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紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
【一章】皇太孫殿下との縁談が降って湧きました。
3/22

1-3 回想ノ二-運命の夜-

 時は流れて、やはり皓々(こうこう)たるある満月の晩のことである。


 不吉とされる皆既(かいき)月蝕(げっしょく)の夜に生まれ落ちた紅月(こうげつ)は成長し、この年、七歳(ななつ)になっていた。


 けれどもこの小童(こども)に、その年頃らしい溌剌(はつらつ)とした気配はない。暮れた園林(ていえん)を歩む足取りもどことなく重く、その顔はわずかに(うつむ)いていた。


 それはあたかも、空に照り輝く明朗(めいろう)とした月に対して、気後(きおく)れでも感じているかのようだ。それで、無意識に視線を()らしてしまっているのかもしれなかった。


 人の口に戸は立てられない。


 だから紅月は、自分が生まれ落ちた日のことを、いつとなく知るようになっていた。


 そのせいで、物心つく頃にはもう、自分は(のろ)われた不吉な子なのだ、と、そう思い込むようになっていた。


 月は、嫌いだ。


 特に盈々(えいえい)とした望月(ぼうげつ)は、どうしても好きにはなれない。


 今宵は、(しょう)国の高位・高官の家の者たちが集まって月を(たの)しむ、弄月(ろうげつ)の宴が開かれている。


 (げつ)仙女(せんにょ)姮娥(こうが)娘々(ニャンニャン)(まつ)(しょう)国の人々は、皆、夜空に浮かぶうつくしい月を、仙女の形代(かたしろ)として愛していた。


 観月は、だから、彼らにとっては何よりの楽しみなのである。


 石畳(いしだたみ)()かれた庭院(ひろば)では、いま、豪華な宴席が張られている。天にある月とともに、酒や料理、歌舞(かぶ)音曲(おんぎょく)などをたのしむのであろう人々の(にぎ)やかな声が、遠くのほうから響いていた。


 しかし、紅月はその賑わいの外にいる。


 人気(ひとけ)のない園林(ていえん)へと、ひとり、逃げるようにやってきていた。


 ふう、と、紅月はちいさく嘆息(いき)をついた。


 園林(ていえん)の小石を軽く()飛ばすと、石は、思いの(ほか)勢いよく転がった。そのまま、波ひとつなく()いでいた池の中へ、ぽちゃん、と、ちいさな音を立てて落ちていく。


 月光の下に(はす)の咲く池には(さざなみ)が立ち、水面(みなも)に映った月影がゆらゆらと揺れた。


 そのとき、ふと、紅月は気がついた。


 橋の向こうの浮島にひっそりと(たたず)(あずまや)の中に、ひとり、ぽかりと月を見上げる人影があるのだ。


 年齢(とし)は自分よりも十歳(とお)ばかり上だろうか。軽く(あお)のいて、じっと天を見つめている。


 なにをしているのだろう、と、しばらくその人物を(うかが)っていると、そんなこちらの気配に気づいたらしい相手が、ちら、と、紅月のほうを見た。


 そして――意外にも――にこり、と、屈託(くったく)なく笑った。


「あなたも月見ですか?」


 相手はやわらかな声で言った。それから、かけていた椅子(いし)からすっと立ち上がると、橋を渡って、紅月の(そば)までやってくる。


 黙って無遠慮な視線を向けていたこちらに気を悪くするふうもなく、相手はゆっくりと(かが)んでこちらと顔の高さを合わせると、再び紅月にやさしい笑顔を見せた。


「あなた、も、お月見……?」


 相手の微笑につられるように、気づけば紅月は、おずおずと(たず)ねている。けれども、もしも観月ならば、皆と(うたげ)にまじればいいものを、と、そう怪訝(けげん)にも思った。


 そんなこちらの疑問など知らぬげに、その人は目を(すが)める。


 そして、真っ直ぐに、夜空に(あか)い月を指さした。


「わたしは、月が欠けるのを――(しょく)を、待っています」


 言われて、紅月ははっと息を()んだ。


 だが今度も、やはり相手はこちらの思いには気づかぬふうだ。満月を仰ぎ見ている顔は、にこにことして、いかにも上機嫌だった。


「わたしの計算では、今日は皆既蝕になるはずなんです」


 その人はつづけて、そう言った。


「けい、さん……?」


 相手の意外な言葉に、紅月はぱちくりと目を(またた)いた。


 紅月の知るところでは、月仙女を(まつ)るこの国において、月蝕は、最も()むべき不吉の前兆(まえぶれ)である。それは予告なく不意に起こり、それゆえにこそ(おそ)れられる、これ以上ない凶兆だとされていた。


「計算って?」


 紅月はおずおずと訊ねた。


「ええっと、詳細を話すとややこしいのですが……要するに、これまでの蝕の記録をもとに、算術を使って、次に蝕になりそうな日を求めてみたということです。今宵はそのうちのひとつで、たぶん、皆既蝕――紅月が、見られるはず」


「紅月は……見ると、不幸になるって」


 かつてそんな()み日に、自分はこの世に生を受けた。凶に凶を重ねることですこしでも不吉を打ち払おうという意図で、紅月、と、そんな名を負って生きることになった。


 負い目にも似た想いのために、紅月の声は、後にいくほどちいさく(しぼ)む。


 けれども、それに応えた相手の声音は、紅月の小声とはうらはらに、いかにも澄んで明朗としていた。


「まさか!」


 その人はきっぱりと言い切って、明るい笑顔をみせる。


「考えてもみてください。だって、月蝕の日は、計算で求められるのですよ。周期があるのだから、月蝕も、単なる自然現象のひとつでしょう? わたしは月蝕の記録を見るのにずいぶんと史書を(あさ)りましたが、(あらし)(ひでり)、洪水や地震などの割合が、蝕の年に限って、(かたよ)って多かったなどということはありませんでした」


「ほんとう……?」


「ええ。蝕が不吉だというのは、単なる迷信だと思います」


 言われて紅月は、ほう、と――まるで、生まれて初めてこの世で呼吸(いき)をしたかのように、心の底から――長い長い吐息(といき)をもらした。


 相手がすっと目を細める。


「わたしの計算では、今日の次の月蝕は五年後、それからまたその四年後に、紅月が見られるはずです……もし当たったら、月蝕が不吉だなんて単なる迷信だと、あなたは信じてくれますか?」


 その人は冗談(かるくち)めかして言って、微笑む。


 その笑顔につられるように、紅月もちいさく笑った。


「――あ!」


 そのとき、相手が声を上げた。


「ほら!」


 得意げに指し示してみせる先では、満月に、わずかに影が差し始めている。


 世人(よひと)()(おそ)れる、蝕だ――……けれども紅月には、いま中空に()()えと輝くその月が、これまでに目にしたどんなものよりも(まばゆ)く、気高く、尊く見えていた。


 自分は呪われた、不吉の象徴なのだとおもっていた。


 でも、そうではないのかもしれない。


 顔を上げ、月を仰ぎ見た紅月の心には、ほんのりとあたたかな光明(あかり)のようなものが(とも)っている。


 その夜の出来事は、確実に紅月を変えた。


 紅月は、夜空に皓々(こうこう)と照る明月のうつくしさを初めて知り、そして、己にそれを教えた人が口にした算術というものに対しても、心の底から感嘆した。


 それはまさに紅月にとって運命の夜であった。


***


「――月蝕に魅入られた妖女め。お前との婚約は破棄する」

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