表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
一章 皇太孫殿下との縁談が降って湧きました。
7/37

1-7 殿下の言葉が意味不明

 この方が()朗輝(ろうき)さま、と、紅月(こうげつ)は言葉にならない声でつぶやいた。まるまると目を(みは)ってしまっている。


 はたはた、と、二、三度、意味もなく(まばた)きを繰り返しながら、目の前の相手をぽかんと見つめた。


「えっと……」


 何と言っていいか、わからない。


 だって、いま相手は、李朗輝と、そう我が姓字(なまえ)を告げたのだ。そして、皇太子の子だと、そう言ったのである。


 ということは、目前に立ち、紅月の手を取っているこの少年こそが、今度の見合いの相手である皇太孫殿下だということだ。


 皇宮の奥深くにいるだろうと思っていた相手の不意の登場に、紅月は目を白黒させた。え、え、と、戸惑いつつ、ただただ呆然と、少年の――朗輝の――顔をまじまじと見るばかりである。


 皇太孫殿下――……この、御方が。


 もう一度、相手を見つめつつ、思う。


 言われてみれば、少年が(まと)っている紺青色の長袍(きもの)は――動きやすそうなそれでこそあるものの――従僕(じゅうぼく)のものとは明らかに違う、上等な布地に精緻(せいち)(ぬいとり)が施されたものだった。


 さらにいえば、上品で端正な顔立ちの、その透けるように白い肌はなめらかで、肌理(きめ)こまかい。手入れが行き届いているからこそのものに違いなかった。


 それに、こちらの手を取っている彼の指先も、すこしもざらつかず、荒れた様子がないではないか。剣を握ることがあるのか、肉刺(まめ)こそあるものの、日々雑用などをこなしている者の手とは明らかに違っていた。


 そしてなにより、先程から、馭者(ぎょしゃ)や護衛の士卒が、彼に対して(かしこ)まっているのである。


「皇太孫、殿下……」


 呆然とそう言ったきり、紅月はかたまってしまった。


 朗輝はそんなこちらを前に、はい、と、朗らかに応じる。それから改めて紅月の手を取って、そのまま半歩ほど、紅月との距離を縮めた。


 伸び盛りだろう少年より、いまはまだすこしだけ、まだ紅月のほうが背が高いようだ。だから朗輝がこちらを見るとき、ほんのわずか、こちらを軽く下から覗き込むようなかたちになる。


 彼はやや上目遣いに、真っ直ぐに、紅月の顔を見つめてきた。


「お待ちしていました、紅月どの」


 少年らしい、溌剌(はつらつ)とした、明るい声が告げる。


「というか、待ちきれなくて、ここまで迎えにきてしまったんだけど。驚かせてしまったみたいだね。ごめんなさい」


 朗輝は軽く()びながら、それでもちいさく肩を(すく)めて、ちらりと悪戯(いたずら)っぽい笑みを見せた。


「来てくれて嬉しい。あなたに会いたかったんだ。でも……」


 そこで、ふと、言い(よど)む。


 そのまま、わずかに目を伏せがちに、視線を逸らしてしまう朗輝に、紅月ははっとした。


 いったい、何を言われるのだろう。


 実際にこちらの姿を見て、朗輝はがっかりしただろうか。婚期など()うの昔に(のが)しているような、九歳(ここのつ)も年上の娘になど、会ってみるだけ時間の無駄だったと、そう思っているのかもしれない。


 眉根を寄せて相手の言葉を待つ紅月を、朗輝は、ちら、と、うかがい見る。


 その口許(くちもと)に、ちいさく、はにかむような笑みが浮かんだ。


「あなた、ずるいや。だって、想像してた、何倍も綺麗なんだもの。鼓動がうるさくて、顔が熱くて……ああっ、もう。だめだな、僕……ほんとうはさ、恰好(かっこう)よく、あなたを園林(にわ)まで案内するつもりだったのに」


 調子が狂ってしまう、と、朗輝は気恥ずかしげに頬を染め、こちらからは目を逸らしたままで、ぶつぶつとつぶやいた。


「え……?」


 紅月は我が耳を疑った。


 相手の澄んだ黒い(ひとみ)は、実は、まともに物を見られていないのではないか、と、そんな失礼なことすら考えた。


 だって、ずいぶん年上の紅月を見て、綺麗だなんて――……改めて述べ立てられた言葉を心中に反芻(はんすう)してしまい、こちらこそ恥ずかしくなってくる。


 紅月は、はたはた、と、(またた)いた後で、そのまま目を伏せてしまった。


 何と答えていいものか、わからない。


 頬が熱い。心臓がうるさい。


 どうしたら、いいのだろうか。


 朗輝が、ちら、と、こちらを見た。


 それから、きゅ、と、くちびるを()む。


「ずるい」


 そう、相手は紅月をそっと(なじ)った。


「なに、その顔……今度は、可愛い」


 可愛いとは(あい)()しと書くのだと、いったい、この少年は知っているのだろうか。


 紅月はますます頬を赤らめて、深く俯いてしまった。


 ちいさく眉根を寄せ、困ったような苦笑を口の端に浮かべた朗輝は、気を取り直すようにひとつ深呼吸をする。


「行こうか。案内するよ。園林ではいま、菊が綺麗なんだ……といっても、あなたのうつくしさを前にしたら、花も恥じらってしまうかな。ほら、羞花(しゅうか)閉月(へいげつ)って言葉もあるし」


 (しま)いにはそんなことを言い出した皇太孫は、紅月の手を取ったままで、皇宮の奥を目指して歩み出すようだ。


「で、殿下、あの……お、お手を、お放しくださいませんか……」


 手を引かれ、足を踏み出しながら、紅月はようやく言う。


「え? どうして?」


 朗輝はこちらを振り返り、きょとんとした表情をした。


「そ、その……はずかしい、ので」


 頬を染めた紅月にとっては、そんなふうに抗議するのが、このときの精一杯だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ