音楽との出会い:学生期編
あの時代、音楽より先に出会ったのは「音のある機械」たちだった。
テレックスの駆動音、リボンの擦れる音。
ガリ版を刻む鉄筆の先の震え。
輪転機が放つ、まるで心臓の鼓動みたいな、重たくて一定のリズム。
その頃の彼はまだ、楽器に触れたこともなかった。
いや、触れたことはあった。
幼稚園の頃、一番後ろの、ステージのいちばん端っこで、いつも”ハーモニカを吹いているフリ”をしていた。
なぜ本気で吹かなかったのかは覚えていない。
多分、吹かなかったのではなく吹けなかったのだ。
しかし、ただ手に持って唇を寄せるだけで、なんとなく音が鳴っている気がしていた。
それでも、あの頃すでに、「何かを刻むこと」や「響きを待つこと」に心を惹かれていた。
小学校で初めてリコーダーを手にしたときは、なぜだか自然にメロディーが流れた。
同級生より少しだけ上手く吹けている自分に気づいて、照れくさいような、でもちょっとだけ誇らしいような気持ちになった。
そう、そのとき”音”が”音楽”へと変わった。
放送室には、ちいさなスタジオがあった。
そう、彼は放送係をやっていたのである。
昼休みの放送、それはまるでDJのように、同級生をはじめ全校生徒が”気持ちよく給食を食べる空気”を音楽で作っていた。
気づかぬうちに、彼は“音楽で空気を操る”という感覚を、自然と身体に染み込ませていたのかもしれない。
ある日、姉が学校から楽器を持ち帰ってきた。
細長いケースの中には、ピカピカに光る真鍮の楽器「トランペット」が収められていた。
「難しいのよ、金管楽器って。吹けば鳴るもんじゃないの」 姉はそう言いながら、マウスピースを外し、彼の唇に当てた。
「この口でね、おならするみたいにブーって震わせるのそうそう、そんな感じ!」 初めて触れた“音の道具”。
それは機械でもなく、放送設備でもなく、紛れもない「音を出す身体の延長線」だった。
彼は興味津々で姉からトランペットを奪い取り、マウスピースを口に当てた。
「ぷぅー」 鳴った、それも一発で。 姉は指使いを教えてくれた。
彼はそのまま「ドレミファソラシド」と鳴らしてしまった。
中学・高校と吹奏楽部に頭が見えないほどどっぷりと浸かっていた。
父親は言った。
「お前は学校に勉強しに行っているのか?それともラッパ吹きに行っているのか?」
彼は表情も変えず
「ラッパ吹きにに決まってんじゃん」
大学時代には音楽と共にギャンブルも覚えた。
音楽活動はカオスそのものだった。
一回の演奏会で、5パートを渡り歩いたりもした。
演奏会の”出待ち”も経験した。
詳しく書けないのが残念でならない。
就職しても「音楽とギャンブルの両立」という矛盾が続いた。
音楽もギャンブルも、彼の中では同じ『ゲーム』だった。
その『ゲーム』に勝った時の快感は同じであったとも言える。
その『ゲーム』での一晩の勝利金が給料の手取り額を超えた時、彼の借金は給料半年分を超えていた。
彼は、そう、逃げたのである・・・これが一度目の失踪
〜 さて、時を変えよう 〜




