶつける。俺のスマートフォンを回収してくれたということは事の顛末をコイツは知っているはずだ。

 そんな俺の疑問に彼女は何ともないようにニッコリと笑って答える。


「ああ、逃げられはしたけど、しばらくは碌に活動はできないんじゃないかしら。念入りに焼いといたから」

「……ん? 焼いた? あの炎は君が放ったみたいな言い草だ」

「その通りだけど」


 彼女は、まるで水道の蛇口を捻ったら水が出ると言わんばかりに指先から小粒の炎を生み出した。その目の前のとんでもない光景に俺は口が塞がらなくなった。

 指先を震わせ、ガクガクと身体を揺らす。そして、俺が次に取った行動は態度を改め、誠心誠意頭を下げることであった。


「あら、なんのつもり?」

「ありがとう。君のおかげで助かったことは間違いないみたいだ」


 心からの感謝が伝わったのか、俺が頭をあげると彼女は照れ臭そうに頬をその細い指先で掻きながら顔を赤く染めていた。


「……そう、次は巻き込まれないようにね。あんな時間に外を出歩くのが悪いところもあるのよ」


 命の恩人からの忠言に俺も深く頷く。二度と夜半に散歩をすることはないだろう。

 善意を発揮しようとしたら死にかけるなんて金輪際まっぴらごめんだ。


「そもそも、なんであんな時間に交番へ行ったの? 急ぎじゃないなら学校の横ですませればいいじゃない」


 彼女のごもっともな問いに俺は腕を組んでウンウンと唸りながら返答する。


「いや、ホームレスっぽいお爺さんがスマホを俺に渡して行方不明になっちゃってさ。お爺さんも困るだろうからなるべく早く届け出たほうがいいと思ったらあんな目にあった」


 俺の不幸な話を教えると、彼女は目を見開いて一瞬制止し、何故だか動揺した態度でソワソワと俺に質問をする。


「ちょ、ちょっと……そのスマホってどこにあるの?」

「ん? あー、そこのボロボロなズボンのポケットに……」


 俺の言葉にむっつりと黙った彼女が指先だけで器用にズボンを抓み、前ポケットに入れたままのワインレッドのスマートフォンを取り出した。

 彼女はそのスマートフォンを手のひらで強く握り込むと、わなわなと全身を震わせて言葉に成らない言葉を口の端から漏らしだす。


「ア……」

「ア?」

「アンタも参加者プレイヤーかい!」


 俺の顔面に直球ストレートのスマートフォンが縦回転をしながら突き刺さった。



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