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アルカナゲーム  作者: 菅原暖簾屋


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2/16

夜に出会う

 俺が知っている芽木戸市の交番は二つある。一つは新市街にある俺の通う芽木戸高校の傍、もう片方はアパートから旧市街へ向かう芽木戸川にかかる大橋の根元にある交番だ。

 どうせならばスーパーからの帰り道にあってくれればそれで済んだのだが、どちらも微妙に遠回りになるので買ったばかりのアイスが溶けるのは避けられそうになかった。故に一度アパートに戻ってから交番へ再出発と相成ったのだが――


「あっづい……」


 今日は七月の一八日。年々上がる夏場の気温は今年も例外ではなく、八月に入ってもいないのに夜でも三〇度を超えていた。

 まったく、人の過ごせる温度ではないと誰にも向けられない怒りを胸中に抱えつつ、俺はアパートから大橋の交番へ歩を進める。俺の住む新市街とは逆方向なので人通りは少なく、ときおり犬の散歩をしている老人とすれ違う程度の静かな道だ。


 俺の目指す大橋へは自宅から距離にして一キロほどであり、普通に歩けば三〇分もかからずにたどり着く。自転車があればもっと早かったが、生憎なことに先日チェーンが切れてしまったので修理に出していた。そもそも、自転車があればスーパーまで歩いて行かず、駐輪場とは反対の場所にある駐車場のお爺さんに気づかず、そのまま帰宅していただろうからスマートフォンを交番まで届けずにすんでいたのはご愛敬。

 それにしても、冷静に考えれば今日交番に届けなくても、明日の朝に高校の傍の交番へ持っていけばいいだけだとムワムワとした湿気を感じながら思う。学生がわざわざ日付が変わりそうな時間帯に交番へ向かう必要はない。どうして先程の俺は思いつかなかったんだ。既に道は半ばに差し掛かっており、住宅街の傍を抜けて引き返すのも億劫になる距離を進んでから考え付いてしまったのだろう。

 うん、どれもそれも暑いせいだ。もっと涼しかったら一瞬で思いついていたはず。俺がアホなわけじゃない。

 自分にそう言い訳しつつ、俺の歩く道は住宅街のアスファルトから川土手へ移る。この道を真っ直ぐ進めばゴールの交番である。





 軽車両一台分ほどの幅しかない川土手の道は、日中の熱を吸い込んだアスファルトを歩くよりもかなり涼しく、俺の足取りは心なしか軽くなっていた。加えて目の前に目的地の交番が見えてくるとなれば踊りだしたくもなるほどの気分だ。


 俺の目的地である交番は新市街と旧市街を繋ぐ大橋の美しいLEDとは対照的に、よく言えば暖かい色合いの白熱電球の灯りが窓から漏れ出していた。

 ぼんやりと室内から漏れだす小さな建屋は経年により外観がボロボロになっている。まったく歴史を感じさせるなぁ、などと何故か心の中で交番のみすぼらしい見てくれを頼まれてもいないのに勝手にフォローしつつ、俺は薄ぼんやりとした明かりを放つ交番へと小走りで向かう。


 しかし、その勢いに歯止めをかけるように、不意に風に乗った鉄錆びたような匂いが鼻に飛び込んできた。心、思考、身体、その全てが一斉に交番への道を進んでいた俺の足にブレーキをかける。落ち着いてクンクンともう一嗅ぎしてみると、やはり交番から先程嗅ぎ取った臭いが漂ってきていた。


 ――不気味だ。なんだか胸騒ぎがする。

 大人しく家に帰り、明日の朝に高校傍の交番へ届けようか、そんな考えが脳内を支配した。

 だが、悲しいことに夏の暑さが俺に横着をさせた。ここまで来たのだからさっさと済ませようというもったいない精神が、俺に惨い現実を見せつける。


 交番へ歩み寄り、入り口の引き戸を開けた瞬間のことである。俺は自分の考えに従うべきだったと思うと同時に反射的に地面へ胃の中をすべてぶちまけた。

 感染防止用の仕切りや警察官が書類を書くであろう仕事用のデスクなどを全てなぎ倒した状態の交番の入り口正面。そこでは制服を身に纏ったまま全身をズタズタに引き裂かれた警察官が、苦悶の表情で体がねじれ切った状態で壁や地面を真っ赤に染めながら絶命していたのである。


「……っはぁ、なんだよこれ……け、警察に」


 交番で警察に電話をしようとする矛盾を楽しむ余裕などあるわけもなく。俺は吐き戻したせいで濁った声を絞り出しながら、俺が震える手で自分のスマートフォンから一一〇番をプッシュし、発信ボタンを押そうとした直後。

 俺の意識の外から、男性のしゃがれた荒々しい言葉がそれを遮った。轟音を伴ってだ。


「そいつは面倒だなァ、オイ」


 ――それは全身がまるで甲殻昆虫の詰め合わせような大男だった。

 エメラルドグリーンの大鎧……例えるならば南米のカブトムシの外殻のようなそれを身にまとった男が交番の壁を破って室内に乱入してきた。その衝撃で打ち崩された交番の壁から生まれた小さな破片が俺の全身に襲いかかる。

 そのうちの一つが俺の手首にクリーンヒットし、おもわず痛みでスマートフォンを手の内から零してしまう。

 ありていに言って大ピンチになってしまったことを冷静に分析する俺が心の中に存在した。

 そして、高速で状況を慌てている俺の中のダメな部分に向けて要約した。


 ――ヤバい。状況はさっぱり理解できないが、直感的に警察官をむごたらしく殺し、この惨状を作り出したのが目の前にいるコイツである。このままでは間違いなく俺もそこの警察官のように殺される。逃げねば。

 そう判断した俺は、足下の瓦礫を下手人の昆虫野郎に投げつけてから交番内から離脱するべく行動する。

 しかし、俺が一歩二歩と勢いをつけて外へ駆け出した瞬間、猛烈な速度で間合いを詰めた昆虫野郎に襟首を掴まれ、交番のすぐ外に敷かれた駐車場のアスファルトへ叩きつけられた。

 全身に強烈な激痛が走る。息ができない。


「逃げるなっての」


 もう一度、なんでもないように昆虫野郎は俺を片手でアスファルトの上でバウンドさせた。息が詰まる。目から星が飛ぶ。数秒遅れて激痛が背面から真正面に抜けて飛び出していく。

 意識などせずとも、苦悶の声が自動的に俺の口から漏れ出した。


「あぁあ、ああああああああっ!」

「おぉ、よく鳴る玩具だ。いいぞ、もっと鳴け」


 薄ら笑うこのクソ野郎のことなど気にできないほどの激痛が全身に回り、思考が全て持っていかれる。痛い。間違いなく生まれ落ちてから一番の痛みだった。

 俺はアスファルトの上で身体を回転させながら痛みを和らげようとする。だが、昆虫野郎はそれを許さず、うつ伏せになった俺の背中に脚を乗せてジワジワと体重をかけ始めた。

 骨がミシミシと音を立てて軋む。ピン止めされた昆虫もこんな気持ちなのだろうか、痛みが許容量を超えて逆に痛くなくなってきた。


「あ、ああ、がぁあああああ……」

「今日は入れ食いだ。俺は単純に外装を纏うだけだからよ、そこの警官やお前みたいに一人きりじゃないと殺しにくいんだよな」


 前に二人組を狙って逃げられたことがあるから反省したんだ、とまるでトロフィーを自慢するかのように昆虫野郎は誇る。悲しいことに俺の口からは絞り出したような悲鳴しか出ない。


 死ぬ。


 その二文字が脳裏によぎる。抵抗しようにも背中に体重をかけられており、先ほど例えた背を針で留められた昆虫標本と同じく、四肢をバタバタと動かすことしかできない。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない!


 みっともなく助けを呼ぶべく「助けて」と叫ぼうとした刹那であった。

 豪という音と共に熱が俺の頭上を通り過ぎた。途端、背中に感じていた圧力から解放される。俺はこれをチャンスと見てゴロゴロと横向きに転がり、勢いをつけて無理矢理立ち上がる。感覚からして全身の至る骨が折れているのは間違いないであろうが、それ以上を気にさせないほどのアドレナリンが俺を動かしていた。

 しかし、目の前の状況はそれさえも上回る信じがたい光景が広がっていた。


「あっづいんだよぉ! クソ、またあの魔術師野郎か!」


 俺を弄んでいた昆虫野郎が全身に周りを明るく照らすほどの火を纏い、右へ左へ身体を捻って自身を燃やす炎を消火しようとしていたのである。

 数十秒ごとに切り替わる怒涛の展開に正直もうついていけなかったが、死ぬ一歩手前から脱したのは間違いなかった。チャンスだ。俺は脇目も振らずにあまりの熱量に溶け始めているアスファルトからむき出しの大地へ飛び出す。痛みで崩れ落ちそうになりながらも這う這うの体で距離を取れば、逃げ出す俺に気づいたのか燃え盛る男が余裕のない大声で俺に向かって叫ぶ。


「うぉおおお! 待ちやがれ!」


 身体を包む炎の勢いが収まらないまま、昆虫野郎がガタイに見合っていない素早い動きで溶けたアスファルトを踏みつけながら追いかけてくる。轟々と燃える身体がまるで巨大な松明のように周囲を照らし、ブスブスと肉が焼ける臭いを放っている。

 しかし、明らかに先ほど俺を嬲っていたときよりも動きの勢いが落ちている。ある程度の距離は取った。これなら、逃げ切れる!


「殺す、殺すっ!」


 頭部の装甲から覗かせるギラリとした目つきが俺を射抜く。間違いなく捕まってしまえば言葉の通りに殺されるだろう。

 俺は人生でも初めてであろう限界を超えた限界の走りで、川沿いの土手を新市街の住宅地へ向けて逃走したのであった。



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