終幕
昆虫野郎が開けたナースステーション内の風穴とは反対側、病院の中庭方面の壁を圧倒的な熱量で焼き切り登場したのは、俺が待ち望んでいた救援こと桃園綾香であった。
彼女はその名の通りのピンク色をした髪をポニーテールにまとめ、ラフなジーンズと肩出しのトップスで現れた。気持ち程度に祭りのテキ屋で売っているちゃっちいプラスチックのお面を付けているのがどうでもよくなるほどの服装だ。
「死にかけのところ悪いけど、どんな状況なの?」
「救援で呼んだ女が尻軽な格好で現れて卒倒しそう」
「うっさいほっとけ!」
がるると桃園が吼えた。確かにふざけている場合じゃない。
俺は味方が来た安心感からか急速に力が抜けていく体になんとか活を入れ、彼女に必要な情報を教える。
「そこでボコボコになって転がってるのが節制、三本角のカブトムシが戦車。あとは女帝のアルカナマスターがつるんでるらしいから近くにいるかもしれない」
「そっちは正門付近で邪魔してきたからウェルダンにしたわ。若いスーツ着た警官も無事。空調に設置された装置が云々言ってたから屋上の小屋を丸ごと焼き払ったから問題ないわ」
想像以上の力業で状況を打破してきたと告げた桃園にちょっとだけ引いた。
あははと苦笑しながら彼女の言葉を咀嚼する。若いスーツの警官ってのはおそらく月渚さんだろう。彼がここにいないということは、屋上で節制の言う装置とやらを片付けた後に二手に分かれて小児病棟へ行ったのではなかろうか。だとしたら、看護師さんへの誓約は解かれたと伝えれば、彼らは外へ逃げ出せるはず。
「女帝の奴、簡単にやられたのか」
「思ったよりも大したアルカナ能力じゃなかったわ。仲間にする人間は考えたほうがいいわよ虫野郎」
「確かになぁ……」
じろりと足元の節制を見下ろす昆虫野郎。
「おい、ミスピーチ。節制の誓約が解けたことを月渚さんに伝えたい。マイクをどうにかできるか?」
「あれってワイヤレス?」
「いや、有線だ。マイクの近くで節制を張り倒したからあそこだけ無事だ。もしかしたらまだ使えるかもしれない」
「わかったわ、やってみましょう。無理だったら走って伝えに行きなさい」
「死にかけの男に無茶言ってくれるぜ」
身体の至るところが悲鳴を上げているし、右目も流れる血でまともに開けない。おそらくあばらは罅まみれ、唯一の武器である拳銃はどっか行った。桃園様様だな、あのままだと確実に死んでたわ。
「……ふぅ、撤退するか」
こちらが小声で作戦を立てていたように、昆虫野郎も脳内でこれからどうするかを決めたようだった。
次手は撤退。コイツはここが退き時と判断したらしい。前回は桃園の炎に巻かれて散々だったわけだし、その判断は間違っていないが……。
「あら、逃がすと思う?」
「逃げるさ。奥の手が一つだと思うか?」
昆虫野郎は襤褸屑のように床に落ちていた節制を拾い上げ、肩に俵担ぎをする。そして、奴の右手にアルカナフォンではないスマートフォンを持たせた。
「バカめ! お前らを誘き出す手が毒ガス発生装置だけだと思ったか!」
「あれって毒ガス発生装置だったの?」
「らしいぞ。偉そうに言ってた。そのあと俺にぶん殴られてなっさけない悲鳴上げてたけど」
「うるさぁい! 爆破されたくなければ我々の撤退を邪魔するんじゃない!」
昆虫野郎に担がれたまま、勝ち誇ったように節制が言う。
俺と桃園が顔を見合わせ、はははと本当に救えないものを見たと言わんばかりにせせら笑った。
「やってみなさいよ」
「ああ?」
「爆弾、あるんでしょ? 起動してみなさいよ」
「……起動できない? 何故だ!」
節制の眼前にあるスマートフォンには『NoEntry』の文字が浮かび上がっていた。
案の定、俺が予測した通り、既に爆弾は桃園が処理してくれていたようだった。
「残念だったな。どうやら俺の仲間が対処したみたいだぜ」
「クソクソクソッ! どこまでバカにしやがって!」
口角から泡を飛ばしながら、節制が視点の合わない瞳をして錯乱する。ここまで上手くいかなかったのが屈辱的過ぎたのだろう。
そんな奴を、昆虫野郎は装甲の隙間から少しだけ見える目で見下しつつ言った。
「はぁ……しまんねぇオチだ。仕切りなおすぞ」
「クソッ。覚えていろクソガキ! この借りは必ず――」
瞬間、ナースステーション内に高熱の波が奔流した。
昆虫野郎が一息で俺の隠れていたロッカールームへ節制を投げ入れ、その入り口を自身の体で防ぐ。桃園の容赦のない一撃に、昆虫野郎は「はっはっはっ」と大笑いして拍手をした。
「ちっ」
「とんでもねぇガキだ。隙を見せた瞬間殺しに来るか普通」
「お互い普通じゃないでしょ」
「ハッハッハッ。確かにな!」
以前とは違い、桃園の炎を受けきった昆虫野郎は、潰れたたヒキガエルのように床にへばりついている節制へ「帰るぞ」と言って再び肩に担いだ。
「待ちなさいよ!」
「ピーチ、やめとけ」
「なんでよ、今なら殺せるわ!」
ロッカールームの外壁を拳ひとつでぶち抜いて撤退していく昆虫野郎に追い打ちをかけようとする桃園を、俺は震える左手で制止した。
俺の引き止めが不満げな彼女に、止めた理由を告げる。
「いいか、このままズルズルと追っていけば、戦場が芽木戸市に広がってしまう。おそらく、アイツの能力は装甲生成だろう。あの硬さなら車さえ簡単にひっくり返せるはずだ。そんな奴と節制の能力が組み合わさった状態で市外へ出て発揮されてみろ。病院の被害じゃ収まらないほどの被害になるぞ」
「でも!」
「でもじゃない! 奇襲を受けた時点で、この病院が壊滅した時点で、この戦いは俺たちの負けなんだよ」
首を振って事実を伝える俺に、桃園は拳をぐっと固く握ったまま黙り込む。
そして、その沈黙がしばらく経ったころ、俺は彼女の肩を軽く叩いてこれからの行動について告げる。
「とりあえず、月渚さんと竹芝さんと合流しよう。お前も協力者として紹介する。非常事態だ、警察とも連携してアイツらを今度こそ止めよう」
「……わかった」
桃園は不承不承ながら了承したのだった。




