第七話 黒煙の正体
「なんだ、あの黒煙は!?」
俺は愕然とした。なんと砦から黒煙が上がっていたのだ。しかも独特の焦げ臭さも感じる。俺を乗せて走っていたルナも鼻先に皺を寄せ、『キュウゥゥ……』と苦しげに呻いていた。
「ま、まさか……魔王の残滓が……。持ち帰ってきた〝ダークネス・スパイラル〟のせいで砦から黒煙が上がってるのか!?」
『キャウンッ! ワウゥゥッ!!』
ルナが悲鳴に似た声で鳴いた。ここからではルナの表情がよく分からない。けれど、ルナが命からがら逃げ出して、父さんではなく俺に助けを求めたのだ。余程の事があったにちがいない。
砦の門を潜り抜け、俺はルナの背中から飛び降りた。体勢を崩しながらも苔生した石畳の上を全力で走る。足がもつれて転けそうになっても、息が上がって呼吸がし辛くなっても、俺は走るのを止めなかった。
いつも住居として使っているフロアに辿り着いた俺は、廊下が黒煙で充満している事に気付き、咄嗟に口元を袖で覆う。よく嗅いでみると、パンを焦がしすぎた時のような焦げ臭さが鼻をついた。
「どうやら〝ダークネス・スパイラル〟のせいじゃなさそうだな……」
最悪を想定してた俺は少しだけ安堵した。慎重にゆっくり歩を進めていくと、黒煙が厨房から出ている事に気付く。
「おい、大丈夫か――うわっ、なんだよこの煙の量は!?」
煙が気管に入って俺が大きく咳き込んでいると、突然、部屋の中で突風が吹き荒れたのだった。
「おはよう、リヒト君。意外と朝が早いのね」
黒煙が晴れ、軽く咳き込みながらも俺は前を向いた。目の前には見慣れないエプロンを身に付けたシャルロットが立っていた。しかし、彼女の背後には想像を絶する光景が広がっていた。
石造りのキッチンが粉塗れになり、卵が投げ付けられたかのような跡が残されていたのだ。他にも床には卵の殻が散乱。壁には黒焦げの何かが突き刺さっており、ボールはクルクルと床を回っている。まるで盗賊に荒らされたかのような酷い有様だった。
「シャ……シャルロットさん? こ、この状況は一体……?」
「あ、汚しちゃってごめんなさいね。実は泊めてくれたお礼に朝食を作ってたの」
「朝食っ!? 朝食作って黒煙が上がってたのかっ!?」
俺は戦慄した。けれど、シャルロットにとってはそれが普通の事らしく、「そうよ?」と当たり前のような表情で首を傾げられた。
「朝食を作る時は煙が上がるものでしょ? もう、そんな驚かなくたっていいじゃない!」
「い、いや……。料理ってのは、その……」
シャルロットが俺の反応を見て、おかしいというようにクスクスと笑う。いやいや、普通に考えてそっちの感性がおかしいんだが。
俺はかける言葉が見つからなくて困ってるしまった。どうやら人は想像の斜め上の事が怒ってしまうと、かける言葉が分からなくなってしまうらしい。
いつもの俺なら――いや、朝食を作るのに黒煙なんて上がらないって! そんな料理、作った瞬間に国が滅びるわ! ――ってツッコミを入れているはずなのに、タイミングを逃して言えなくなってしまった。
「もしかして、自分の朝食を心配してるの?」
「あ……うん、まぁ……」
勿論、いろんな意味で心配って意味だけどな。
「ふふっ、大丈夫よ! ちゃんとリヒト君の分も用意してるから!」
「えっ!? お、俺はいいよ! 後で自分で作るし!」
「た、食べてくれないの……? 不器用なりに一生懸命作ったんだけどなぁ……。ねぇ、本当に食べてくれないの?」
シャルロットがあからさまに、シュン……と落ち込むのを見て、俺は反射的に「食べます!!」と答えてしまっていた。
俺って本当にちょろいなと心の内で呆れてしまった。
「良かった! じゃあ、暖かいうちに皆で食べましょう!」
「ワーイ! チョウショク、タノシミダナー!」
シャルロットは綺麗に微笑んだが、俺は作り笑いしかできなかった。
彼女に手を引かれて半強制的にダイニングルームへ足を踏み入れると、今度はヒュッ……と息を呑む事になった。
テーブルの中心に置かれた真っ白な皿。その上に炭と化した塊が乗っかっていたのだ。表面の妙なテカリ具合を見るに、バターを乗せられていたのだろう。けれど、溶けたバターは全て炭と化した塊に吸収され、全てが台無しになっていた。
「あっ、ジーク様もリヒト君が起きてくるのを待っててくれてたんですね! 本当に仲の良い親子で羨ましい限りです!」
「と……とと、父さーーーーーーんっ!!??」
俺は慌てて父さんの元へ駆け寄った。何故なら、プラチナ級ハンターでもあるジークがフォークを口に入れたまま白目を剥いて気絶していたからだ。
「父さん!! どうしてこんな事に!?」
「リヒト……。カアサンノ……カアサンノスガタガミエル……。ドウヤラ、オレハシンデシマウラシイ……」
「まだ死んでない! まだ死んでないから!!」
「テンゴク……サムイ……。アタタカイスープ……ノミタカッタ……」
「し、しっかりしてくれ!! 父さーーーーーーんっ!!」
それだけ言い残し、父さんは再び気絶した。恐らく、誰に対しても優しい父さんの事だ。胃が受け付けないのを承知で黒い塊を食したのだろう。そしたら、あっさり気絶。そりゃあ、ルナも俺に泣きついてくるわけだ。
「くっ、このままじゃ駄目だ!!」
「リヒト君、どこへ行くの!?」
俺はシャルロットの静止を振り切って、厨房の棚からすり鉢とすりこぎ、蜂蜜を取り出した。身に付けていたウェストバッグに入れていた薬草をボールに入れ、蜂蜜と一緒に擦り混ぜていく。これは誰でも簡単に作れる胃薬で、亡くなった母さんから教えてもらったものだ。まさか、こんなところで役に立つとは……。
出来上がった胃薬を水をコップに入れて混ぜ合わせ、気絶している父さんの口に含ませてやると、「ブッッッッハァァッッッッ!!!!」と正気に戻ったのだった。
「リ、リヒト? さっきまで母さんがいたんだが……?」
「正気に戻って良かったぁぁ!! マジで……マジでビビったんだから――あ……」
後ろを振り向くとニッコリと微笑んだまま突っ立っているシャルロットの姿があった。彼女の手には一枚の白い皿。その上に黒い塊とフォークが突き刺さっている。嫌な予感がした俺は固まってしまった。
「フリーズ」
シャルロットは魔法を発動した。俺達は身体が動かなくなる。指先一つ動かない。どうやら拘束系の魔法を発動したらしい。
心臓だけが早鐘を打ち、冷や汗がダラダラと流れ落ちた。この状況はマジでマズイ!! 早く……早くなんとかしないと!!
「リヒト君も……食べてくれるわよね?」
嫌だ!! 絶対に嫌だ!! そう言いたいのに声が出ない。シャルロットはサクッと黒い塊を食べやすいように切り分け、俺の口元に運んできた。
「はい、あ〜ん♡」
俺は自分の死を悟り、自然の目から涙が溢れ出た。
口の中に黒い塊を押し込まれた瞬間、俺は目の前が真っ白になった。




