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紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
四章 皇太孫殿下にお別れを言いました、でも…
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4-4 目撃した密談

 もう日は西の地平へと沈んでいて、東の空はすっかり藍色だ。夜の(とばり)が下りてきている。そこに、皓皓(こうこう)と照り輝く満月が、中天を指して昇りはじめていた。


 蘇府(そふ)を後にすると、紅月は一心に高家の府邸(やしき)――高府――を目指した。


 日暮れを迎えた皇都・盈祥(えいしょう)は、どの府邸(やしき)もみなすでに門扉を閉ざしていて、(みち)にはほとんど人気もない。かわりに、門のうち、院子(にわ)燈籠(とうろう)堂宇(たてもの)に灯りが入りはじめていた。


 昵懇(じっこん)といわれていた両家である。高家には、かつて、紅月も何度か訪れたことがあった。(こう)圭嘉(けいか)とまだ婚約をしていた時分のことだから、もう十年近くも前の話だろうか。


 蘇家から高家へと向かう道筋は、紅月への心尽くしの書信(てがみ)と贈り物を届けた後、朗輝も通っていった路であるに違いない。だが、いま暮れた路に、それらしい影は見当たらなかった。


 そして結局、紅月は朗輝に追いつけぬまま、かつての許婚・高圭嘉も暮らすはずの、高府へと辿りついてしまっていた。


 やはり、朗輝はもう高府の門の中へ入ってしまった後だということだろう。府邸(やしき)の東南に位置し、高府という立派な扁額(へんがく)のかかった大門を、紅月はすこし離れた位置から見詰め、そ、と、息をはいた。


 だが、はじめから、路の途上で追いつけるとも期待してはいなかった。父にも言ったとおり、朗輝が帰途につこうとして高府から出てくるのを、門前(ここ)で待っていよう、と、そう思う。


 今頃、高府の中では、正房(おもや)か、あるいはその前の院子(なかにわ)かで、宴が始まっているのだろう。琴笛の奏でるらしき音曲(おんぎょく)が、遠く響いて、ここまで聴こえていた。


 朗輝はどんな表情で宴の席に着いているのだろうか。皇太孫ならば、間違いなく、今夜の宴では主賓扱いだろう。


 あるいは、朗輝の隣には、成人したばかりの高家の末の令嬢・鈴麗(りんれい)(はべ)っていたりするだろうか。若々しい、華やかで艶やかな笑顔を(かんばせ)に浮かべて、酒か、あるいは茶を注ぎ、会話を弾ませていたりするのだろうか。


 考えるだけで、ちくん、と、胸が痛む。


 紅月にかけたような甘い言葉の数々を今度は鈴麗にかけてやれだなどと、過日は、よくもそんな莫迦(ばか)なことを朗輝に言い放ったものだと思う。紅月は過去の己を(あざけ)り、そして責めた。想像しただけでもこんなにも切ない気持ちになるのに、と、眉根を寄せた。


 書状を手渡した際には、朗輝は高家を訪うことにあまり乗り気ではないふうだった。それでも結局、宴に参加することにしたのは、皇帝からの命だったのか、それとも朗輝自身の判断だったのだろうか。


 それは紅月には(あずか)り知らぬことだったが、あるいは、あれから後、租賦(そぜい)の不正の件で、朗輝は何か、高家と繋がるような新たな情報を得たのかもしれない。もしくは、そうしたものがまるでないため、それを掴まんがためにこそ、いま宴席に出ているのかもしれない。


「殿下……」


 東の空の低い位置にあった月が、やや、南天に近付くように高くなってきている。秋も深まり、日が落ちて時間が経つと、空気はずいぶんと冷たかった。


 紅月が無意識に、きゅ、と、己の身体を抱き込んだ、そのときだ。


 ふいに、高府の門扉がゆっくりと開いた。紅月ははっと息を呑む。


 まだ音曲(おんぎょく)は途切れていないから、宴はなお続いているだろう。それなのに誰、と、門のほうを(うかが)い見た。


 宴席を中座した朗輝かもしれない、と、期待ですこしだけ鼓動が早くなる。


 けれどもすぐに、紅月は顔色(いろ)を失くした。


 出てきたのは朗輝ではない。(こう)家の嫡男、圭嘉(けいか)だった。


 気付いた瞬間、紅月は思わず物陰に身を隠している。そこから、そ、と、圭嘉のほうを(うかが)い見た。


 幸いにして、相手はこの場に紅月がいることに気がついていないようだった。しかし、警戒でもするかのように辺りをきょろきょろと見まわすと、何やら、合図を送る。


 すると、どこからともなく商人(あきうど)らしき男が現れて、そのまま、ふたりは門前でぼそぼそと会話をし始めた。


 いかにもあやしげな雰囲気だ。なにか()からぬ相談でもしているのだろうか。もっと詳しく様子を知りたい、と、紅月はやや身を乗り出した。


 けれどもその刹那、不意に後ろから伸びた太い腕に身体を羽交(はが)()められ、大きな分厚いてのひらに口許を塞がれていた。


 目の前の密談が気になって、迂闊(うかつ)にも、背後(うしろ)への気配りが(おろそ)かになってしまっていたのだ。


「んっ、うーっ」


 (うめ)き声を上げて、暴れようとする。その音で異変に気がついたらしい圭嘉が、はっとこちらを見た。


 その表情が、みるみる怒りに険しくなる。圭嘉と話していた商人は、気まずそうに顔を伏せると、逃げるようにしてその場から立ち去っていった。


公子(わかぎみ)、あやしい女が高府を窺っておりました」


 紅月を掴まえている男が、圭嘉のもとへと紅月を連れていく。口を覆われ、喋れないながらも、紅月は圭嘉をきつく睨んだ。身を(よじ)って、必死で束縛から逃れようとする。


「紅月……おまえか」


 圭嘉が冷たく言った。


「連れていけ。何か見ているかもしれないからな。後で()かせる。――そうだな……とりあえず、(くら)にでも籠めておけばいい」


 そう言って、男に向かって顎をしゃくる。男はひとつ頷くと、府邸(やしき)の裏手へと回って、通用門から紅月を高府の中へ入れた。


 それに圭嘉もついてくる。後庭(うらにわ)の隅にある庫の戸を開けると、紅月の身体を無造作にその中に放り込んだ。


 紅月は蹈鞴(たたら)を踏み、(ほこり)っぽい(ゆか)へと倒れ伏す。


「圭嘉さま、なにを……!」


 床に這いながら、庫の入り口のところに仁王立つ圭嘉を()めつけた。圭嘉はそれになんとも不愉快そうに眉を寄せる。


「お前はもう行け」


 紅月を捕えた下男にそう目配せをし、去って行くその背を見送ってから、つかつかと紅月のほうへ歩み寄った。手を伸ばし、こちらの髪を乱暴に掴みあげる。


「っ、ぅ」


 紅月が痛みに表情を歪めるのも気にせず己の間近まで顔を上げさせて、何をとはこちらの文句だ、と、(すご)んだ。


「おまえこそ、あそこで何をしていた」


「わたし、は……」

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